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図書館帰りのお花見

風がひとひらの花びらを運んできた。私は、髪に付いた桃色のそれを指でそっと摘む。
「あの人元気かしらね」私は、突然図書館に来なくなった男性を思い出した。

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「こちら3冊を借りられますね。わかりました」私の職業は図書館の司書。
 私がこの仕事をしている数年前からいつも図書館にくる男性が気になっていた。それは1月半ほど前から姿を全く見なくなっていたから。

 この日もその人は姿を見せない。もう慣れたけどまだ少しだけ気になる。今日は早番のシフト。時計を見るとちょうど時間が来た。
「ではお先に失礼します」「あなた最近元気がないですね。疲れているの」遅番の人が声をかける。
「いえ、そんなことは無いですよ」
「だったらいいけど、なんかねちょっと気になってるのよ。本借りに来る人の印象もあるしね」
 年上の同僚というだけあって、ずけずけとそんなことばかりを言う。

 元気がないのは気のせいだというのに。だからとっさに話題を変えてみた。「そういえば今日4月2日は、図書館記念日なんですよね」
「え? あ! あなた、そんなのよくご存じね」
「ええ、まあ一応関係者なので。ではお疲れ様です」といって逃げるように図書館を後にした。
「悪い人じゃないんだけどね」私は早番が好き。明るいうちに図書館を後にできるのは気持ちがいい。

 帰り道は小さなの河川敷沿いを歩く。ここは桜並木。幅数メートルの小川の両端には桜並木が続いており、この地域では少し名の知れた桜の名所。しかしよく見ると、花びらに水滴が溜まっている。「そっかさっきまで雨降ってたのよね」私は傘を図書館に忘れてきてしまったようだ。
「もう今日は戻りたくないし、多分もう降らないと思う。まあ駅まで急げば大丈夫か」と、自分自身に言い訳しながら桜を見る。
「それにしてもずいぶん咲いてきたわ。満開はもうすぐね」私はピンクの花びらを見て思わず口が緩んだ。

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「あ、図書館の人ですね!」突然私に声をかけてきた。私がその方向に振り向くと、折りたたんだ傘を持っている毎週図書館にくる男性の姿。
「あ、まあお久しぶりです。お元気でしたか」私はその人の顔を見て安心した。『引っ越しとかで遠くには行ってなかったんだ』と。

「実は僕、カフェを始めたんです」「あ、それで。3か月くらい前から料理本ばかり借りておられたのは?」
「よく覚えていましたね」男性は嬉しそうに笑う。その笑顔が本当に素敵なのだ。

「ええ、それまでは歴史の本ばかり借りておられたのに、突然本のニュアンスが変わられたので」「ええ、そうなんです。カフェをすることになったので、慌ててカフェに使えそうなメニューがないかなと思って」男性は白い歯を見せて笑う。

「では、最近カフェを」「そうなんです。ついに昨日店の開業したんです。で、その準備で図書館どころでは無くて」と言って頭の後ろに手を置く。

 それを聞いて私は安心した。そういう理由ならまた来てくれると思うから。「じゃあ、新しいカフェは奥様か彼女さんと」私は無意識に探りを入れてしまった。
 でも彼は首を横に振り「いえいえ、僕は独身ですし、恋人もいません」「え、では、ひとりでカフェを?」

「実は姉とやっています。実は僕は店の準備で忙しいので、しばらく代わりに姉が本を借りに来ていたんですよ」
「お姉さまと」私の問いに彼は軽くなづく。
「ええ、おかげさまで予定通り開業できました。今日はちょっとだけ店を姉に任せて、気晴らしに僕たちが借りていた本を返しに行くところです」
 男性はそういって手に持っていたカバンから借りていた本を出した。私はそれを手に取って眺める。それはカフェフードのレシピ本だ。

「あのう、よろしければこれ私がお預かりして、明日返しときますよ」私はとっさに口走る。男性は目を見開き「え? そ、そんな!」と驚きの表情。
「実は私明日も私シフトで早番なんです。この本は予約も入ってません。だから私が明日朝出勤したら返却の手続きしておきます」

「え、いいんですか?」「はい、でもその代わりなんですが」
「なんでしょう」
「今から、その新しいカフェに行ってもいいですか?」私は大胆なことを言い続けた。このときばかりは不思議と口が滑る。

「もちろんです。まだまだ始めたばかりで、あの花のつぼみのような状態ですが、それで良ければどうぞご案内しましょう」男性は嬉しそうにまだ咲く前のつぼみに視線を置く。

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「あ、雨が降り出しましたね」私の予想に反して雨が降ってきた。
「どうしましょう傘を忘れちゃった」「もし、良かったら」こうして私は男性の傘に入れてもらって、カフェに案内してもらう。
 私は無意識に顔が赤くなった。それを隠すように顔を上げる。そしてまもなく満開の桜を眺めた。


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シリーズ 日々掌編短編小説 437/1000

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