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よるべなさをアートにかえて

「なんか、お話しましょうか」

と言われたのが先々週。

私は訪問リハのお仕事で、夏前くらいから行かせてもらうようになった男性にこのように言われたのだ。

ファーストコンタクトは彼からの注意で幕を開けた。「君ね、いちいち確認しなくていいよ。」と血圧などのバイタルサインを確認している時におっしゃられ『あまり話しかけてほしくない方なのかな』と私のなかで強く印象に残ってしまった。

それ以来、彼がいつも韓流のドラマを熱心に見ていることもあり、私からは訪問中は極力話しかけないようにしていた。

彼からは時々質問を頂いた。

足のむくみのこと

自主トレーニングのこと

栄養のこと


私は、自身が持っている知識を過分でもなく不足しているでもない程度のものを意識しながら、彼に伝えていた。ファーストコンタクトの件もあり、こちらからの会話はなるべく必要最小限に留めていたのだ。

彼は音楽家。

今も現役で活動されている。

かなりのご高齢なので、今回はあるきっかけで入院することとなったが、コンサートの開催日に間に合わせるように退院し、見事復活を遂げた。

今の目標は、これからもコンサートが開催できるように入院せず、転倒せず、健康的に過ごせること。近くのコンビニエンスストアまで自分の足で歩いていけること。

「なんか、お話しましょうか」

冒頭の場面に戻る。

私は彼からの提案に『どうしたんだろう?雑談したいのかな?』と思いながら、以前から気になっていた彼の部屋に飾ってあった「クリムト」の絵について尋ねた。

「ああ、クリムト好きなんですよ」

と彼は笑いながら答える。いい笑顔が見られた。

そこから美術やアートの話になり、私も4月から通信制の美大に通っていることを伝えた。彼は「僕はなんといっても岡本太郎さんが好きなんだよね」とさらににこにことしながら答えた。

私は以前、岡本太郎さんの本を読む機会があり、かなり彼に対しては関心が高いことを伝えた。

彼はそれを聞いてめずらしく長く話し始めた。

「岡本太郎さんの絵もそうなんだけどね。生き方がいいんだ。僕は彼を尊敬している。若い頃東京でイベントをやった時に、同じところで岡本太郎さんもいたんだよ。それ以来ファンでね。
彼は苦労しているだろう?まわりにいじめられたり、無理解があった。でもへこたれず日本でも海外でも己の道を切り開いてきた。戦争も経験している。
表現ってのはさ、音楽もアートと一緒だよね。
つらいこと、悲しいこと、孤独、怒り、そんな感情をね、そのまま相手にぶつけるんじゃなくてさ、もっと自分の表現として昇華させる。そういうものを生み出すエネルギーとして転換していけばいいんだよ。
今の人はすぐ現実でもインターネットでもそのまま自分の感情をぶつけてしまう。そうではなくて、違うカタチに変えること。岡本太郎さんはそんな事をやってきたんじゃないかな。」

神様の次に神聖な存在であるべき先生が、卑しい態度をとったり、矛盾したことを言ってごまかしたりすると、許せなかった。ヨチヨチの子供が、一人ぼっちで闘った。出る杭は打たれる。打たれても打たれても、頭を、そして心を引っ込めなかった。まったく孤独だった。一章でも言ったように、仲間の子供たち、ガキ大将のピラミッド集団とも闘った。辛くて、自殺したいと何度思ったかわからない。

岡本太郎「自分の中に毒を持て」

ぼくはかつて、「出る杭になれ」と発言したことがある。誰でもが、あえて出る杭になる決意をしなければ、時代はひらかれない。ぼく自身は前に言ったように、それを貫いて生きてきた。確かに辛い、が、その痛みこそが生きがいなのだ。この現代社会、システムに押さえこまれてしまった状況の中で、生きる人間の誇りをとりもどすには、打ちくだかれることを恐れず、ひたすら自分を純粋につき出すほかはないのである。

同著

私は以前読んだ本の内容を思い出していた。

痛みこそが生きがい

自分を純粋につき出す


彼を絵に駆り立てるものは、人生の中での孤独や不安であり、生きている痛みだ。

まさに「芸術は爆発だ」と言う名言が示しているとおり、心の中で溢れ出るものを、そのまままっすぐに出したものがあの絵であり、そして彼の生き方なのだとあらためて感じた。

私は彼に続けて質問した。

「音楽をやっていて、得たものはなんですか?」

彼は考えてから、少し間をおいて話し始めた。

「うまく言えないんですけどね、これは自分が好きだな.....とか、これはちょっと......とかそういうものがあるでしょう。それをずっと繰り返し繰り返し何回も何百回もやってきたんですよ。そうするとね、見えてくるものがある。自分がね、世界の在り方が少しずつわかってくるんですよ。
そういうところなのかな....と思うよ。」

「それはアートでなくても、音楽でも、スポーツでもなんでもそうなのでしょうね。」と私が返すと、彼は黙ってうなづいてくれた。


私は「このようなお話をうかがわせてもらえることは、大変幸せです。」と彼に伝えた。

彼も「そうだね、こういう話はする人としない人がいるね。」とだけ答えた。


訪問の時間が終わり、私は彼の自宅をあとにした。


それからしばらく頭の中でこの話が残っていた。
私は何かに惹かれるように岡本太郎さんの記念館に一人で出かけた。

キャンバスがたくさん!

記念館で感じたことは、当たり前のことではあるが、彼はたくさんの絵を描いていること。数えきれないキャンバスが置いてあり、視覚で訴えてくるものに圧倒された。

そして、幼少の頃から彼の絵は一貫していた。彼の言いたいことはかなり明確にあって、頭の中をそのまま描きあらわしているのだなと思った。

私も続けるしかないのだ。

生きていく中で、好きだったり、そうじゃなかったり、繰り返し繰り返し、研いで磨いていくことで、少しずつ少しずつ輪郭をなぞっていけるように。

その先に見えて来る景色を楽しみにしながら

これからも続けていきたいと思っている。

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