支える人を支える
ケアについての本を読む。
読んでいるのは、仕事に関係するからというだけではない。
私自身が日々悩むことがあるからだ。
仕事で関わる人たちは、国で決められた料金を頂いており、プロとして働かなくてはという意識がある。
そして、仕事以外でもケアについて考えることは、私にとってはかなり必要なことであると思っている。
それは、この東畑さんの著書で言うところの「専門家の帽子を脱ぎ、自分の人生をきちんと生きる」という表現がふさわしいと思う。
心の専門家が学んだ専門知
一般人が日々培っている世間知
このいったりきたりが必要になってくる。
繰り返すが、私にはそれは大変必要なことである、と思う。
話を元に戻す。
東畑さんの本を買ってずっと読まずにいたので、ふと待機時間に読んでみた。
先週の半ば、夫とリハビリテーションの大学の講義に2人で出かけた。
毎年この時期に「基礎作業学」という授業を2コマ受け持っている。
彼が1コマ、私が1コマ。
もう今年で夫は7度目の講義になる。彼の話し方も手慣れたものである。
だからこそ反省も多い。授業後に、内容は毎年変化を持たせなければ……そういう話にもなった。
講義までの間にこの本を目にして読み始めたら、かなり身につまされることが書いてあった。まだ読み途中ではあるが
本は
出会いたい時
導いてほしい時
自分のことばが欲しい時に
欲しいものが書いてある
といつも感じる。
「聞く」と「聴く」
の話も目から鱗だったが
(ここには今日はふれない)
私が今回一番響いているのは
支援者の孤独の話だ。
ケアする人の孤独。
人間は自分の存在を認めてもらえないと、行き詰まってしまう。
人間不信やトラウマになるような出来事に出会う時。人は孤立して孤独に陥る。
孤立しそうになった人、あるいはもうなっている人、人の手助けが必要な人を孤独にさせないように、日常生活が送れるようにケアする人がいる。
ケアをする人たち。
幼い子供を見守り育てる人
お年寄りに訪れる衰えや老化を支える人
障害を持つ方を介助する人
病気を持つ人を治療する人
もっともっと些細な関係性でもいい。
先程の「世間知」を日々私たちは発揮している。
それは家族に
友人に
恋人に
同僚に
なんとなく元気がないと声をかけたり
休むように促したり
その人の好きなものを用意したり
あなたが必要であることを表現する。
ケアは日常にごく当たり前のように存在していて
何も特別なこともなく
世間知でお互いを癒し
回復していく。
そしてここが大事であるが
「ケアする人は孤独になる」
とこの本では書かれている。
支援者自身が支援してもらう必要がある
とはっきりと書かれている。
孤立している人は
声をかけるだけではうまくいかないことが多い。
それは、孤立している人はコミュニティーの中で1人になっていると感じており、そういう時は対象者はコミュケーション不全に陥っている。
「お前は無価値だ」
「お前はいらないんだ」
といった声に支配されて、うまく人の話を聞けなくなってしまう。
そんな状態の場合には、ケアする人にどんなにやさしい声をかけられても、その人のことを疑ってしまったり、信頼できなかったり、敵だと思ってしまうことすらある。
このやり取りにケアする人も傷つく。
そして孤立を救おうとする人は
やはり
同じように孤立していく。
ケアする人は数値化されるものでもなく、世間に気づかれにくい性質を持っている。
その人がいなくなってからはじめてその存在を意識する。
たとえば、いつもたたまれてタンスにしまわれていた洋服がなかったり、トイレの中のトイレットペーパーが補充されていなかったり、そういう綻びが出てきてから、はじめて母親の存在を意識したりもする。
支える人を支えること
私には何もできない....と無力を感じる場面は日々あるが
誰かを支える人を
支えることが
結果的に
向こう側の
ケアする人を
支えている
というはたらきを
私たちは意識してみてもいいのかもしれない。
わたくしごとだが、近々、私の義母が入院する。
膝の痛みが強く人工関節を入れる手術を希望しているからだ。
彼女が日々1番支えているものは、義父である。
彼女が入院する事で、義両親宅の生活は何かしらの綻びがでてくるのでは、と私は予測している。
そこではじめて彼女のしていたこと
日々のケアを目の当たりにするかもしれない。
あなたのまわりにもケアする人は必ずいる。
そういう人の話を聞いたり
やっていることを労ったり
気にかけるだけでも
その先のケアされる人の力になることを
私たちはもっともっと意識してもいいのかもしれない。
そして自身がケアしている人は
日々すり減っていく感情があるのであれば
誰かに声やメッセージやヘルプをあげることを
ためらわずに行ってほしい。
生きづらいこの世の中で、やさしい循環が巡ること。
きっと、自分のささやかな行動で、少しずつ変わる可能性があることを、誰しもが忘れないでほしいと切に願う。
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