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ふれるだのふれないだの

最近、短歌が気になる。

本屋さんに行っても短歌の本を一度は手に取ってしまう。パラパラパラとめくって「ほぉぉ…….」とためいきをついて、そして元の場所へ戻す。でもその場をすぐ去るのでもなく、しばらく表紙を眺めてみる。私の頭の中は、買いたいと買わないの間を行ったり来たり行ったり来たり、二人の人間の間でフリスビーを投げられた犬のように、普段はなまぬるい私の思考がその時だけはせわしなくスピード感を持って行き来するのだ。

そして買わないに軍配があがる。
決まり手、熊の富士、寄り切り!
次回関脇に挑戦ですね~。楽しみです。はい。

けっこう接戦である。
結ったまげが崩れて息切れしちゃうくらいの感じで。
はぁはぁ。ふぅふぅ。ごっつぁんです。

そういえば、犬で思いだしたが、犬を飼いたいと最近、家人たちがもの申すのだ。
夫も娘も息子も犬を飼いたい欲が年々大きく膨らんできていることは、この鈍い私でも......スカートがめくれたまま、駅の公共トイレから50mくらい歩いても気がつかなかったこの私でも(おそろしいことに昨年の話である)気づく。

犬。
飼っていたのは5年前だ。
うちは飼うならトイプードル一択となる。私が動物の毛のアレルギー持ちだからだ。猫は特に持病の喘息発作が発動してしまう確率が高い。毛がほとんど抜けないトイプードルなら安心して飼える。

でもまだ踏ん切りがつかない。

物欲がない方なのかもしれない。

本を買いたい。犬を飼いたいかなぁくらいで。

なんでこんな話をしてるかというと。

先日、誕生日に何がほしいのか夫に尋ねられたからだ。

さしあたってほしいものは特にない。

なんとなく、ほしいかなぁくらい。


窓を開けて「ああ、あんなところにあるなぁ」くらいの気持ち。何軒か先にぼんやりと見えている建物があって、それはなんだか素敵そうなお家ではあるけど、詳細は見えない。それが何階建てなのか、外壁がどうのとか、お庭に何が咲いているのか、今ひとつくっきりしない。人が持っているものも、雑誌に載っているものも、広告がすすめてくるものも、輪郭がしっかりとしてなくて、そういうものと、自分との距離をどこかで感じている。

夏休みのプール。

水中から、聞こえる友達の声みたいな。

くぐもっていて、はっきりとしなくて、ぼわわわんとしている。

でも、それがどこか心地よい感じでもある。

はっきり聞こえないけど、音は聞こえるくらいの距離が適度でいい。

私がほしいものはきっと

他人がほしいそれではない。


私は「なんにもしない日がほしい」と言った。

家事も仕事もなにも考えなくても、1日がまわる。

そんな日がほしい。

しかし、それは却下された。

昨年も彼と同じやりとりをしている。

まあ、それはそれでいい。そんな気もしていたから。

若い時は時間があった。誰かに売りたいほどに有り余っていた。お金はなかった。

今はお金はあの時よりはあるが、時間がもっとあってもいいと思っている。

あぁ、1日が36時間くらいにならないかな!

考えるほどとおくなるなんてうそわたしはあなたの糸巻きのはず
真実はいくつもあっていいと思ういちども触れずに選ぶアボカド
だきしめられてお湯だったって思い出すわたしお湯だった、どうしよう
ほくろ繋いだって星座になんないよなんなくたっていいくるぶし座
焼きほっけしぶとく食べきるんですねわたしを攫うなら攫いきれ

https://numero.jp/tanka-a-love-story-1/p2

時間が36時間あっても、私は12時間くらい眠っていそうでこわい。


くどうれいんさんと染野太朗さんが「本気の恋」をテーマに短歌をぶつけあっている。

おもうだけであなたはぼくになってしまう触れたいのだと何度も気づく
タンブラーは本体だけを渡すから財布と蓋を重ねて握る
レシートを細くたたんでまたひらくそのレシートの税という文字
夕焼けにあらゆる影が伸びたのだがたちまちに夜、夜が小さい
あなたの手が触れることなどないけれど厚く乾いているぼくの手は

乾いている

心が渇く

誰か、私を

私の心をしめらせてくれ!

うす暗い部屋の中で僕ら二人ゆれる
しめ忘れたドアが風で少し開く

あばらの浮き上がったきしむ肺を
君の温もりでしめらせたい

ひび割れそうな景色も 乾きすぎた髪も
はがれ落ちそうな過去も 水のない水槽の中で二人

「水のない水槽」

山崎まさよしさんの曲の中では「水のない水槽」が実は1番好きだったりする。

厚くかわいている僕の手も

攫うなら攫いきれという心も

何かを切実に
だけども
決して大きすぎない
手のひらサイズの
しあわせを
私たちはいつでも願っているのかもしれない。


何が欲しいのかと心に問うと


私はコップ一杯分の

水でいい。


そういうものに触れたいと思う。


私にそそがれるものの全容を知っているのは


私だけだと思う。


私が何で満たされているのかを


誰も知らなくていい。


それがまたなんとも心地よい。


私がそこに触れようとするのも触れまいとするのも

私だけが幸せのカタチを知っていれば

それでいいんだ。


昨日は私の誕生日であった。

家族よ、ありがとう
友よ、ありがとう

小さな小さな声で伝える。

ふわふわの毛並みも
ぺらっとめくれる紙も
ぼんやりとする時間も
水びたしの愛も

コップ一杯分の幸せの中に

全てはそそがれることを

願って。



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