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中井久夫 『治療文化論 精神医学的再構築の試み』 岩波現代文庫

「名著」らしい。しかし、私如きシロウトにとってはその「名著」の所以がさっぱりわからず、「猫に小判」とか「豚に真珠」の類だ。「私に小判」「私に真珠」とも言える。内田百閒流の「リアリズム」ということで言えば、本書は私にとってほぼ「無」である。ここで私のこのnoteは終わり、ということになる。それもナンなので、付箋を貼ったところをざっと読み直したのだが、なぜか付箋の箇所は本論から逸れたところばかりだった。

あるとき百閒は、辰野隆との対談で、こんなことを言っていた。
- 辰野さん、僕のリアリズムはこうです。つまり紀行文みたいなものを書くとしても、行って来た記憶がある内に書いてはいけない。一たん忘れてその後で今度自分で思い出す。それを綴り合わしたものが本当の経験であって、覚えた儘を書いたのは真実でない。(「当世漫話」)

 それを聞いて、辰野が「持論ですか」とたずねると、百閒は「そうです」と答えた。

穂苅瑞穂「解説 百閒哀感」 内田百閒『立腹帖』ちくま文庫 294-295頁 

岩波文庫に『ベルツの日記』というのがある。あるのは知っていたが読んだことはない。これを今度読んでみようと思い、早速買ってきた。なぜ読んでみようと思ったかというと本書にこんな記述があったからだ。

キツネツキの報告者にしてみずからの地震体験にもとづくパニック反応の記載者として、第一級のフィールド文化精神医学者と呼んでよいであろう初期の東大内科教授ベルツもその一人である。岩波文庫では二巻より成る彼の日記は、第二次大戦前はその皇室記事の内実性ゆえに禁書であり、戦後になって明治政治史の一等史料となったが、記事あるいはその行間にはヴィルヘルム二世のドイツにたいする、明治日本を対照的に称揚しての厳しい批判が横溢する。ベルツの日本讃美をただそのままに受け取るのはいささか素朴であって、あれはほとんど必ず帝政ドイツに対する辛辣なトゲでもある。

「文化精神医学をめぐる考察」本書8頁

中井には『「昭和」を送る』という随筆があり、それについては以前に書いた。ベルツの日記に登場するのは明治天皇とその東宮(皇太子、後の大正天皇)、さらに東宮の子(後の昭和天皇)だが、国家における位置付けは明治帝も敗戦までの昭和帝も基本的には同じだ。今、皇室はかなり揺れているように見えるのだが、ベルツの日記にある「皇室記事の内実性」が何を意味するのか、気になるところだ。

 日本人あるいは在日外国人による優れた論文の産出量は、年々急速に増大している。たとえば1988、89、90年における「引用指数」citation indexの三年連続世界一位は、神戸大学医学部第二生化学教室の西塚泰美教授である。このことはすばらしいことではあるが、冷厳な事実は、1990年現在なお、日本文化圏より産出される論文は、いわば秀才の生徒が教師に提出する形で、欧米の、しばしば二流学者である編集委員に採点されるのである。
(略)
 しかし、欧米雑誌編集者が投稿論文をしばしば剽窃することは1950年代すでに林髞(慶大生理学教授、作家「木々高太郎」)の警告するとおりであり、さもなくとも、第二級の論文を歓迎しても、第一級の論文は故意かあらずか遅延され、類似論文が先行掲載されることは、少なからぬ日本文化圏の研究者がなめた苦杯である。

「文化精神医学をめぐる考察」本書19-20頁

自分自身の欧米との縁は、2年間のイギリスでの修士課程と、外資系企業での通算約20年の勤続経験で、彼の地での生活はその2年の留学と20年の勤務期間のうちの1年半の在英の通算3年半でしかない。だから内外の国民性の差異だのナントカ人の性向だのといったことを語るに足る生活経験はない。

しかし、他所の国々の人たちとの日常業務を通じた遣り取りの経験に基づく漠然とした感想のようなものとしては、人種が関係しているかどうかはともかくとして、物事の本拠地から見て周縁に位置する拠点の者が、組織内で本拠地に勤務する者と同列であるとは考えにくい。ざっくり言ってしまえば、世界の中心はどこなのか、という認識を抜きにして物事の妥当な判断はできないと思うのである。

「日本人」として日本で生まれ育ち、日本語を母語として日本で暮らしを営んでいれば、否応なく日本が世界の中心と認識するだろう。同じような視点をそれぞれの国や地域の人々も持っている。その様々な「私」が様々な利害を持って様々な土地で暮らしていれば、どうしたって諍いは起こる。そこは全体の重心のようなものを見い出して、そこを妥協点に物事をまとめようと努めないことには安心して生活ができない。その重心の見極めと妥協の形成こそが本当の知恵だと思う。しかし現実は誰もが己の当座の取り分を最大化することばかりにあくせくしているようにしか見えない。

人の個体としての社会的寿命が50年程度と見れば、自己主張とその成果の享受の期間はそれほど長くはない。人に自我があり欲があれば、我欲の満足が生きる上での最優先課題になるのは自然なことだろう。文化とか文明といった工夫によって「先祖」だとか「子孫」といった自我の時間軸の延長を試みたところで、自分自身のナマの生活から離れたところへの意識はどうしたって他人事になり、目の前のことに拘泥する。

そもそも「時間」という概念が曲者だ。よく「現在」「過去」「未来」と言う。時間の流れというものがあって、その時間軸上の位置の相違が三つの相の違いであるかのように語られる。確かに、時計という機械装置で時間を計測することができ、それは天体の運行や生活の実感とほぼ矛盾がない。

しかし、時間はあくまで概念であって、そういうものがあると想定しているだけのことだ。我々は時間を止めることができない。今この瞬間をどうするかという選択を常に迫られているつもりになっているが、そんな切羽詰まった意識を抱えている人は何かに追われているか何かに迫っているかのどちらかで、圧倒的大多数は特に何を考えるでもなく惰性に従っている。ああしたい、こうしたいという未来への欲求はあるが、その欲求実現へ向けて個別具体的な行動を意図する人は、おそらく相当限られている。我々の眼前に広がるのは既に生起したことの結果であって、現在の行為や未来の展望は夢想や幻想でしかない。つまり、我々にとって確かなのは生起してしまった過去だけだ。未来はもちろん、現在すら無い。我々は、おそらく他の生物も、その不確かな未来へ向かって種の保存を目指して生きている。意識するとしないとにかかわらず、我々はその不確かさに対する根源的な不安を抱えている。だから、その不安を解消すべく、自己の存在確認と我欲の実現に過剰に執着することになる。

学界であれ政界であれ財界であれ、自分の労苦の成果が認知されてこそ、それぞれの世界での自分の存在の正当性が自覚可能となる。認知の相手が自分の母語話者だけの世界なのか、その世界を超越した世界標準の世界なのか、ということになると、自己主張に要するエネルギーはだいぶ違ったものになるはずだ。殊に世界標準で自己の存在を認知させようとすれば、母語と標準語との壁を越える手立てを別途考えないといけない。

あくまで個人的なイメージだが、日本語を母語とする世界は千数百年に及ぶ時間の蓄積を共にしてきた間柄であるのに対し、陸続きで複数の異言語と常に対峙しながら形成された世界標準言語の世界では自他の差異を常に意識せざるを得ず、自意識が先鋭化しやすいのではないか。当然、個人間の共通感覚の背後にある時間の蓄積が厚い世界での母語感覚では、相手が知っていて当然とすることも厚みがあり、自意識が呑気なものになる。「日本文化圏の研究者がなめた苦杯」はその自意識が呑気な側が、先鋭な側との交渉において舐めることになった「苦杯」と言えるのではなかろうか。

彼の地の連中は何かにつけfairnessとかjustisといったことを喧しく言うが、それはとりも直さず現実がそうではないということでもある。公平であるとか正義であるとか、公明正大であるというようなことを理想とすることに何の異論もないのだが、そういうことが実現できると本気で信じている人は、「人間は社会的な動物である」との一文をどのように解釈するのだろうか。

所謂「グローバル化」のなかで日本語を母語とする側も共通感覚が薄くなっている、と思う。また、グローバル化とは個人が特定の文化共同体とのつながりから距離を置き、孤立化へ向かうということでもある。「苦杯」を舐めるのは異言語との交渉においてだけではなく、母語話者同士の関係においても同じようになるのは、もはや時間の問題でもある。

 この個人個人が孤立した、相見知らぬ市民より成る近代における力動精神医学の問題は、いかに巧妙かつ安全に個人症候群に対処しようとするかにあると私は思う。

「三症候群の文化精神医学に向かって」本書94頁

うだうだとつまらぬことを考えていても埒があかない。しかし、つまらぬことを考えるほど楽しいことはない。たぶん、自分にとってはこういうことが精神衛生維持行動になっているのだろう。何事かを書くことで、それを読み返す自分が書いた自分との雑談のような働きをする。その時、自分は自分の友人になっているとも言える。

 人間の精神衛生維持行動は、意外に平凡かつ単純であって、男女によって順位こそ異なるが、雑談、買物、酒、タバコが四大ストレス解消法である。しかし、それでよい。何でも話せる友人が一人いるかいないかが、実際上、精神病発病時においてその人の予後を決定するといってよいくらいだと、私はかねがね思っている。

「治療文化の諸形態」本書133頁

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