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世界地図が教えてくれたのは、旅をするのを決めるのは結局自分なんだということ

ちりゆくものは何も言わない。

ただ音もなく、主張もせず、ただただ静かに消えていくだけだ。

残されたものは悲嘆にくれる。

涙は乾くことなく、幾度となく頬を伝わる。

私の担当していた利用者さんが急に亡くなることは決してめずらしいことでもない。

私は訪問リハビリテーションを生業として、日々、さまざまなお宅へおじゃましている。

その方は高齢の女性で、夫と2人で景色のよい崖の上に住んでいた。崖からは湾を一望できる。ひとつひとつのおだやかな波が光に反射してきらめいていた。空気が澄んでいる日は富士山が顔を出した。潮の香りがかすかに漂ってきた。

小さく慎ましく、かつセンスのいい平屋の家は手作りのウッドデッキがついており、庭はまるで楽園のように陽射しが差し込み、色とりどりの季節の花が控えめに品よく咲いていた。


担当させて頂いた彼女は、最初は自分で起き上がったり立ち上がったりすることができなかった。

しかし、リハを開始したと同時に運よく彼女はみるみるうちに元気になった。自分で立てるどころか、歩きもしっかりしてきて、週一度夫婦で外食して買い物するのが習慣になった。

私は彼女と彼女の夫、時々ではあるが娘さんが、いつも訪問で訪れる私を快く迎えてくださることがとても嬉しかった。

運動の休憩の時間にたくさんお話をさせてもらった。おいしいご飯の話や、アートの話、音楽の話、この家を作りあげるまでの楽しい苦労、お子さんたちや友人に愛されている様子などなど。

私はご夫婦とお話するのが非常に楽しみであった。

しかし、突如、彼女はこの世から去ってしまった。

死因は、おそらく心臓か...という医師の推測であった。

しばらくして、書類やお支払いのことがあったのと、あとは個人的にお線香をあげて手を合わせたいと願っていたので、私は夫の元へ連絡を取り、再びあの毎週通っていた2人の家へ足を運んだ。

その場所は、久しぶりに訪れたが何も変わっていなかった。潮のにおい。波の音。海猫が気持ちよさそうに舞っている風。なだらかな私道の坂道。入ると花が咲いていて、目の前にはキラキラと光が反射している海が広がっている。

唯一、変わったのは彼女がもういないこと。

夫は私をいつもの笑顔で迎え入れてくれた。

思っていたよりは気持ちが落ちていないなと、第一印象で感じた。

夫は「おいしいコーヒーを入れるから待っててください。あと、お菓子をたくさんもらっちゃってね。妻がいないから食べる人もいなくて。あなたが食べてくださいね」とお湯をわかしはじめた。

普段の訪問であったら断っていたが、これは夫のグリーフケアでもあるのかもしれないと思って、私は夫の入れてくれたコーヒーを片手に、書類などのサインを頂いたり、事務的な話をひととおり終えた。

夫は私に感謝を述べた。

もう退院してだめかなと思ったけども、あなたが来てからまた元気になって。すごく食べるようになった。元々あの人は食べるのが好きな人だったからね。

私が今年予定していた北海道旅行もまさか一緒に行きたいって妻が言い出すなんて思わなかった。結局私も行けなくて、来年一緒に行こうねとは話していたけども。あんなに妻が元気になるなんてね。
おたくに会うのを楽しみにしてましたよ。

「あの世界地図」

夫は壁に貼られた世界地図を指差した。

「あれはね、思い出の地図なんですよ」

夫は思い出話をはじめた。

夫と妻は旅行先のイタリアで出会った。

お互い20代。恋に落ち、運命を共にしようと決めた。

夫は帰り道の方法を、旅に出る前から決めていたのだ。

帰りは飛行機を使わずに。

陸路や水路で日本へ帰ること。

とても過酷な旅になるが、やってみたいと思っていた。

妻となる彼女に伝えた。

当然、彼女は飛行機で帰ると思っていたらしい。


「いやね、一緒に帰るって言うんですよ。ええー!っと思ってね。大丈夫?ホテルなんか安心できないし、ちゃんとしたところで、寝られないかもよ。食べるものもきちんと食べられないし、危険な場所も多いよって。言ったんですけどね」

妻は温室育ちの、裕福な家庭の生粋のお嬢様だった。

夫は彼女が旅の途中で必ずギブアップすると、そう予測していた。

ところが、彼女はきちんと最後まで夫についてきた。ヨーロッパ、中東、アジア、そして船に乗って北海道に辿り着いて、そこから東京に戻ってきた。

そして結婚に至った。

「ドラマよりドラマチックですね」

私は呆気にとられて、うまい返事を返すことすらできなかった。

よく生前に2人が「結婚してから喧嘩したことがない」と話していたが、そりゃそうだと納得した。

こんな大冒険を共にしたんだから、どんなことが起きても動揺しないだろうし、これ以上のものはないと思った。

壁にはたくさんの彼女の写真が貼られている。
白黒だが、若かりし彼女がそこにいた。

彼女は何を思ってついていこうと思ったのだろうか。

勇気がいることではなかったのか。

写真の凛としたたたずまいに、私は胸が熱くなった。やってみたかったら飛び込んでみること。はじめの一歩は自分で出すこと。やってみたいこと、おもしろそうなことに、理由なんてなくたっていいんだということ。


「私はね、寂しいですよ。毎晩泣きます。これ以上の苦しみもない。でもね、友人が電話をしてくれる。なんであんたね、こんなに気にしてくれて、電話してくれるんだって聞いたんだ。するとさ、彼女が言うんだよ。『前に、私が好きな人を亡くした時に、あなたの奥さんがね、毎日電話したり、遊びに来てくれたんだよ。だからそのお返しだよ。礼は奥さんに言うんだよ』って。......こういう気持ちっていうのは、返ってくるんでしょうね。巡ってくるんだなって」


告別式は身内と親しい人のみで、自宅で執り行われた。お坊さんも神父様も呼ばなかった。

皆で妻を囲んで語らった。

夫は趣味にしていた尺八を吹いてお別れをした。

あたたかい式であったことが写真から伝わってきた。

ひとしきり話した後、私は玄関に向かった。

夫は「もうあなたとも会うことはないのですね。それもさみしいな。私が具合悪くなったらまた来てくれるのかな」

と冗談混じりに目を伏せて笑った。

私は「いつでも話したいことがあれば気兼ねなく会社に電話してください。本当は仕事に関係なく、また私もここに来たいくらいの気持ちはあります。私もここでお2人と関われたことが、とてもとても大切なものになっています。お元気で」

と家を後にした。

サムネイルの写真はそんな帰り道の石段を撮ったものだ。

出会いは光だと思う。

勇気をくれるのはいつだって他者だ。

私も彼女のように飛び込める勇気を時には持ちたい。

未知なる道が待ち受けていても、たとえ不安があったとしても、旅の軌跡の矢印だらけの世界地図が示すように、また歩いていけるのだから。



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