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下積時代

何事も無き日々重ね悟り居る上が無ければ下も無きかな
(なにごとも なきひびかさね さとりおる うえがなければ したもなきかな)

60年近く生きてきて、下積というものが無い。功成り名遂げた人が、そこに至る雌伏の時を指して「下積」と言うのだろう。私は上がないので下もない。

毎年春に東京北区の小さなギャラリーで自分の陶芸の作品展を開いている。昨年は案内状を出した後、感染症でそういうことができる状況ではなくなってしまい、中止の連絡を送ることになった。会期中に日替りで会場の隅に置くつもりだったチラシがあった。それも一緒に同封して大きな封筒で送った。今年は作品展そのものを計画しなかった。去年のギャラリーの賃借料の内金がそのままなので、オーナーご夫婦の無事を祈っている。

10年ほど前、初めて作品展を開くとき、ギャラリーとか案内状の作成といったこを全て口コミでやることにした。当時はすでに今とそう変わらぬネット環境だった。ネットで検索すればギャラリーを探すのも、案内状の作成をするのも、簡単に済むことだった。しかし、手仕事の展覧会なのだから、細々としたことも全て手仕事でやってみようと思ったのである。こういうのを遊びという。

最初の難関は、私に友達がいないこと。ギャラリーなんていうものに縁がない。そこで、行きつけのコーヒー豆屋で、作品展のことを話した。数日して、また豆を買いに出かけたら、店の常連客からの勧め、ということでギャラリーを紹介してもらえた。その常連客は、当時、文京区小日向に住んでいて、埼玉県の大宮の職場まで自転車で通勤していた。その途中に巣鴨のコーヒー豆屋も北区のギャラリー・カフェも位置していた。

そのギャラリーは古いアパートを改装したものだ。一階をカフェにして、二階をフリースペースにしている。その二階は週単位の賃貸で、ギャラリーはもとより、音楽の演奏、ヨガ教室、何か手仕事のワークショップなど、さまざまに利用されていた。建物の佇まいも良かったので、即決。

案内状は、やはりコーヒー豆店の別の常連客からデザイン事務所を紹介してもらった。デザイン事務所に案内状を作ってもらうような立派な作品の展覧会ではないのだが、せっかくなのでそこで案内状を作ることにした。

デザイン事務所を紹介してくれた人は巣鴨で小さな貸スタジオを経営している。かつて、落語の立川流は所属する噺家が家元の談志に上納金を納める仕組みで、しかも協会に属していないので寄席に出ることができず、独自に落語会を開く場を開拓しなければならなかった。その貸ホールも立川流の噺家の落語会の会場となっている。私がここで聴いたのは立川キウイだけだが、たまに志の輔も来るらしい。噺家は義理堅い人が多いらしく、大御所となっても下積時代に世話になった所で会を開くというのをよく耳にする。落語以外にもさまざまなイベントを開くので、案内状の作成業務も日常的に発生する。

デザイン事務所は恵比寿にあった。案内状をデザインするのに作品が見たいという。もっともな話なので、碗や皿を多数運び込んだ。なかなか味わいのある案内葉書が出来上がったが、印刷の最低単位が500枚だか1,000枚だかで、必要枚数の何十倍もの数だ。そんなに印刷してどうすんだ、と思ったがせっかくなのでお願いした。いまだに数百枚が手元にあり、どうしたものかと思案に暮れている。

作品展前日、レンタカーで作品を搬入。たくさんあると思っていた作品は、並べてみるとスカスカだ。これはまずいと思って、陳列台にさまざまな風呂敷を敷いて、なんとなく場が賑わっているように見せ、その上に作品を並べることにした。当時の勤め先があったビルの下層階に手ぬぐいや風呂敷などの布製品を扱う店があったので、そこへ行って、店頭にあった風呂敷を全種類買い求めた。ようやく会場の恰好がついた。

五日間の会期の売上はギャラリー代を賄う程度だった。それ以外の費用は持ち出しだ。大出血だが楽しかった。これで毎年続けることができればよかったのだが、並べる作品がなくなってしまい、二回目まで間が空いてしまった。さすがに二回目からは要領もわかったので、案内状は自分で作るなどして収支トントンに収めることができるようになった。

今度開催するとしたら、また何か変わったことをやってみたいと思っているが、感染症の状況次第ではどうなるかわからない。

話は変わるが、志の輔で思い出したことがある。ここ数年は寄席にも独演会にも足を運んでいないが、立川流では志の輔と談春は何度か独演会に出かけたことがある。志の輔は切符を取るのが容易ではないが、無理して切符を取ってまで聴くほどとも思わない。ただ、たぶんすごく良い人だとは思う。噺が丁寧だ。いわゆる落語に馴染みのない人を惹きつける噺の構成、マクラでの伏線の張り方、噺そのものを全て心得ていると思う。だから人気が出る。

しかし、私はそういう落語は野暮だと思うのである。何事かを共有している者の間でしか通じないことの一つや二つがあって、10人のうち3人くらいしか愉しいと思わない、というのが芸だと思うのである。数を集めさえすればいい、という市場経済とピッタリ重なるような価値観のものは、「面白さ」という世間とのズレを愉しむ趣向と相容れない。最後に志の輔を聴いたのは2018年5月24日、赤坂ACTシアターでの独演会だ。2時間かけて「中村仲蔵」を口演した。前半1時間は歌舞伎の説明。20分の休憩を挟んで噺だった。確かに、歌舞伎のことを知らなければ「中村仲蔵」はわからないところもある。しかし、噛んで含めるように基礎知識を客に仕込まなければならないという時点で噺としては破綻していると思う。

ただ、これはいいなと思った会もあった。10年ほど前だったか、小田急線の地下化で空いた地上の活用をめぐって下北沢で揉めたことがあった。どのような主張の一派なのか知らないが、その主張を宣伝して支持を集めるため、下北のライブハウスでいろいろなジャンルのアーチストがパフォーマンスを繰り広げるという催しがあった。出演者はLes cocottes、TWO-STRUMMER、KIRIHITO、立川志の輔、リリー・フランキー+上田禎、黒田征太郎+中村達也+田中泯。音楽のライブに挟まれていた所為もあり、高座は俄ごしらえの粗末で小さなもので、噺の途中で脱いだ羽織を置く場所もなく、それを抱えて口演を続けた。今となってはネタを思い出せないのだが、古典だったと思う。なんだかとても良くて、胸が熱くなった。

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