見出し画像

皇帝ダリアは咲いていたか

写真を撮られるのは昔から苦手だ。

昔といっても子どもの頃はおそらく気にしていなかった。
ちゃんと笑顔で写っているものが多い。

思春期くらいから苦手意識をもっていたと思う。自分の容姿に自信がないことと、容姿以外でも自信がないことから、なるべく写真に写らないようにしていたし、どうしても写る時は端っこでなるべく小さくなって(といっても体が大きいので小さくはなれないのだが)写っていた。ぎこちない作り笑顔で、写真の私はいつも猫背で頼りなさげだ。

そして運悪く、私の青春時代はプリクラブームが訪れていた。世の中の学生さんは、ゲームセンターに友達と行って、必ずと言っていいほどよく撮影していた。人気の機種は行列ができるほどだった。撮影した後はお互い切り取って交換したりしていた。
大体の友人は撮影するタイミングで雑誌に載れるような100点満点の笑顔を見せていた。
私はその横で、期待を裏切らないいつものぎこちない笑顔でたたずんでいた。ますます写真嫌いに拍車がかかっていた。

そんな私だが、2013年のある一定の期間の写真については、とても自然体で素敵な笑顔で写っているものがいくつかある。

それはこの時期に咲く「皇帝ダリア」にまつわる話に理由があった。


***

80代のBさんは呼吸器の疾患があり、病院に入院していた。なかなか病状が安定せず、入院期間は一年近くになっていたが、徐々に病状は回復し安定してきたので、退院するはこびとなった。

退院先は私が勤めている介護老人保健施設だった。
私はBさんのリハの担当になった。
Bさんは飄々とした男性で、声は喉の影響でいつもかすれていた。背が高く呼吸器疾患の男性に多いやせ形であった。
私に負けない楽天家で「良くなるでしょ、きっと」と自分が回復することを信じて疑わず、毎日私とリハビリテーションに励んでいた。
最初は手すりにつかまっても自分で立つ事ができなかったBさんは、しだいに平行棒の中でも歩けるようになり、しばらくすると杖を使って歩けるようになった。

そして、めでたく奥さんが待つ自宅へ帰る事になった。

退院したあとはデイケアに週2回通う事になり、担当は引き続き私が受け持った。

私は午後のリハビリの時間になるといつもBさんに声をかける。

そして天気を確認して
「行くか!」
と2人でカメラを持って、屋外の庭園へ出かける。

Bさんは杖を着き、私はその横に着いている。Bさんは歩けるようにはなったが、まだ時折ふらつくことがあるので、近くに人がいた方がいい状態である。
しかし、Bさんはそんなことはおかまいなしでにこにことしており、私を気にせず歩き回る。撮影するスポットを探しに、カメラをかまえながらふらふらと歩く。
私は進路が読めないBさんを転ばせないように気をつけながら懸命にそばについて行く。

気にいった被写体があると無言で撮り始める。
撮るのは毎回花が多い。その他、利用者の作品や掲示物もバシバシ撮る。杖を持ちながら写真を撮るので、ピントが合っていないこともあるが、そんなことはもちろん気にしていない。

写真はBさんの元からの趣味だった。Bさんは退院してからは出かける機会があまりないようであった。私はなるべくBさんの好きな趣味の時間を作れるように、リハビリはこのようなことを毎回行なっていた。そして、もう一つの趣味が「皇帝ダリア」を育てることだった。

自宅へ戻る前に自宅訪問で伺わせてもらった。Bさんは久しぶりの家に戻ると、すぐ玄関に入らずに庭を眺めていた。そして盆栽と庭の花を見つめていた。
「皇帝ダリアって知ってる?あれを毎年育てるのが好きで。すごく大きくなるんだ。今年は私が入院していたから、家には咲かないかな。」と少し寂しそうな表情を見せた。
そのあとは昔自宅に咲いた皇帝ダリアの写真を見せてくれた。その話をしているBさんはすごく楽しそうだったし、奥さんも久しぶりの家にいるBさんに感激していた。

そんな私たちが、施設の庭に皇帝ダリアのつぼみがあることに気づいたのは、デイケアに通ってからだった。

Bさんはリハビリで庭へ行く前に
「皇帝ダリアは咲いてる?」
と毎回聞いてきた。

私は「まだですよ」「もう少しかな」とか何とか言いながら日々カメラを撮りに出かけていた。

そしてとうとう「咲きましたよ」と言える日がやってきた。


あの日のBさんは、とても興奮しており、嬉しそうであった。
見事に咲いた皇帝ダリアに向けてカメラをかまえる。
私は撮影しているBさんの様子を静かに見ていた。
ひとしきり撮影したのちに「ちょっと、あそこの花の隣に行って」とBさんから指示が出た。
どうやら皇帝ダリアの根元に咲いている普通のダリアと私を一緒に撮りたい様子であった。
私は一瞬、私が離れる事でBさんがふらついて転倒しないか悩んだが「南無三!」と心の中で唱えながら、ダリアの横にむかった。
Bさんは嬉しそうな様子で「もう少しこっち」「やっぱりしゃがんで」などと指示出しをしているが、私はひやひやした気持ちで指示通り動いていた。そんな2人の状況が途中でなんだかおもしろくなってしまい、私は思わず笑顔になっていたが、Bさんは気にせず撮影をしてくれた。

この時の写真はうちのアルバムに綴じられている。Bさんが亡くなってから奥さんが私に下さった写真だ。

Bさんはそれから、写真を撮る時に対象物と私をセットにして撮るようになった。なので「菊と私」「たぬきのちぎり絵作品と私」「クリスマスツリーと私」といった不思議な写真がたくさん残っている。
そして、どの私もとてもいい笑顔をしている。自分で言うのもおかしいが美人に撮れている。
これは私とBさんの間だから撮れた作品だと思う。

「写真はお互いの関係性が出る。子どもの一番いい顔を撮れるのは高級なカメラや優秀なカメラマンではなく、子どもが大好きな親である」という話を聞いた事がある。ファインダー越しの関係性が現れる。

私は楽しんでいるBさんを見るのが好きだったし、カメラの中の素敵な私の笑顔を撮ってくれたBさんもきっと、私といる時間は楽しんでくれたのではないかと思う。

写真を見るとあの時の気持ちが伝わってくる。
写真はあの時の気持ちや空気やわたしたちの関係性を上手く切り取って残してくれている。

今年も施設の庭には皇帝ダリアが咲き始めた。

私は、皇帝ダリアを眺めながら
「素敵に撮ってくれてありがとう」と心の中でBさんにつぶやいている。

サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。