喫茶ブラジルと青いノート
私は20cm程度の茶色の紙袋を持って、作業テーブルに向かった。
丸椅子に腰かけて、隣の車椅子に座っている相手と目くばせをする。
その相手の女性は、短い白髪で目が大きく、小柄な人だった。私の行動をやさしい小動物のようなまなざしでじっと見つめている。
私は紙袋からコーヒー豆を取り出し、手動のコーヒーミルの本体へそそぐ。辺りがコーヒー豆のいい匂いに包まれる。
カラカラっときれいな軽い音を立てて、豆は本体の底へおさまっていく。
「さ、やりますか」
と私は言った。女性は
「え、できるかしら」と返した。
私はコーヒーミルを女性に渡した。
女性を仮に春野さんとする。春野さんは、渡されたコーヒーミルを手元に持ち、グリップを握ってまわそうとする。
ガリガリッ
音が聞こえる。豆が削れる音。コーヒーのいい匂いがより一層私たちを刺激する。
春野さんは力を入れてまわしていたが、途中で動作は止まる。
「私じゃ力が足りないわ。おたくが続きをやってちょうだい。」
大きい目で私に訴えてくる。私はこうなることを見越していたので「いいですよ。やりましょう。」と頼みを引き受ける。
ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ
私の方が力があるので、音も大きい。
あっという間にコーヒー豆は粉の状態になった。
「さ、じゃあやりますか」
「はい、やりましょう」
こうして毎週「喫茶ブラジル」は午後のあたたかい時間のリハビリテーション室で営業を開始していた。
営業と言ってもお客さんはスタッフと利用者さんだけだ。
店員は春野さんと私。もちろんコーヒー代は無料。
私は白いエプロンをつけて、コーヒーメーカーへ先ほど挽いたコーヒー粉と水をおさめ、スイッチを入れる。
あとはできあがるまで待つだけだ。
ぽたぽたとコーヒーが小さな音を立てて、コーヒービーカーへゆっくりと雫になって落ちていく。
私たちはそれを見つめる。
時間がゆっくりと流れる。
「春野さん。」
「何でしょうか。」
「ブラジルは遠いんですか?」
「そんなの私も忘れちゃったわよ。もう何十年も前なのよ。」
「そうですか。遠いんでしょうねえ。」
私はある時は世界地図を持ってきて2人で眺めてみた。
「ブラジル・・遠いわね。」
「遠いですね。」
ブラジルは遠い。
春野さんは若いころ、ブラジルに住んでいた。
細かい理由は忘れたけど、確か父親の仕事の関係であった気がする。
そこで、コーヒーの会社に勤めていたそうだ。春野さんはおぼろげながらもコーヒー農園の風景を覚えているらしかった。
そこから「喫茶ブラジル」の名前を付けた。
喫茶ブラジルは、食欲がない彼女のために、私と夫が考えて作った店だ。春野さんは施設へ入所する前から食欲がなかった。「なんでもいいから、食べてくれるといいんだけど」という看護師さんの話を聞いて、栄養士さんにも確認を取りながら、開店させた。
喫茶ブラジルでやることはコーヒーを挽いて入れること。
そして春野さんにはコーヒーを飲んでもらい、ゆったりとお菓子も食べてもらう。お菓子は事務室にあるものをもらって私がチョイスして渡していた。コーヒー豆はちゃんとブラジル産のものを夫が出先の仕事の間に購入してくれていた。
「今日はどんなお菓子なのかしら?」
「今日はですねー。チョコレートです。どうぞ。」
春野さんは私とゆっくりとお話ししながらコーヒーとお菓子を楽しんで召し上がってくれた。
「コーヒーなんか好きじゃなかったんだけどね。」春野さんは笑顔でつぶやいた。
「ちょっと余ったコーヒーをふるまってきますね。」そう言って私はコーヒービーカーを持って、通所リハの男性陣にコーヒーをサービスしに向かった。コーヒーを好むのは男性の方が多かった。私は男性陣にエプロンをひやかされながら、コーヒーをそそいだ。春野さんはにこにこと遠くから大きな目で私を見守っていた。
春野さんにはご家族がいらっしゃった。息子さんとお嫁さん、小学生の2人の孫。施設への面会は比較的多く、私もお会いする機会があった。彼女は認知症の症状がみられたため「認知症短期集中リハ」というリハの加算をとっていた。コーヒー喫茶はその時間のサービスの一環として行っていた。
春野さんの認知症の症状に対してもう一つ行っていたのが、メモリーノートだ。
メモリーノートはその日あった出来事や、ご本人から聞いた話を私やご本人が記し、少し経つと忘れてしまう春野さんのために思い出せるような物として存在していた。
その他にも、春野さんのご家族が面会にいらっしゃった時にそのノートを確認することで、どんなリハビリテーションを受けたかを確認することができる役割ももっていた。
私は春野さんに聞いたブラジルの話や、一緒に庭へ行って撮った写真、お正月に向けてお花の折り紙を作った時の写真なんかをその青いノートにはさんでいった。二人の思い出の数だけ、ノートはごつごつと厚くなっていった。
そんな毎日を過ごしていたが、少しずつ春野さんの食欲も戻ってきて、歩く力も随分とつき、歩行器で長く歩けるようになってきていた。
安定してきた春野さんは、次の施設への行き先が決まり、その前に息子様ご家族のおうちへ初めてのショートステイをすることが決定した。
私はお家へ出発する前に、ご自宅の環境を聴取し、春野さんの身体状況を踏まえて、ご家族へアドバイスを行った。春野さんは嬉しそうに家族とともに車で去っていった。
数日後、春野さんは施設へ戻ってきた。いよいよ他の施設へ移る日にちが近づいてきた。
私たちはこの施設で最後となるリハビリテーションの時間を過ごしていた。
「最後ですけど、あれやりますか。」
「そうしましょうか。」
2人はいつものようにコーヒーをゴリゴリと挽いて、コーヒーメーカーにセットした。
ポタポタとコーヒーが落ちていく。
私はこのコーヒーが全部落ちなければいいなぁと思っていた。
全てが落ちてしまった時は終わりの始まりだ。私たちの喫茶ブラジルは本日で閉店なのだ。
落ちている間、私は質問をした。
「息子さんのお家はどうでしたか?ゆっくりできました?」
「ゆっくりなんてできないわよ。孫がにぎやかでね。みんなでパーティーしたのよ。そうだ・・これ」
春野さんは私に青いノートを渡してきた。2人で綴ってきたメモリーノートだ。
春野さんは私に開けるようにすすめている。私はノートを開いてみた。
そこにはご家族と春野さんが笑顔で撮った写真が挟まっていた。
机にはケーキが乗っている。みんな楽しそうだ。これがパーティーか。
ノートをもう1ページ開くと、見慣れない字が書いてあった。それはお嫁さんから私への手紙であった。
担当の方へ
このノートを最初から最後まで改めて読ませてもらいました。
母がどのように施設で過ごしてきたのかよく伝わってきました。そして母とみんなと一緒にノートを見ました。母は相変わらず忘れている部分もありましたが、楽しい思い出だったようで、笑顔で話してくれました。家ではアドバイスのおかげで無理なく過ごすことができました。孫たちとケーキを食べてパーティをしました。元気が戻って良かったです。今までありがとうございました。
私は読んでいて、胸の奥がじんわりとコーヒーを飲んだ時のようにあたたかくなって、春野さんと最後のコーヒー喫茶を過ごした。春野さんも大きい目を細くして、私を見つめていた。
春野さんが退所して、「喫茶ブラジル」も幕を閉じた。
冬の季節になると、私はあの喫茶ブラジルで春野さんと過ごした時を思い出す。
それは、コーヒーのように胸の奥がじんわりとあたたかくなって、もう会えないことを思い出すちょっと苦みのある思い出なのだ。
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