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思ったことや考えたこと

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日々暮らしていて、頭にふっと思いついた考えや、人から影響を受けて浮かんできた思考の断片などを書いたもの。
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#今こんな気分

「才能」ということばと少しだけ仲良くなれたかもしれない夜

「才能」ということばが実は以前から少し苦手だ。 「あの人は才能がある」とか「ない」とか、目の前の相手が話している時。 はたまた「あなたは才能がある」と誰かに言われた時。 私はなんとも言えないもやもやとした感情を抱く。そのもやもやが何であるのかが、正体をつかむことがいまだにできていない。 つかめていないが、今回はできる限り言語化してみる。 私はおそらく、「才能」ということばが持つ力以上のものを「才能」から感じとっているのかもしれない。 それは、今までの人生で「才能」と

誰にだって物語を語り、作り出すことは許されている

作家の燃え殻さんの「BEFORE DAWN」というラジオを毎週聴いている。 彼のラジオの後半で、リスナーから寄せられたメッセージを紹介するコーナーがある。 先日の投稿の中で、私の心に残ったやり取りがあった。具体的な細かい内容は忘れてしまったが、こんな内容だったと思う。 燃え殻さんはこのように答えていた。 また、最近葉々社で購入し、拝読した「読む力・聴く力」という本のなかで気になった箇所を紹介する。 上記は立花隆さんが述べている内容だ。 それに対して谷川俊太郎さんはこ

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そのおうちは高いお山の上にあって、車幅ギリギリの細いくねくねとした道を登っていくと辿り着く。 道はところどころ地面のアスファルトがでこぼこしていて、草が生え、走っているとかたかたと私の車が揺さぶられる。少しでも運転を誤ると、ブロック塀の壁にすったり、タイヤが道から脱落しそうでこわいので、私は慎重にスピードを落として車を進める。最後の道は両脇に古く使われなくなった工場と平屋のトタンの屋根のおうちに挟まれて、その道の行き止まりまで行くと目的のおうちがある。 目の前には竹林が広

ふれるだのふれないだの

最近、短歌が気になる。 本屋さんに行っても短歌の本を一度は手に取ってしまう。パラパラパラとめくって「ほぉぉ…….」とためいきをついて、そして元の場所へ戻す。でもその場をすぐ去るのでもなく、しばらく表紙を眺めてみる。私の頭の中は、買いたいと買わないの間を行ったり来たり行ったり来たり、二人の人間の間でフリスビーを投げられた犬のように、普段はなまぬるい私の思考がその時だけはせわしなくスピード感を持って行き来するのだ。 そして買わないに軍配があがる。 決まり手、熊の富士、寄り切り

「ことば」と「きくこと」

ことばのない世界。 想像したことがあるだろうか。 私は、今、当たり前のようにパソコンあるいはスマホを使用してここに文章を記しているが、実はある人たちにとっては、当たり前のことではなかったりする。 私たちは、ことばとことばを交わすことで、日々の意思疎通を行っている。 けれども、この世には、ことばを発することができなくなってしまう病気がいくつかある。 脳卒中、脳腫瘍等の影響で出現する高次脳機能障害の一つ。失語症。 あるいは進行性球麻痺や筋萎縮性側索硬化症、脊髄小脳変性症

キムチを漬けて食べるだけの話ですが、なにか?

唐突ですが お友達がおすすめのキムチの素を先日送ってくれました。 なので、これは白菜キムチを漬けるしかない!と思って白菜を購入。 以前キムチのたれを自分で作って漬けたことが何度かあります。 でも正直、超めんどくさい! って思っちゃいまして。 (キムチっていろんな材料が必要なのよ) いやいや、私も時間に余裕があればいいんですよ。でもね、望んでないのに生き急いでる感じのスピード感なんですよ。毎日が。 もっともっとスローにしたいの。 「スローなブギにしてくれ」なんで

言いたいことを選ぶこと

雨降りだ。 我が家は雨音がひびく構造で 静かにしてると雨と私だけの世界になる。 タタン、タンと雨が屋根をノックしている。 私は「誰もいませんよ」と雨に対して居留守を使いたい気持ちである。 さっきまで、娘と話していた。 娘は今日は学校がおやすみで 私もたまたまお仕事がおやすみで 最初はどこか2人で遊びに出かけちゃおうかなと思ってたくらいにはりきる心もあったのだが 今は空気の抜けた風船みたいにしぼんでしまって、しわしわと横たえた気持ちがある。 そんな横たえた.

東京BABYLONと東京タワー

若かりし頃にいくつか漫画を読んでいたが、その中でも漫画集団「CLAMP」の本が私は好きだった。 彼女たちの作品を読むきっかけは、当時なかよしで連載が始まった「魔法戦士レイアース」であった。 見開きで描かれた細やかで美麗なイラストに、私は今までの作家陣とは一味違う雰囲気を感じて、幼心にどきどきとしながらページをめくった。ストーリーもRPG風仕立てで、内容も完全な勧善懲悪ではなく、それぞれのキャラクターが背負ったものがあるところに私はずぶずぶと沼にはまるようにのめり込んでいった

皆、しばしば悩み、立ち止まり、それでも語る

以前、こんな記事を書いたことがあります。 私はこの本を読んだこと。 そして息子が受けたいじめ...というか暴力についてこの時期は考えていました。 この本の中で「奪われた言葉」という章があります。 傷ついて弱ってしまって追い込まれた人は誰かにSOSを発信することができなくなります。自分の存在をないがしろにされて認められず、他者からの否定を繰り返された人が、自分のことばを取り戻すことは容易なことではありません。 渦中の人がことばを失ってしまうことは決して少ないことではな

私がデートに求めるもの

急にどうした?? という感じですが、私がデートしている時に相手に何を求めているのかをなんとなく書いてみたくなったので、めずらしいテーマで今日は書いてみます。 (この完全に誰得でもない話にお付き合い頂ける勇者だけここから読み進めて下さい) 皆さん、まずデートはお好きですか? 私は好きです!(声量1.5倍で叫んでいます) 夫と出かける予定が立っただけでいまだに浮足だってしまいます。 わくわく、そわそわ。 完全にうかれぐまです。 この「理想のデート」に関してですが 私は

わからないけど、そばにいる

「どうせわからないんだから」 「私のことなんてわからないでしよ」 「私のつらさなんて誰にもわからない」 目の前の少女は憤りをあらわにして 持っていた水筒を強く床に投げつける。 「あいつムカつくんだよ」 「みんなムカつく!」 私はただただ 「うん、わかったから」 「聞いてるよ、ちゃんと聞いてる」 と言って彼女を強引に抱きしめた。振り下ろした手が私の肩や背中にどんと小さな衝撃を与えた。 最近気になっている子がいる。 私は福祉職の友人からヘルプを投げかけられて

切られた髪の毛から習慣について少し考えてみた

昨日、息子の散髪をしたかったので美容院に同行しました。 息子の髪がジョキジョキと切られている場面を見て、ふと思いだした事があります。 以前、私が勤めていた施設で関わらせてもらっていたある利用者さんのおばあさまは、年齢の割にはめずらしく長めに髪の毛を伸ばしている方でした。 年を重ねると女性でも髪の毛は徐々に短くなってくる傾向にあると思います。理由を尋ねると「髪が痛んでくるからみっともなくて」とか「手入れが大変」といったお話を何人かの方に聞いたことがあります。 髪の毛の手入

ことばがいらない場所

ことばは人を包み込んだり やわらかい気持ちにしたり ここにいていいんだって思えるような 羽根布団みたいな 軽くて ふわふわしてて あたたかな側面もあるけれども 一方で 時には人を傷つけたり 自信をなくさせたり もうここにはいたくないというような まるで水を含んだ衣服のように もがき苦しみながら うまく抗えずに 深く深く 海の底に 人を落とし込めてしまうような 孤独に陥らせる凶器にもなる。 そういう時に 私はある人たちを思い出す。 それは以前、施設に勤めていた時

くまのぬくぬく日記③

12月7日(木)の日記。 ◾️朝からnoteに投稿してみる これはその前の夜から書いていて、投稿するか悩んだけども、まあいいかと思って投稿してみた。コメント欄を開けるか閉じるか悩んだけども開けておいた。 結果的には開けておいてよかったなと思った。 コメントを早々とくれた方。ゆっくりと来てくれた方。また読んでくださった方やスキを置いてくれた方。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。 (ありがとうの3連チャンは淀川長治スタイルを意識している) ◾️なんですって!の話 山崎ま