Sayanagi

村上龍が好き。小説を書きます。

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最近の記事

何もなかったところに戻るだけだよ

白い天井にある黒い染みは目立たないくらい小さい。俺の心の隙間を埋めるには小さすぎる染みだ。前の住人はもっと汚してくれればよかったのに。朝起きてからただその染みだけを見つめている。早朝から蝉がなきはじめ、カラスがなき、通学する児童の声が通り過ぎ、自動車が通り過ぎていく。朝が来てでもまだ死んでいた。夜は確かに死んでいた。夜は苦しかった、激しい苦悩が襲ってきた。朝になれば生きていると思った。でも朝も死んでいた。睡眠だけが俺を生かす。今の俺に必要なのは、無だった。死にたくはなかった。

    • ひとりごと

      文章を書くのはひどく苦痛な作業だ。でも部屋に一人でいて、不安に苛まれるのはさらに苦痛だ。同じ苦痛なら何か残るほうが良い。 毎晩死にたいと思う。正確に言えば、死にたいのではなく、現状から逃げ出したい。本当はもっと直接的に欲求を吐き出せるのであるが、直接的なものは概して文学的ではない。まわりくどい言い方をするほうが、読者は勝手にその背景を自分の意のままに想像してくれるのだ。 20代も後半になった。アラサーと呼ばれる年齢だ。しかしながら、東京という街で自己を肯定する何かを探し求

      • 最低の男 6

        第六章 ノクターン 夏の終わりを告げる風が吹いていた。少し生暖かい風は、小学校の頃のプールが終わったあの感じを思い出させる。何となくノスタルジックな雰囲気がする。西日が沈もうとしており、ビルや住居には明かりが点り始めていた。洋介は自室のベランダに出て、東京の夜景を眺めていた。このビルの明かりの一つ一つにはそれぞれ人間の生活があるのだ。各明かりには営みがあり、そしてその中には愛がある。それらの明かりと自分の間には果てしない距離があるような気がした。明かり一つ一つがとても大事なも

        • 最低の男 5

          第五章 価値 「被告人に対して5321万円の賠償金、および3年間の執行猶予を言い渡す!」 裁判では裁判官がそう命じた。そうだ、結子は5321万円になったのだ。5321万円は、まだ若い結子が今後稼ぐであろう金額に対して割引率を勘案して算出されたものらしかった。ちなみに俺が死んだならば賠償金は3億円を超えたらしいとおしゃべりな弁護士が俺に伝えた。  身寄りのない結子の身寄りと称して、遠い親戚が次々から次へと現れてきた。皆、一様に同じ顔をしていた。その顔を覚えるために脳の容量を使う

        何もなかったところに戻るだけだよ

          最低の男 4

          第四章 安定  結局俺は仕事をやめなかった。今まで通り、生活のために、収入を得るために、それほど好きではない仕事を続けた。ただ俺の2LDKの高級マンションには、同居人が一人と一匹増えた。一人は結子、もう一匹はポチだ。ポチといっても、犬ではない、猫である。そっちの方が面白い、と結子が言ったので、我が家に新しくやってきたスコティッシュフィールドはポチと名付けられた。ポチは灰色と黒の縞模様の猫で、つやつやとした毛並みが特徴。ただポチと言う名前の印象とは正反対でやっぱり猫で、性格は

          最低の男 4

          ゆたかさって何だろう

          ゆたかさとは何だろう。僕はゆたかさとは「どれだけ感情の起伏が激しい人生を送れたか」だと思う。 安定した人生か、それとも起伏のある人生か、なら僕は後者を選ぶ。感情は生命の源泉だ。つらいこと・悲しいこと/うれしいこと・楽しいことも人より二倍三倍経験したほうが良い。悲劇も喜劇も映画になる、無感情は誰も見ない。悲しみはきれいだ、愛する人の喪失から音楽は生まれた。 あなたが恋人に振られて悲しみのどん底にいるとしよう。その悲しみは永遠には続かない。それだけ人を愛することができたと

          ゆたかさって何だろう

          最低の男 3

          第三章 逃げる  - 「言葉にできない感情だけが本当だよ」洋介は困った時にはいつも私にそんなことを言った。こいつは本当にダメなやつだな。思考からいつも逃げている。私はそう思ったが、それは私にとってもそれは同じだった。  私の家にはグランドピアノがあった。私は本当はピアニストになりたかった。音大に通っていたものの、母の病気もあり、途中で断念した。彼はよくグランドピアノの下に潜って、私のピアノを聴いた。彼の好みは、ショパンだった。特にノクターンのNo.2とNo.20が好みだっ

          最低の男 3

          最低の男 2

          第二章 洋介  全てが手に入ると思っていた。幼い頃から俺はすべての競争に勝ってきた。欲しいものは自分の力で手に入れてきた。だけど、本当に欲しいものは手に入らなかったのかもしれない。  どちらかといえば裕福でない家庭に生まれた洋介は、小さい頃から両親が金の話で争いをすることが絶えなかった。何か不満があれば、母はよく父に「あなたの収入が低いから」と言うような台詞を吐いた。洋介は思った、金が手にはいれば全てが手に入ると。  彼はそこから、死に物狂いで努力した。競争という競争に

          最低の男 2

          最低の男 1

          第一章 結子  立て続けに嫌なことが続いた私はその橋から下を覗き込んでいた。世界は黒くそして透明で無臭だった。ここは、山あいの高速近くの橋。時刻は深夜1:00を少し過ぎたところ。人気などもちろんなく、あかりもまばらだ。吐く息は白く、これからの冬の訪れを感じさせる。  免許を取ってからと言うもの、私は気持ちを切り替えたい時にはよくレンタカーを借りて、少し遠出することが多かった。一人で夜に車に乗って、ジャズをかけながら、ゆったりとした速度でドライブすると気持ちが落ち着いた。こ

          最低の男 1