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ひとりひとりのものがたり

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仕事での出会い、出会ってしまった人たちの物語の断片を書き綴ったもの。高齢者のナラティブ。
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#リハビリテーション

咀嚼できない何かと人生会議

もごもご。 もごもご。 ・・・・・。 私は、今日もデイケアに来てくれた里子さん(仮名)の口元をじーっと見つめている。 口元の動きは止まってしまった。 目は開かれている。 でも、次第に瞼が落ちてくる。 「里子さん、里子さん、起きて下さい。」 「飲みましょうか。おいしいですよ。」 里子さんに私の声が届き、目が再び開かれた。 もごもご もごもご ・・・・・ 里子さんはパーキンソン病という病気になってもう7年くらいになる。 里子さんは食べたものや飲んだもの、自分の

喫茶ブラジルと青いノート

私は20cm程度の茶色の紙袋を持って、作業テーブルに向かった。 丸椅子に腰かけて、隣の車椅子に座っている相手と目くばせをする。 その相手の女性は、短い白髪で目が大きく、小柄な人だった。私の行動をやさしい小動物のようなまなざしでじっと見つめている。 私は紙袋からコーヒー豆を取り出し、手動のコーヒーミルの本体へそそぐ。辺りがコーヒー豆のいい匂いに包まれる。 カラカラっときれいな軽い音を立てて、豆は本体の底へおさまっていく。 「さ、やりますか」 と私は言った。女性は

それは深雪のようだった

左の肩から指先までは白い布で覆われていた。 私は患者さんの肩からゆっくりとその三角布を外す。 肩にゆっくりと触れる。 まだ少し痛みがあるようなので、遠位の関節から慎重に動かす。 彼女の肌はいつもひんやりと冷えていた。あたたかい私の手と重なる。 手関節から肘関節へ、各関節方向へ最終域感を感じながら、それはまるで大切な儀式のようにゆるやかにじっくりととり行われる。 肩関節に関しては、前かがみになってもらい、だらんと力を抜いて、重力に従う形で床面に向かって下ろしてもらう。

クリスマスだけどおせんべいでもいいね

「服がないのよ」 「ズボンが窮屈なのしかなくて。持ってきてもらわなくちゃね。」 私は紫色のシルバーカーを押す80代の細身の女性と歩いていた。彼女は当施設へ入所している利用者さんだ。時間はちょうど午後の3時頃。 「そうですか。もしかしてタンスに入っているかもしれないから、一緒に見に行きましょうよ。」 私と彼女はおもしろいくらいに毎日この会話のやりとりをしている。 問いかけも答えもおそろしいくらいに一緒だ。 そのまま、彼女の部屋に入る。 ベッドに座って一緒にタンスの

盆栽とネコのいる庭で

「ねえ、あなた盆栽いらない?」 「いいえ、けっこうです。私には手に負えませんよ。」 毎回同じやりとりだが、それは私たちにとって、なくてはならないいつものあいさつ。 *** 車はメイン通りから1本入った静かな道の小学校のすぐそばにある、とある住宅へと向かっていた。石畳の駐車場は広く、およそ3台分の駐車スペースを有しているため、訪問車の軽自動車なら余裕を持って停めることができる。 私は車を停めて、広い敷地へ入っていった。 庭は綺麗に芝生が植えてあり、雑草は生えていない

ジェームスとボンドがいた日

ある日、私が勤めている施設の裏庭に、突如として2匹の子やぎがあらわれた。 体のサイズはとても小さく「メェ〜」と鳴く姿は大変愛らしかった。 田舎の老人保健施設では、心が躍るようなビッグイベントや目が覚めるようなハプニングが起こることは大変少なく、非常に牧歌的な毎日を職員も利用者さんも過ごしている。 東京から来ている非常勤療法士に「ここはガラパゴス(諸島)みたいだね。」と(おそらく半分バカにされながら)言われたこともあるくらいだ。 そこで彗星の如く現れたこの2匹の子やぎたちの

それぞれのエール

「そんなんじゃだめだぞ!もっと、シャキッとやらないとだめだろ!」大きな声がひびく。 一瞬あたりがシンと静まり返る。 声を出したのは90代の男性だ。 立ち上がって若者たちを見つめる。 見つめた先の若者たちは、高校の吹奏楽部の子たちだ。 私はドキドキしながら事の顛末を見守っていた。 *** 夏の始まりを感じる7月の上旬頃に、毎年私が勤めている施設のデイケアでは、七夕会と称してボランティアを呼んでいる。(※今年はコロナのため中止だった) 内容は曜日毎に変わり、日本舞

今日も私たちはトラペッタをさまよう

「そう!そこまっすぐ行って」 「ああ、その人に話しかけて下さい」 「その人じゃなくってですね。もう少し奥にいる人。」 私はなぜか、60代の男性と彼の部屋でドラゴンクエストⅧをやっていた。 はて。私は何をしているんだろう? 事の発端は、新規のデイケアの利用者さんの家に初めて行かせて頂いた時、同居している姉が担当利用者さんのゲーム機とゲームソフトを入院中に勝手に捨ててしまったことから話は始まっていた。 彼は退院して発覚した事実にたいそう怒っていた。 「何で捨てちゃっ

ありのままの姿で

「ありの〜ままで〜・・よ!」 「どうしたんですか?」と私は問う。 デイケアの利用者さんを今日もリハビリにお誘いしに行った。 誘おうとしていた方と一緒に話していた女性が、急に私に振り向いて笑顔でこう言った。 私は少し驚きながら尋ねた。 「アナと雪の女王を知ってるんですか?」 「知ってるよ。もう私も78歳になるのよ。」 「私はいろいろと思うのよ。」 話を聞いた。 「なんかね。コロナになっちゃってさあ。いろいろと思うのよ。私ももうあと何年生きられるのかなぁなんてさ。

皇帝ダリアは咲いていたか

写真を撮られるのは昔から苦手だ。 昔といっても子どもの頃はおそらく気にしていなかった。 ちゃんと笑顔で写っているものが多い。 思春期くらいから苦手意識をもっていたと思う。自分の容姿に自信がないことと、容姿以外でも自信がないことから、なるべく写真に写らないようにしていたし、どうしても写る時は端っこでなるべく小さくなって(といっても体が大きいので小さくはなれないのだが)写っていた。ぎこちない作り笑顔で、写真の私はいつも猫背で頼りなさげだ。 そして運悪く、私の青春時代はプリク

あなたと行けなかった夜のドライブ

突然だが、私は夜のドライブが好きだ。 なるべく私は助手席に座っていたい。 疲れや眠気でぼんやりとしながら見る景色。 街のネオンが視界のはしから、にじみながらせまってくる。 道路照明灯や対向車線の車の光が横を走っていく。 昼とは違った静寂さ。 静かな車内。細かな車の振動。 都会の高速道路を走りたい。 ゆったりとまどろみながら、昼では話せないような親密な話をしたい。 心理的な距離を近づけていきたい。 あまり人には話したことがない趣味嗜好だ。 ここで話はさかの