涙のしずくと自分で選ぶこと
お天気がいいので、先日また家族で出かけた。
私たちが住んでいる家を建ててくれたハウスメーカーさんが参加している屋外のイベントがあって、私がそこに先日行きたいと言ったからだ。
しかし、当日は午前中に私の先約があって、そこがなかなか終わらずに帰ってきたら、少し予定出発時間をオーバーしてしまった。
なんとなく不機嫌な夫は、それでも車を出発させた。時間を守らないやつは許せなくて、でも約束は必ず果たす人だ。真面目でやさしい人だなといつも思う。
私は大きい体を、助手席でなるべく小さくさせて存在感を控えめにしていた。これが無駄な抵抗であることはわかっている。
そして我が子たちは知ってか知らずかいつもの通りだ。他愛もない話をしている。
と、いうかあえてしてくれている。私には2人が意図的にそうしてくれている事は伝わっている。
車で一時間程度。
イベント先に着いたのでウロウロする。
イベントが開催された場所は、もともとガラス工芸の工場とお店とカフェがあり、以前夫婦でお誕生日デートで訪れた場所であった。なので、私たちは2回目、子供たちははじめての場所となる。
本日は、全国からものづくりに関わる職人さんの素敵な作品たちが、この青空の元で一同に介して集まっている。
ただ、モノを売買するだけでなく、作り手と使い手が作品を介して出会い、その裏側にある物語に共感し、新しい物語を語り合える場を作りたいという想いから生まれた「新しい形」のクラフトイベント。(ホームページより)
私たちもここで2つの物語があったので、書いてみたいと思う。
1.涙のしずく
私は私に気をつかわないで欲しいなと思い、入場後に「気にしないで、一緒にまわらなくていいからね」と夫に伝えた。
こういう場はそれぞれがそれぞれで惹かれるものが違うので、私は誰かをお待たせしてまわることが苦手である。洋服などの買い物なんかもそうだ。だから、基本的に最初にそのように伝える。それでもかまわないなら一緒にまわったりもする。絶対こうじゃなきゃというのは、自分の中ではあまりないから。
ところが
「じゃあ、もういいよ。僕は車で待ってるから」
と言って夫は私たちの顔も見ずにふり帰って戻って行ってしまった。
実はここに至るまでの朝の遅れた時間の事以外でも、いくつか私たちは地雷を踏んづけていて、もう今まさにここで爆発してしまったのだろう。
3人はお互いに顔を見合わせる。
私はかなり夫の態度に落ち込んでいたので、判断がつかずに娘に相談した。
娘は私をまっすぐ見て言った。
「パパはきっと、今すぐ私たちが追いかけて戻っても怒るし、戻らなくても怒ると思う。
同じ怒るなら、どうせだったら楽しんで見てから戻ればいいんじゃない?」
娘の目は強く私を射抜くように捉えている。私は「あなたは強いね。かっこいいよ。頼もしい。」と伝え抱きしめた。息子は息子で道の傍らにある切り株の上で片手をあげてポーズを決めていた。その姿はまるでヒーローのようだ。うん。大丈夫だね。
私は2人の様子に不思議と安心し、3人で会場をまわることとした。
会場は目を奪われるものが多く、あっちこっちでじっくりと作品たちに触れたり眺めたりした。
子供たちが気に入ったのは
この小さな動物たちの作品と(列をなしていてとってもかわいかった)
娘が気に入ったのはこのくらげのランプシェードであった。
作られた方は長野県の方だったので、いずれ旅行などでお店に訪れたいと店員さんとやり取りをする。このお店の出店者さんたちは、みなさん話しかけると気さくに応じて下さり、私も人見知りもなく楽しく過ごさせてもらった。
そして私はひとつ気に入ったものを購入した。それがサムネイル画像の「しずく」だ。
私も娘も最近、涙を流すことが多くなっている。
以前も書いたが、私たちは泣き虫だ。
泣き虫ぶりは、一年経っても相変わらずである。
そんな私たちの仲間のような気がしたので、娘に相談して今回は購入した。しずくは私がお気に入りの場所の吹き抜けのグレーチング棚に下げてある。
飾った後に、さっそく娘が気づいてくれて、私を見ながら指差してくれた。その時、しずくがきらりと光を放った気がした。私はその一連の動作が嬉しかった。
2.自分で選ぶこと
しばらくしたら夫が来てくれた。子供たちが笑顔で話しかけてくれる。私はいつも子供に救われることが多い。私も何事もなかったように「素敵なものがあったよ。あなたに似合いそうな靴があった。」と報告する。
そのあとは4人で再度、お店をまわった。
息子はさっきからひたすら「最初はルー!」を連呼している。彼の中で流行っているようだ。自分で言ってゲラゲラ笑っている。
「ルーはどうやって出すの?」と私が聞く。
彼は「こうだよ」と手を出す。親指と人差し指と小指は立てて、中指と薬指は曲げる。
きつねの手の形に似てる。
「ルー」はルー大柴じゃあるまいな...と思っていたが、どうやらカレーの「ルー」の事らしい。両手を出してカレーを乗せているポーズもしている。
お母さん、言わなくてよかったよ。恥かくところだったな。「もうおばさん」「世代差」ということばが頭の中を羊のようにぐるぐるかけめぐる。
そんなにぎやかな場面で夫がぽつりと話した。
「気になる器がある」
私はそのことばを聞き逃さないように「どこにあるの?」と尋ねて、その場所まで連れて行ってもらった。
どうやら器を買いたいらしい。私はそのお店の店主と目があった。
朴訥とした私と同年代くらいの瞳のやさしいメガネの男性だ。
私はお辞儀をして「少し見せて下さい」と伝わるか伝わらないかわからないくらいの声で話す。
店主は「了解しました」と言わんばかりに静かにお辞儀した。
夫が悩む。
私は彼のつぶやく言葉を、繰り返す。
今、この、瞬間をつかまえて逃したくない。
「これ...がいいかなと思う」
夫は1番端にある、グレーをベースにした15cmくらいの器を手にした。
「私もそれがいいと思った。」と伝えた。
実際、自分も選ぶならそれがいいと思っていた。
「これ、お願いします」と店主に伝える。店主はたまたま長野の方で先程のランプシェードの方と同じ県だった。私は「旅行先の候補に長野が加わったな」と何となくぼんやりと考えていた。
テキパキと新聞紙で包んでくれた。シンプルな紙袋に入れてくれる。
私はお礼を伝えた。
ありがとうございます。
ただ器を購入したことだけではなくて
私は夫が「自分で選べたこと」に驚いて
感謝を伝えていた。
彼は自分の欲しいものの迷子になりやすい。
大きいものや必要なものは入念に下調べをして計画的に購入するのだが
このように出先で出会えたものに心が動いて、何かを買うことはめったにない。
夫の実家は聞けば聞くほど、私と生活環境が違っていた。
例えばだ。
結婚前のことだが、夫が成人しても、夫の母親は夫の買ったものが気になり、ゴミ箱に捨てたレシートを拾い集めて「無駄遣いをして」とチェックをする人だった。
私はあまりにも自分の家庭との違いがあることに驚いた。どちらがいい悪いではなくて、単純に「違うんだな」と思うだけだ。
けれども、この話を聞いた時に夫を作り上げてきた要素の一つであることは間違いないと感じた。
私は彼が
自分の気持ちを感じられること
自分の気持ちを素直に表現できること
自分自身の力で他者の目を気にせず
選択ができること。
がいつの日かできるといいなぁと押し付けがましく思っていた。
今日は自分の気持ちを素直に出して夫が選べた日
私はそんな小さな喜びを抱えて、器以上のたくさんの物を頂いたのだと思った。
まさにこれは「物語」が生まれた瞬間であるな....と勝手ながらに思いながら、私はあたたかい気持ちで会場をあとにしたのだった。
おわり
このあと4人で海へ行きました。太平洋の海はやはり一味違いますね。
ここでもおもしろい事もあったのですが、またの機会に。
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