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ことばがいらない場所


ことばは人を包み込んだり
やわらかい気持ちにしたり
ここにいていいんだって思えるような

羽根布団みたいな
軽くて
ふわふわしてて
あたたかな側面もあるけれども

一方で

時には人を傷つけたり
自信をなくさせたり
もうここにはいたくないというような

まるで水を含んだ衣服のように
もがき苦しみながら
うまく抗えずに
深く深く
海の底に
人を落とし込めてしまうような

孤独に陥らせる凶器にもなる。

そういう時に

私はある人たちを思い出す。

それは以前、施設に勤めていた時に関わらせてもらっていた、男性とおばあちゃんたちである。

その方たちは利用者さんで、私はリハビリテーションの場で、個別でも集団でも顔を合わせる毎日を過ごしていた。

男性を仮にナカイさんとする。

ナカイさんは脳の病気により、ことばがうまく出てこない後遺症を持っていた。彼は介護保険の第二号保険者の年齢にあてはまる、かなり若い部類の利用者さんだった。

独身で、おそらくもともと軽度の知的、あるいは発達的な障害があったと思うのだが、瓦屋根の修理や、車の整備点検をしたりしながら生計を立てていた。

彼は非常にコンプレックスが強い人間であった。

おそらく、家庭を持っていて、そして公務員や世間的には地位が高いイメージの仕事についていた男性や、リテラシーの高い賢そうな男性が苦手であった。

そして、女性には自ら話しかけるのだが、女性に対してバカにしたような、からかうような、意見を否定的するようなコミュニケーションを取ることもあり、癖の強い人でもあった。

口を開けば「おもしろくない」というような方で、私はそれを聞いて「人生をおもしろくするのは自分だよ、人におもしろくしてもらうもんじゃない」と思わず何度も言いそうになってしまうくらい、彼は「おもしろくない」と繰り返し言うのが口癖であった。

ここまで書くと、相当嫌な人間であるような印象を抱くと思うが、そんなことはない。

彼には持ち前のやさしさがあった。
コンプレックスを刺激しない場面では、人に対してのやさしさを発揮し、積極的に助けたり、私が頼んだことをひきうけてくれるような素直な性格も持ち合わせていた。

私は彼のいいところをなんとかひきだしたくて、そして鬱的な気持ちから少しでも離れられる時間を持ってほしいがために

彼がコンプレックスをあまり感じないような、そのような場面をなんとか作ることにした。

それは失語症や構音障害を持った人だけが参加できる集団リハであった。毎週一回、みんなでおもしろいことしようぜ!というのが、私の狙いであった。

(本当は色々な真面目な狙いがあったのだが、ここでは省略する)

そのリハでは、とにかくみんな話せないのである。

大なり小なり程度はあるが、すらすらと話せる人はいない状態で全てすすめられていく。

いろいろなことをした。

豆まきをちらかり放題部屋中に気にせず巻いてみたり

お正月なのでノンアルで乾杯したり

焚き火ストーブでやきいもを焼いたり

花火をしたり

裏庭のやぎを見に行ったり

みんなで作品を作ったり

カラオケ大会をしたり

焼きそばやホットケーキを作ったり

施設内でかくれんぼしたり

やりたい放題である。

一部の職員からは「言語障害の方だけというのは差別に当たりませんか?他の利用者さんからずるいって思われているんじゃないですか?」と言われたこともある。

私はそこに反論したことがある。
彼ら彼女らはことばをうまく扱えないことでかなり傷ついているのだ。
それは私たちが想像できないくらいに。

そして他者と比べて話せないひけめを感じて、ますます話せなくなってしまっている。

だったらユートピアのような、ことばが重要ではない時間や場所をほんの少し持つことくらいいいのではないか、と。

(ずるいと言うなら他の方に自分で何かやってみたらどうかなという、当時は若さゆえにとんがっていた私もいた)

この会の重要人物はナカイさんだった。

ナカイさんは毎回リーダーシップを発揮してくれた。おもしろく盛り立ててくれたり、他のメンバーを開始時間になったら呼んできてくれたり、こちらの意図を察して動いてくれたりと、私は非常に彼に助けられたのだ。

この集団リハを続けてみてよかったなと感じたのは

自分と同じように困っている人がいること

そして、それも人それぞれ少しずつ違うこと

ことばが不自由でも、共にいられること

が、たぶんメンバーの心に芽生えてきて

孤独ではない瞬間が作れるようになったことだと思う。「いばしょ」というやつである。

彼はそこから活動的になった。生まれて初めて家庭菜園にチャレンジして、植物が詳しい元農家の利用者さんなどに自ら積極的に話しかけに行ったりと、行動が変わったのだ。

そんなナカイさんのよき相棒がいた。

1人はヨウコさんとする。

ヨウコさんはおばあちゃんだが、見た目は若々しい。妖精さんのようなピュアな雰囲気を持っていた。
彼女は幼い頃に電車にひかれてしまってから、耳が聴こえなくなってしまった。そしてその時に知的な低下も後遺症として残り、やはり1人で生活してきた人だ。

耳が聴こえないので、会話はできない。コミュニケーションは全て表情とジェスチャーのみである。

それがナカイさんにとっては随分と心地よかった。

2人はいつも一緒にいた。

その時に彼らにことばはない。

意思疎通にことばは必要ない。

ナカイさんがたまに拙い単語でぽつぽつと喋るが、それは全くヨウコさんには届いていない。

でもヨウコさんはにこにことしながら、ナカイさんの意図を読み取る。2人は塗り絵をしたり、音楽を聴いたり(ヨウコさんは聴こえてなかったとは思うが、それでも横にいた)植物に水を撒いたり、マイペースに過ごしていた。

「楽なんだよね」

とナカイさんは言った。

「ヨウコさんは話さないから楽」

もう1人のおばあちゃんを紹介する。

彼女はテルコさんとする。

彼女は認知症だ。かなり明るい部類の認知症で、けらけらと笑っていることが多い。見た目はザ・おばあちゃんという感じ。

彼女は一見なんてこともない普通のおばあちゃんだったが、彼女の塗り絵作品は、毎回破壊的であった。
うさぎが緑であったり
人が紫になる。
海が真っ赤であった時は
「赤潮にしても...」と思わず私もつっこみを入れたが、色のセンスが毎回度肝を抜かれるチョイスだったのだ。

ナカイさんはそんなテルコさんに根気よく付き合う。
「テルコさん、海はね、青いんだよ」
と彼女にやさしく言ってみる。

するとテルコさんはけらけらと笑う。
「そうかい、そうかい」と言いながら
そのまま真っ赤に塗り始めたり、あるいはナカイさんの忠告を素直に聞いて、青にすることもある。

ナカイさんはそんなテルコさんに毎回「ダメだなぁ」と言いつつ表情は愛おしそうに笑っていた。テルコさんもよくわからないが、自分の息子でもおかしくない年齢の男性に、いつでも面倒をみてもらっている状態が、なんだかとても心地良さそうであった。


ことばはつたわらなくても

きこえてなくても

あるいはなかったとしても


人と人はいられる。


その空間は

相互理解なんてものは置いてけぼりで

あなたとわたしが

ただそこにいるだけでいいのだ。

そんなことを私は


利用者さんたちからたくさん教わった。


ことばにつかれた時


ことばに苦しむ時に


私は彼らの姿を思い出す



それは海も赤くてもいいし

人も紫でもいいような

海と陸のあわいの場所なのかもしれない

曖昧で

やわらかくて

自由で

誰にもふみつけられることもない

心のかえる場所

もう彼らはあの場所にはいない

けれども確かにあの場所にいた

願わくば、みんなにそのような

いばしょがあるようにと


私はいつもそんな理想郷を


追い求めているのかもしれないと


たまに思い返す夜があるのだ。



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