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400字詰原稿用紙で書く400メートル走

「店長って、陸上やってたんだよね」ここはとあるビアバー。海外のビールやクラフトビールを扱っているということでファンも多い。この店を切り盛りしているのは、日本語が堪能なフィリピン人女性のニコール・サントス。彼女に会うのが目的の人も含め、この店は常に常連連客でにぎわっていた。

「木戸さん、私確かにやってました」
「じゃあなにやってたの」常連の木戸は、すでにビールを4杯目。けど理性を崩したこともなく、素晴らしいお得意様だ」

「一応200メートルです」「へえ、短距離走。それって100メートルのような全速疾走じゃないの!」以前気になっていた白髪を隠すうに全体を茶髪にした木戸は、元気な声で質問する。
「まあ、過去のことです」ニコールはこの話題に触れたくない気持ちがあった。代わりに営業スマイルを木戸に見せる。

「おい、今井君。今日はずいぶんおとなしいなぁ」ここで木戸は同じ常連仲間の今井がいつもと違い、タブレットと睨めっこしていることを気にした。
「ああ、木戸さん悪いが、今ちょっと忙しいんだ」
「仕事? ふん。そんなもの家でやれよ。ここはビアバー。仕事場じゃねえだろ」

「木戸さん。ちょっと本当に黙っておいてくれる。今日は特別なんだ」「ち、つまらん奴だ。店長こんな今井の奴ほっときましょう」
「そんな! あ、今井さん。次何します」
「ああ、ギネスパイントもらいましょうか」といってタブレット操作しながらも、最初のギネスパイントグラスに入ったビールを、最後まで飲みつくす。

 店長ニコールは、ギネスの専用サーバーを動かした。鮮明にグラスに注がれる窒素混合ガスで入れられたギネスは茶色だ。ここでギネスを入れたグラスを置きグラス内で進んでいる分離を待つ。波打つようにきめ細かい泡は上層部に。そしてその下。液体部分は、ギネスビールのダークな色で統一されている。

 分離を確認して、サーバーのレバーを握り、先ほどとは逆にレバーを倒す。まるで絵を描くかのようにゆっくりと注ぎ入れ、表面張力まで泡を乗せられれば、ようやく提供てきるのだ。

「お待たせしました。今井さんどうぞ」今井は2杯目となるパイントに注がれたビール。ニコール店長からもらったギネスに一瞬視線を置いた。その後しばらくの沈黙の後、ようやく口をつけ満足げな表情。だが再びタブレットの操作。

「店長。先ほどの続き。400メートル走はやらなかったんですか」「え、わたしはそれは... ...」
「聞いたけど。あれって短距離走の限界らしいね。ペース配分も大切なんだとか」
「そ、そうなんですね。ニコール店長は適当にごまかした」

「よしできた!」突然大声を張り上げる黒縁眼鏡の今井。
「急に何大声出してなんなんだ!」木戸の鋭い突っ込み。
「いや、400字詰原稿用紙の範囲で400に関する物語を考える課題があってさ。横で木戸さんが、400メートル走のこと話してたでしょう。それでひらめいたの」

「はあ、お前聞いていたのか」「ハイ。おかげで400メートルをモチーフに創作できましたよ。なんなら今から朗読でも」

「ち、そんなのいらねえよ。てめえのマスターベーション記事なんてクソくらえだ!」
「でも、私は聞いてみたいわ」とニコールは話に割って入る。
「あ、さすがニコール店長。では早速始めます。

 今井は大きく深呼吸をすると出来上がったばかりの原稿を読み上げる。

トラック一周の400メートル走。他の短距離走同様にスタートの音が鳴る。一斉に走る選手たち。短距離の限界ともいえる距離。全速疾走への警戒がある。しかしそれを気にせず逃げ切る選手が大きく水を開けた。さて100メートルを超えて200メートルを過ぎる。ペース維持で淡々と走る集団。あるいはその後方で時を待つ者がタイミングを待つ。300メートルをすぎれば最後の直線だ。先行の逃げ切り選手はいよいよ限界への挑戦。だがペースオーバーの反動は容赦ない。さらに速度の低下。それを見越して前に出たのはマイペースで走る一団。残り50メートルで先頭を捉えた一行。もう逃げ切り選手に挽回の可能性は低い。ここで後ろにいて貯めていたひとりがスパートを切る。先行選手をあっけなく抜き去ると、先頭を走っている集団に襲い掛かる。我慢してためていた最後のエネルギーは半端ない。さあ残り10メートルで後姿をとらえた! 一気の走りで逆転ゴール。

400字で表現する400メートル走

「へえ、今井さんすごい。本当に400字なのね」「はい、ニコール店長どうにか」

「おい、今井、それってまるで酒の飲み方だよな。ペース配分とかって」すかさず突っ込む木戸。
「木戸さんそれ僕も思いました。酒も400メートル走も同じかもしれませんよ」と、あっさり今井は認めた。

「でも、木戸さん、今井さん。ひょっとしたら関係あるかもしれませんよ」強引に話をまとめようとするニコール。
 そして間もなく空になったグラスに意図的に視線を送り、木戸にお代わりを促すのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 400/1000

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