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ひとりひとりのものがたり

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仕事での出会い、出会ってしまった人たちの物語の断片を書き綴ったもの。高齢者のナラティブ。
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「この家を守りたいんです。 夫がいたこの家に、私は住み続けたい」 そう言いながら彼女は一筋の涙を静かにこぼした。 私たちはさっきはじめて会ったばかりの人間だったが、私は彼女の涙が美しくて、その時はただ見惚れるばかりであった。 もうしばらくも前のことだ。 その日は仕事で、初めての訪問リハをご利用になる方のおうちにおじゃました。それが冒頭の彼女の家だ。 2階建ての一軒家。道は直角になっていて、その家と家の奥に車一台がやっとぎりぎり通れるくらいの幅のコンクリートの傾斜の入

愛しき世界とハンドベル

冷たい風は私のほほを冷やし 吐く息は白くあたたかく 後ろに置き去りになって消えていく。 朝の入谷は夜とは違って どこかかしこまったような 何かの始まりのような さわやかさも感じさせる。 歩行者をすりぬけて 最寄駅に着く。 鶯谷は猥雑な街だ。 駅前はどこもかしこも変な名前の ラブホテルがたくさん立ち並んでいる。 山手線で1番利用客が少ないことも 納得せざるを得ない。 このホテルの数だけ愛だの恋だの 人間の美しいものや汚いものや欲望が生まれているかと思うと、私は横を通るたびに気恥

己を忘れないこと

ある利用者さんのところに週1回訪問させてもらっている。 彼女は私が今、憧れていて尊敬している人の一人だ。 彼女自身は高齢になってあまり名前も聞いたことのないような難病になり、お子さんたちと同居しながら過ごしている。 彼女のものの受け止め方、しなやかさ、粘り強さ、ある種の潔さ、品の良さ、おだやかさは、私にとってはとても遠くて.....高い位置にある。それは富士山のように雲の上まで続いており、私にはまだまだ行き着かないところである。 「おたくはまだ若いからね。これからよ。」

だから嫌なんだ、春ってやつは

新しい職場に移ってから、明日でちょうど一年になる。 私はこの一年で、何人かの担当の方と今生のお別れをした。 ある人は、とても人ができたおばあちゃんで、いつでも会うとにこにことしていて、丁寧な物腰の方だった。私の住んでいる地元に長年住んでいて、家を建てた時は、今でこそ信じられないが、駅の周りに田んぼが広がっていたことを教えてくれた。 ある方は末期癌の方で、奄美がご出身のお母さんだった。訪問には彼女が亡くなるまでの3回しか行けなかったが、お元気な頃は料理が得意で、奄美のとび

喫茶ブラジルと青いノート

私は20cm程度の茶色の紙袋を持って、作業テーブルに向かった。 丸椅子に腰かけて、隣の車椅子に座っている相手と目くばせをする。 その相手の女性は、短い白髪で目が大きく、小柄な人だった。私の行動をやさしい小動物のようなまなざしでじっと見つめている。 私は紙袋からコーヒー豆を取り出し、手動のコーヒーミルの本体へそそぐ。辺りがコーヒー豆のいい匂いに包まれる。 カラカラっときれいな軽い音を立てて、豆は本体の底へおさまっていく。 「さ、やりますか」 と私は言った。女性は

それは深雪のようだった

左の肩から指先までは白い布で覆われていた。 私は患者さんの肩からゆっくりとその三角布を外す。 肩にゆっくりと触れる。 まだ少し痛みがあるようなので、遠位の関節から慎重に動かす。 彼女の肌はいつもひんやりと冷えていた。あたたかい私の手と重なる。 手関節から肘関節へ、各関節方向へ最終域感を感じながら、それはまるで大切な儀式のようにゆるやかにじっくりととり行われる。 肩関節に関しては、前かがみになってもらい、だらんと力を抜いて、重力に従う形で床面に向かって下ろしてもらう。

2月の春の音

昨日休みだった私は、少しけだるい気持ちを抱えて今朝、会社に出勤した。 ふと施設の正面口の近くを通ると、一昨日まではなかった淡いピンクの桃の花が、茶色と白のまだら模様の花瓶にひっそりといけてあった。 高さは30cm程度。まっすぐと背筋を伸ばした枝にポップコーンのようにちりばめられた桃色がこちらに語りかけている。 私もそれにならって背筋を少しだけ伸ばす。 とんとんとん 利用者さんと話していた。「お子さん卒業なんだって?」 「そうなんです。3月で卒業で・・・あ、そうか!私

太っ腹の理由

新年になると、よく「今年の目標」を立てたりする。 私は昨年、手帳に日記を書こうと思っていたが、本当に3日位で坊主になってしまった。坊主は百人一首とうちの夫だけで十分である。 長続きしないとわかっていても、一応一年の節目となるので、他の人にも「来年はどんな年にしたいですか?」なんて、軽薄に尋ねてみたりしてしまう。 私は自分には今のところ「今年の目標」を立てていなかった。 その代わりと言ったら少し変だが、ある1人の利用者さんと、昨年末に今年のその人の目標を一緒に立てた。

あげものばあちゃん

「Wさん、ご飯の時間ですよ。」 「あげもの」 「Wさん、今日は晴れましたね。」 「あげもの」 「リハビリの時間ですよ、Wさん。」 「あげもの」 「今日のお昼はなんでしょうね。」 「あげもの」 最後のやりとりは合っていそうな感じだが、今日のお昼はうどんだったりする。 Wさんは当施設に入所してきて「あげもの」という謎のことばしか返さない変わったタイプのおばあちゃんだった。 こちらが何を言っても「あげもの」しか言わないのだ。 そしてとても無表情。 何が彼女を

クリスマスだけどおせんべいでもいいね

「服がないのよ」 「ズボンが窮屈なのしかなくて。持ってきてもらわなくちゃね。」 私は紫色のシルバーカーを押す80代の細身の女性と歩いていた。彼女は当施設へ入所している利用者さんだ。時間はちょうど午後の3時頃。 「そうですか。もしかしてタンスに入っているかもしれないから、一緒に見に行きましょうよ。」 私と彼女はおもしろいくらいに毎日この会話のやりとりをしている。 問いかけも答えもおそろしいくらいに一緒だ。 そのまま、彼女の部屋に入る。 ベッドに座って一緒にタンスの

ジェームスとボンドがいた日

ある日、私が勤めている施設の裏庭に、突如として2匹の子やぎがあらわれた。 体のサイズはとても小さく「メェ〜」と鳴く姿は大変愛らしかった。 田舎の老人保健施設では、心が躍るようなビッグイベントや目が覚めるようなハプニングが起こることは大変少なく、非常に牧歌的な毎日を職員も利用者さんも過ごしている。 東京から来ている非常勤療法士に「ここはガラパゴス(諸島)みたいだね。」と(おそらく半分バカにされながら)言われたこともあるくらいだ。 そこで彗星の如く現れたこの2匹の子やぎたちの

それぞれのエール

「そんなんじゃだめだぞ!もっと、シャキッとやらないとだめだろ!」大きな声がひびく。 一瞬あたりがシンと静まり返る。 声を出したのは90代の男性だ。 立ち上がって若者たちを見つめる。 見つめた先の若者たちは、高校の吹奏楽部の子たちだ。 私はドキドキしながら事の顛末を見守っていた。 *** 夏の始まりを感じる7月の上旬頃に、毎年私が勤めている施設のデイケアでは、七夕会と称してボランティアを呼んでいる。(※今年はコロナのため中止だった) 内容は曜日毎に変わり、日本舞

今日も私たちはトラペッタをさまよう

「そう!そこまっすぐ行って」 「ああ、その人に話しかけて下さい」 「その人じゃなくってですね。もう少し奥にいる人。」 私はなぜか、60代の男性と彼の部屋でドラゴンクエストⅧをやっていた。 はて。私は何をしているんだろう? 事の発端は、新規のデイケアの利用者さんの家に初めて行かせて頂いた時、同居している姉が担当利用者さんのゲーム機とゲームソフトを入院中に勝手に捨ててしまったことから話は始まっていた。 彼は退院して発覚した事実にたいそう怒っていた。 「何で捨てちゃっ

ありのままの姿で

「ありの〜ままで〜・・よ!」 「どうしたんですか?」と私は問う。 デイケアの利用者さんを今日もリハビリにお誘いしに行った。 誘おうとしていた方と一緒に話していた女性が、急に私に振り向いて笑顔でこう言った。 私は少し驚きながら尋ねた。 「アナと雪の女王を知ってるんですか?」 「知ってるよ。もう私も78歳になるのよ。」 「私はいろいろと思うのよ。」 話を聞いた。 「なんかね。コロナになっちゃってさあ。いろいろと思うのよ。私ももうあと何年生きられるのかなぁなんてさ。