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エモさを生み出すのは常にストーリー

historystoryは同じ語源の言葉らしい。

フランス語では歴史も物語もhistoireという単語しかない。

歴史とは過去の点々と起きた出来事を物語として肉付けし、語り継がれるものである。つまり歴史はストーリーなのだ。

そう考えると歴史もストーリーも好きな自分に納得がいった。どっちも同じものなのだから。

自分にとってコンテンツを楽しむためには、このストーリーがとても大事なのである。コンテンツそのもので充分楽しめるのだが、もっと欲しがってしまう気持ちもある。

それはもしかするとコンテンツ提供者側からすると想定していない楽しみ方なのかもしれないが、自分がお金を払ってコンテンツを買う程ハマるものは須らくストーリーも含めて楽しんでいるものになっている。

自分が好きな海外サッカー、お笑い、麻雀について少し書いてみる。

海外サッカーのストーリー


スポーツ観戦はストーリーを如何に知るかで面白さが大きく変わるコンテンツの一つである。

海外サッカーというコンテンツはストーリーの宝庫である。
それは、そもそも100年以上の歴史が既にあるから当然といえば当然だ。

子供の頃は単純にその時のチーム、選手が好きで海外サッカーを見始めるのだ。そこからクラブの歴史やビジョン、ライバル関係、政治、宗教、格差、地域性…色んな要素を学んでいく。スポーツに政治を持ち込んではいけない。だけどストーリーがあるのは事実だ。そういう意味では欠かせたい

なぜこんなにもスタジアムのファンは熱狂的なのか、なぜ全く勝てないチームを応援しているのか、何が彼らを熱くさせているか知るともっと面白くなる。そしてもっと語りたくなる。それはストーリーだからだ。

コンテンツは続けるほどストーリーが積み重なっていく。
自分も海外サッカーを長年追い続けてきたので、それを実感できるようになってきた。

最近ではデビューから現役引退まで見守った選手も増えてきた。
見始めた頃や一番ハマっていた時代の選手は監督やコーチとしてどんどん出てきている。有名選手の子供達も増えてきた。子供の頃は二世選手と紹介されても、「この人の親もプロだったんだ..」くらいにしか思わなかったが、今は、「え!?あの選手の息子なの?」となるのだ。
こんなストーリーを体感した上で試合を見ると、ピッチの外の指揮してる姿や、スタジアムで見守る親の顔をした往年選手の姿を見ることにエモーショナルを感じてくるのだ。

これを書いてる今も、セリエAではナポリというチームが30年以上ぶりに優勝まで後一勝というところまで来ている。30年以上前に優勝した時のメンバーにはあのマラドーナがいた。ナポリを当時優勝に導いたマラドーナはクラブのレジェンドであり、彼らのクラブのホームスタジアム名は「スタディオ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナ」である。そのスタジアムで優勝を決めることで恐らく今後も語り継がれるナポリのストーリーになっていくのだ。
(追記:結果は引き分けで残念ながらホームで優勝とはならないようだ)

M-1グランプリのストーリー

お笑いをストーリーで見るのは邪道なのかもしれない。
M-1の決勝のネタを見て純粋に楽しんでもらう事が芸人の本望ではあると思う。

ただコンテンツ制作側はもっとストーリーを楽しんでもらおうとしている工夫が伺える。個人的には賞レースに限ってはどうしてもストーリーを追ってしまう。

M-1グランプリは準決勝が決勝と思えるほど予選が熾烈化している。7000組以上から10組しか決勝に行けないのだ。面白い漫才という基準で。

今のM-1は決勝にいくだけで圧倒的に知名度が変わる。そして近年はその効果が準決勝、準々決勝にも波及していっている。売れるという目標に対してはM-1で結果を出すのが一番の近道になっているのも事実である。

2022年のざっくり通過した組数を見るとその難しさが感じられるのでは無いだろうか。
7000(一回戦)→1300(二回戦)→300(三回戦)→116(準々決勝)→27(準決勝)
9 + 敗者復活(+1) (決勝)
特に準々決勝から準決勝が本当に狭き門になっている。準々決勝になると予選から追ってるような人達からするともう知らないコンビはいなくなる。
そうするともはや準々決勝が準決勝、準決勝が決勝に見えてきてしまう。

更に近年は彼らがYouTubeやラジオなどで心境を語ることが多くなった。そうすると116組の視点の準々決勝、27組の視点の準決勝が見えてくる。
そこに想いを馳せて応援していくのがとても楽しいし、一緒にアツい気持ちになれるのだ。

M-1については今年の1回戦が始まるまでに、もう少し詳細に自分の追ってる見方について別で記事を書いてみようと思う。

Mリーグのストーリー

プロ麻雀の世界はとても複雑だ。これは自分もまだまだ知らないことが多いのであまり深く語れない。

だが、各麻雀団体の歴史から見ると、団体同士の交流が活発になったり、団体の垣根を超えたチーム戦のプロリーグとしてMリーグが実現された事自体が既にエモーショナルなのである。

麻雀は個人でプレーする競技であるため、普段プロ麻雀の対局は個人戦が基本である。個人戦、個人リーグ戦にも勿論ストーリーがあり楽しめるのだが、Mリーグはチーム対抗にする事でストーリーが色んな方向性で多様的に生まれてくる形になったと思う。
チームの歴史、メンバーの入れ替え、ライバル関係、一打の責任…。
まだまだ5年の歴史だが、これが10年20年と続く事でよりコンテンツに深みが出てくるはずだ。

そして麻雀というコンテンツにより深みを与えてくれるのが牌譜検討だと思っている。牌譜検討とはその日の麻雀の内容を振り返り、どういった考えや気持ちでその時麻雀を打っていたか振り返る事である。
YouTubeが広がったことで各プロは個人チャンネルを持ち、対局が終わった深夜に各個人チャンネルでそれぞれの視点で振り返るのである。
こういった各選手の想いや考えを理解することで、その日の一局、明日の一局がより面白くなっていくのだ。

これからのコンテンツストーリー

最近は、新しいコンテンツにハマるとこの無限に広がるコンテンツの波が襲ってくる。というか知りたくなってしまい、それを知る手段があるという状態が出来ているのだ。そのストーリーを追い、自身で解釈しながら、何気ない一瞬に強烈なエモーショナルを感じる事を楽しんでいる。

コンテンツ自体は勿論のこと、そこから広がるストーリーはそのコンテンツが続く程に積み重なっていき更に面白さを増していく。
そして、今の時代はSNSの個人の発信やnote、youtube等を通じて限りなく広がり続けて残っていっている。
今後もさらなるストーリーの細分化は進んでいくはずなので、如何にわかりやすく短い時間で人々に伝えていけるかがコンテンツの鍵になっていくのだろうか。

ストーリーは単純なエンタメコンテンツだけではない。
ITやWEBの歴史、プロダクトやサービスのストーリー、企業のストーリー…
最近は仕事や技術に纏わる世界もストーリーはとても重要視されている。

それはやはり、人の心を大きく揺さぶるエモーションを起こすのは常にストーリーだと言うことを示しているように感じる。

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