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夢を食らいそして与える

「あれがバクか。まるで白いパンツをはいているみたいだな」
 海陽は優奈を連れて動物園に来ていた。目の前にはマレーバクがいる。ふたりがバクの前にきたのは、動物園の入り口にこう書いてあったから。
『本日4月27日は、世界バクの日(world tapir day)です。絶滅の恐れがあるバクの保護を、世界中で呼びかける日。ぜひ当園のマレーバクを可愛がってください』
 そのためか、いつもならもっとメジャーな動物に、多くの見物客が集まるのに、この日ばかりはマレーバクの檻の前に、多くの見学人が来ていた。海陽と優奈もそのなかの一員。

「バクって、確か人の夢を食うものよね。まあまさか目の前のバクが、そんなことするとは思わないけど」
 ストレートでセミロングの黒髪をかき上げながら優奈はバクを眺めた。実は、最近優奈は元気がない。それを気にした海陽が元気になってもらおうと連れてきた。どうやらそれは正解だったよう。優奈に笑顔が戻った。


「獏(バク)は中国の伝説上の生き物。夢を食べるといっても、どんな夢でもを食べるわけではないようだ」
「どういうこと?」
「悪夢を見たときに唱えるんだ」海陽がここで軽く深呼吸。そして目をつぶる。「そして『この夢を獏にあげます』と唱えるんだ。そうしたら二度とその悪夢を見なくて済む。つまり獏が悪夢を食べてくれたというわけさ」

「へえ、何で知ってたの」「ああ中学のときの先生。社会科で中国史が好きな先生だったんだ。よく授業とは無関係に、中国の文化とか歴史の話をしてくれた。その中でも獏の話が一番覚えてる」
「そうなんだ、何で?」
「あのときから、僕には夢があったから。子供のころの絵本で獏が夢を食べる生き物と知ってから、ずっと獏に食われないかと心配してた。だけど先生の話を聞いて安心したんだ」海陽は口を緩めて苦笑い。

「じゃあ海陽君の夢って!」
「ああ今進行中だけど、プロのダイバーになること。ダイビングの良さを教えてくれた父から『プロは大変だ』と言われてるんだ。でも絶対にプロになりたい。できたら石垣島あたりのダイビングショップで働きたいよ」
「大丈夫。それ悪い夢じゃない。絶対バクに食べられないわ」優奈は励ます。
 海陽は目の前のバクと目が合う。その瞬間頭を上下に動かしたので、あたかもバクが話を聞いてうなづいたように見えた。

「そっか、でもそれは偶然ね」「え?」
「いや、実は私の今の夢も中学の先生の影響だから」
「優奈ちゃんの夢も、中学の先生と関係あるんだ」意外な一致に海陽の目は大きく見開く。

「うん、私の夢は哲学者になること。2年のときの担任の先生がね、ホームルームでよく女性の哲学者の話をするのよ。それで彼女たちの努力が今の女性の地位向上とか、生活へのヒントにつながっているような話を聞かされたわ」
「へえ」
「多くの子は、先生の話を適当に聞いてたみたい。だけど私は違ったわ。その先生の話を聞いてたら、自分も将来哲学者になりたいって思ったの」
「哲学者かぁ、すごい、それは大きな夢だね」海陽は満足そうに何度もうなづいた。

「うん、でもね。哲学者になりたいって言っても、簡単になれるものかわからないでしょ。なり方も知らないし。だから昔の哲学者の本とか毎日読んでいるの。これ初めて何年になるかしら」優奈は左手を出して指で数え始めた。

「はじめて、もう、3・4年になるか。だからかなあ」「どうしたんだ?」
「昨夜もだけど、最近哲学者が夢に出てくるの。それも悪い夢が多くて......」
「優奈ちゃんそれは本の読みすぎだよ。たまには哲学と関係ない本とか読んだら」
 優奈は小さくうなずく。
「そうよね。今日がバクの日なんて動物園に来るまで知らなかったわ。てっきり哲学の日だと思ってたし」

「哲学の日? 今日が」「そう、ソクラテスが紀元前399年の4月27日に獄中で毒を飲んで死ぬ日だからなの」
「良く知っているというか。そんな哲学者ばかり追いかけているから悪夢にうなされるんだよ。多分優奈ちゃんが慌てすぎだと思う」

「だよね。なんで私が最近そんな夢見るのかなって思って、昨夜なんてこんな夢よ」

 優奈は昨夜の夢を覚えているらしい。彼女によるとこうであった。

 ちょうど獄中のシーンでソクラテスが中にいる。そこに弟子のプラトンがきて「先生、逃げましょう。鍵も開いたままですし、牢番には私のほうから」と脱獄するように説得するが、ソクラテスはそれを一蹴。
「プラトンよ、単に生きるのではなく、善く生きる意志を貫く。すでに死刑が決まっているのに、亡命など不正以外の何物でもない」と言い切った。
 その後展開が変わり、処刑のシーンになる。ここにきてソクラテスは、目の前にドクニンジンが入った杯を見ていた。ここに来てさすがに死を目前にして震えるソクラテス。平静を装いながらも心臓の鼓動が耳元に聞こえた。    また額から汗が浮かぶ。目の前の恐怖に打ち勝とうと己を奮い立たせた。そして杯をいよいよ口の中に。

 そのとき夢が終わる。

「どう、これ昨夜のほか3日前にも見たの。もうそれで気分が本当にすぐれなかった。哲学者の夢ってやめたほうが良いかしら」
 優奈が元気がない理由がわかり、さらに悪夢の話に思わず目をつぶって辛そうな表情をする海陽。数秒の時間が流れると目を開ける。
「よし、その夢バクに食べてもらおう」「バクって何!」驚いた表情の優奈に、海陽は目の前のバクを指さした。

「ち、ちょっと。ふざけないでよ。目の前の彼はバクという名前が同じであって、その中国の獏とは別なのよ」
 ところが海陽は首を横に振る。

「いや、そうでも言えないんだ。マレーバクは今でこそマレーシアにしか住んでないけど、元々は中国にも住んでいたらしい。で、実在するバクをみて、伝説上の獏を創造したといわれている。だったら優奈ちゃんの夢である哲学者を目指すこと。それを邪魔をしている悪夢はバクに差し上げよう」
「......それも中学の先生から?」「いや、これは高校の先生から」
「ふうん。でも、それだったらいいかも」

 優奈はバクのほうを向く。そして目を見つめて心の中で唱えた。
『バク様、私の夢を叶えるために。それを邪魔をする悪い夢を差し上げます』そして一礼した。バクは上下に頭を動かしながら後ろを向くと奥に歩き出す。それは願いを聞き届けたのか? バクは後ろを向いて優奈からもらった悪夢を食べているように見える。いくらでも想像できる状況だ。

「あ、ちょっと別のこと言うの忘れた。実は獏とは別に伯奇(はくき)というのがいて、そっちが実は夢を食うとか、獏のモデルはジャイアントパンダという説もあったんだ」
 海陽の言葉に驚きの声を上げる優奈。「ちょっと!なんで、バクじゃないっていうの!」
「いや、数ある説のひとつだから。だってこれ先に行ったら多分ダメだと思って。でも、バクはあそこで、後ろ向きながら優奈の悪夢を絶対食べてるよだから大丈夫。あとは叶える夢のために頑張ろう」

「もう。海陽君」と言いながら、優奈は顔を赤らめて海陽の右手を両手でつなぐ。そして耳元でささやいた。
「さっきの話だけど。海陽君がプロのダイバーになるの、私応援しているから。石垣島にもついていくかもね」


参考

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旅人・文筆家。2020年からほぼ毎日のペースで掌編・短編小説を執筆中。2021年は月替わりの「画像で創作」年間企画の「皆さんの画像をお借りします」をやっています。また、ツイッターでも短い小説つぶやいています。 https://twitter.com/2018kumakuma