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うちのレッドマンは気にしない

今日のうちの子の服装はこんなであった。

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夫が「おかしいからやめたらどうか。それじゃ、レッドマンだ。」と言った。

確かに、寝ぼけ眼の頭が一気に覚めるようなインパクトがあったし【林家ぺーパー子さんに弟子入り?!】というぐらいの派手さはあった。

そのうちカメラ好きな女子をつかまえて2人でキャーキャー言いながら写真を撮られてしまうかもしれない。

夫の話をうけて、うちの子は

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と気にせず学校に行った。

彼は

①いまさら服を変えるのが面倒だった
②自分ではおかしいと思わなかった(むしろこの色が好き?)
③人から何か言われても見られても大した問題ではない

などの何かの要因があって、その選択肢にしたのだと思う。

だから私は「じゃあ、いいよ。行ってらっしゃい」と彼の意見を尊重した。


「問題を見つけることができる」って優れた能力に捉えられると思うのだが、人によって問題に対する価値観はずいぶんと違う。

問題を見つけすぎてしまう人は逆に疲れているような気がする。


ここで、話は変わって、学校教育を批判する訳ではないが、先日聞いた話。

うちの地区の民生委員さんがこんなことを先日話していた。

「この前びっくりしたんだけどさ。小学校に通っている子で、お絵描きをしたら真っ黒に塗る子がいたんだって。そしたら親が学校に呼び出されたらしいよ。世も末だね。」

自分が呼び出されたらまず本人に何を表現したかったのかを聞いて、そのあと「何が問題なんでしょうか?」と先生に尋ねるとは思う。

想像するに、もしかしてその絵だけが問題ではなくて、何かしら積み重なる出来事があって(例えば、虐待を疑ったりとか、貧困とか)そのことをきっかけに先生が親とひとまず接触したくて呼んだのかもしれないし、人から聞いた話なので真相はわからない。

しかし、親として学校と関わっていると「なんでみんなと合わせなくちゃいけないのかな?」と単純に疑問に思う事は少なくはない。

だから、彼がもし、例えレッドマンでも第2の林家ペーパー子でも親としては尊重したいと思うし、人にいろいろ言われるのであれば、一緒に子どもと考えたいと思う。

子どものことで何か問題提起してくる人がいれば、その人の思う問題は何かを確認し、問題や価値観のチャンネル合わせをして、一緒に対話をしていきたい。

願わくばうちの子たちには、多様な価値観に触れて、他者を介しながら「自分の輪郭が少しずつはっきりとしてくる」ことで、困難にも立ち向かえる力を身につけてほしい。

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