ルールは誰のためにあるのか?

「規制緩和」という言葉が、一時期メディアを賑わせました。
論調としては概ね「規制=悪」「規制で守られている既得権者も悪」であり「規制緩和=経済活性化」「規制緩和=善」という図式で語られることが多かったように思われます。

弁護士の知人から「規制イコール悪という考え方は一方的すぎます。規制というのは本質的には福祉なんですよ」と言われたことがあります。

怪訝な顔をしている私に対して、知人は「法律的に、規制には2種類あります。ひとつは社会の害悪を防ぐための自由の制限。もう一つは弱者を救済するための強者の経済的自由の制限です。自由というのは法律的に無制限ではあり得ません。犯罪などの害悪を発生させる自由は規制しなければならないし、公の福祉や環境整備を実現するには、資産を持っている人に経済面での無制限な欲求追求を多少制限してもらって費用を捻出する必要があります。日本中どこに行っても街中にゴミが溢れている訳ではなく、治安も悪くない。ガス・水道・電気などが頻繁に止まることもない・・・そういう状態を維持する費用ですね。規制は、そこに住む人々の大半にとって、その場所が暮らしやすくなる・住みやすくなるために制定されるものであって、そう捉えれば、規制が本来は福祉であるという意味が分かるでしょう」と教えてくれました。

言われてみれば納得です。
自由と規制というのは、個人の欲求と社会性との調和の問題・バランスの問題であって、規制を緩和すれば見えざる手によって経済がうまく回って世の中が良くなるという単純な性質のものではない訳です。

ただ、人間のやる事には不備がありますし、「あらゆる組織やルールは決めた瞬間がベスト」と言われるように、社会のために良かれと思って設けた規制であっても徐々に時代に合わなくなってきます。 本来ならば社会情勢や時代背景に併せて規制内容を機動的に変えていかねばならないのですが、規制から恩恵を受けている人たちが改変に反対することで規制が時代遅れになってしまうのです。 
規制が悪いのではなくて、時代に合わなくなった規制なのに、規制から受益している人たちがそのままにしようとすることに問題があるのです。

規制とは、社会をより良いものにするために設けられるべきものであり、社会を構成する多くの人々が暮らしやすくするためのものである。
それは会社における規則や規定といったルール全般も同じだと思います。

経営者として何を重視するかは人によって違いがあるでしょうが、組織を創る本来的な意味は、個人ではできない事を実現するためですから、会社に属する一人一人が能力を最大限に発揮できて、全体としてのパフォーマンスを最大化できるような組織を創ることが一番大切なはずです。

だとすれば、一人一人が能力を発揮しやすく、全体としてのパフォーマンスが上がる、そういう最適をめざして規則やルールが存在するべきですが、世の中の会社には一部の上級管理職が社員を管理しやすくするために存在するルールや、そもそも意味がよく分からない規則やルールが少なからず存在しています。
「女子社員は(社名が分かる)制服で社外に出てはいけない(という銀行が実際にあります)」とか「直帰禁止」「上司より先に帰れない」など、およそ生産性とは無関係に思われる規則やルールが設けられている会社は結構あります。

会社において規則や規定・ルールはどうあるべきか。

くりかえしになりますが、会社という組織を創るのは、個人ではできない事を大勢の力で実現するためであり、その目的に向けてまっすぐであろうとするならば、会社に属する一人一人が持てる能力を最大限に発揮できて、全体としてのパフォーマンスが最大化できるような組織をめざすべきであり、そのために必要な決まり事、それがあることで会社に属する大半の人々にとって生産性がより高まるもの、そういうものが会社における規則・規定でありルールであるべきだと思います。

もちろん社内情報の漏洩など、生産性向上とは別に禁止すべきことはありますが、そういう事態が起きると他の社員が大きな迷惑を被ることになる=結果的に生産性が下がるから禁止すべきとも言えます。

「全ての決まり事は決めた瞬間から劣化していく」のが必定ですから「規則や規定・ルールが一部経営者や管理職にとってのものではなく、全体最適のために創られたものであるか、そしてそれらの決まり事は依然として有効なのか」・・・経営に携わる者は常に問いかけ続ける必要があるのだと思います。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?