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太っ腹の理由

新年になると、よく「今年の目標」を立てたりする。
私は昨年、手帳に日記を書こうと思っていたが、本当に3日位で坊主になってしまった。坊主は百人一首とうちの夫だけで十分である。

長続きしないとわかっていても、一応一年の節目となるので、他の人にも「来年はどんな年にしたいですか?」なんて、軽薄に尋ねてみたりしてしまう。

私は自分には今のところ「今年の目標」を立てていなかった。

その代わりと言ったら少し変だが、ある1人の利用者さんと、昨年末に今年のその人の目標を一緒に立てた。

①やせる
②ケチになる

非常にシンプル。

シンプルイズベストだと思う。

なぜこの目標にしたのか。それにはちゃんと理由がある。

まず仮に彼女をGさんとする。
Gさんは体重が80kgを超えている。そして身長は140cm半ば程度だ。
そしてこれだけではなく心疾患を持っている。
すると、ちょっと歩いただけでも「ハアハア」している。いつもデイケアからリハビリ室まで10mもないくらいなのだが、それでも少しだけ「ハアハア」している。
そしてお腹のお肉が邪魔をして靴下がはけない。
まあ、ここまではいいとする。
最近の告白では「お尻がうまく拭けねえよ」と衝撃の内容を伝えてきた。
これにはこっちがドキドキして自分が心疾患になりそうだった。
いろいろと危ないのである。

「それはさすがにまずいですよ。もう脱せんべいしましょう。」と私は彼女に言った。彼女もやはりせんべいを愛してやまない人だ。
いやだって、朝は何も食わねえよ。
と言うが、白米を抜いているだけで、息子さんお手製の具沢山のお味噌汁を毎朝しっかり食べている事を私は知っている。彼女の中ではお味噌汁は朝食のうちに入らない。というか脱おせんべいの話はどこへ行ったのだ。
せんべいおいしいんだよな。今も食いたい。
白米を断っても、おせんべいを大量に食べていてはしょうがないのだ。そしてしょっぱいおせんべいやお味噌汁は塩分が多く、体に良くない。それに「今も食いたい」って昼食まであと2時間もあるじゃないですか。
あー家に帰って寝てえな。

正直すぎる。オブラートに包む気もさらさらなく、むしろ堂々としている。

大体、リハ職へは、患者さんも利用者さんも気をつかって「自主トレやってきました!」みたいなちょっとした小噓をついたりしているのはこっちだってお見通しなんだ。
それに比べて彼女の潔さはどうなんだ。裏表がなさすぎてかえって今の私たちの関係性が心配になってきた。

私は、彼女のデイケアに来ていない日が想像できる。
きっとこの人はおせんべいをこまめに間食して、ベッドでずっと横になっているに違いない。

この方とは2年くらいの付き合いになるが、最初の入院のきっかけが「食欲低下」だったことが今となっては信じられない。新人さんや学生さんに説明すると「え?噓ですよね?」と、私がおもしろくも何ともない受け狙いの発言をしていると思って、冷たいまなざしでつっこんでくるが、もうそれも慣れてしまった。今は見る影もないが。確かに彼女にもそんな時があったのである。

「やせましょう!」

こうして第1の目標は立てられた。

第2の目標について話をする。

Gさんは人に物をあげすぎてしまう性格だった。

昨年末なんか、ふらっと寄った妹さんに「たくさんのうにといくらのセット、自分で食べようとしていた数の子のセット、冷凍餃子のセット」をお土産に持たせ、あげくの果てに昼食(おいしい出前の上天丼)をごちそうしてあげたそうだ。

こんな調子で、来るもの拒まずで、たくさんの人に自分のうちの物をふるまってしまう。ちょっと近所にお茶飲みに行くのだって「何か持ってかねえと悪いから」と大量のお茶菓子やおかずを持って行くらしい。

それで済むなら別に問題にしない。

問題となるポイントは、彼女が心の中で少しばかり見返りを求めているという点だ。

「いつもいつも私がたくさんお土産をあげるのに、妹は何にも寄越さねえ。どういうことだい?」

いやいや、どういうことって。私は妹さんじゃないからわかりませんが、人に見返りを期待してもしょうがないんじゃないですか?みんなGさんのような性格じゃないでしょ?

「でも普通何かよこしたりしないの?」

だったらあげなきゃいいじゃん。と思ってしまった。

でもそのようには言わずに「自分であまりにもイライラしてしまうなら、自分であげる分を減らしてみてはどうか」と提案した。

名付けて「2重の意味で太っ腹卒業計画」


Gさんも「そうだな、それで頑張ってみっか」と同意はして下さった。

そして年が明けた。


新年になった。

Gさんの太っ腹は全く変わっていない。2重の意味でも。

私は「やっぱりだめですかねぇ」なんてGさんに話すが、Gさんは早くも「だめかもしんねえなあ」とケラケラと笑っていた。


私は「太っ腹卒業計画」は頓挫したものと思い、あまりGさんの前で多く口に出す事はなくなった。

そして、ダイエットやケチと全く関係ない話をしていたある日。
とある話をGさんがし始めた。

「昔はさあ、貧乏で大変だったんだよ。」
Gさんが貧乏していたのは今までも話題に出ていたことなので私は知っていたが、その日は今までになく詳しい話をし始めた。

嫁ぎ先のお姑さんに大変いびられたそうだ。肉屋さんという家業をついで,夫婦で懸命に働いていたが、お姑さんにひとつひとつ小言を言われる毎日。たまらず、幼子を抱いて実家へ帰ったが、実家も受け入れてくれずに「このまま身を投げようか」と思ったそうだ。しかし、一念発起し、地元を離れ、東京へ上京した。東京での生活もきびしく、知り合いもおらず、その日食べる物もない。

「あんなひもじい思いしたのは、あん時だけだった。つらかったよ。」とGさんは話す。
母乳がでない。子どもも泣いている。そしてミルクが買えない。思わず良くないことを考える。「体を売ろうと思ったよ。」でも、何とかなると思い、米をといだ水を子どもに飲ませたらしい。「おなかがすいてるから夢中で飲んでた。そんなんでよく大きく育ったよね。」

そこからは、夫が実家を捨ててGさんのもとへ上京してきて、事態は好転する。Gさんは商売を始め、それが大当たりする。そしてお姑さんが亡くなり、今の地元へ戻って来る。そんな紆余曲折があり今に至る。

「あん時苦労したからさ。あんなひもじい思いは他の人にもさせたくないんだよ。だからかな。人に物をあげちまうのは。これはどうしようもねえんだな。あん時の自分と相手が違うって頭でわかっていても、どうしてもそう考えちまうんだ。」

私はこの話を聞いて、Gさんが太っ腹をやめられない理由を深く理解していない事に気づいた。

過去と今は違う。

でも、積み重ねてきた過去は、記憶から身体から全く消す事はできない。それまでの積み重ねが自然と出て来てしまう。それは本人が望んでいなくてもそう。選択を迫られる時、人は無意識に過去を振り返っている。わざわざ振り返らなくても自動的に今までの自分が立ちあらわれる。

今回の件を通じて改めて思った事は

人の行動を理解することなんて一生できないんじゃないかということ。

でも、その断片でもいいから、1人1人の円が瞬間的に重なる時に、一緒に喜んだり、落ち込んだり、楽しんだりするだけで、エネルギーが湧いてくることを私たちは知っている。

そうやって日々を重ねて、その瞬間瞬間を感じられるよう、相手の大事な思いに対して研ぎすましていけたら良いと思っている。


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