最低の男 2

第二章 洋介

 全てが手に入ると思っていた。幼い頃から俺はすべての競争に勝ってきた。欲しいものは自分の力で手に入れてきた。だけど、本当に欲しいものは手に入らなかったのかもしれない。

 どちらかといえば裕福でない家庭に生まれた洋介は、小さい頃から両親が金の話で争いをすることが絶えなかった。何か不満があれば、母はよく父に「あなたの収入が低いから」と言うような台詞を吐いた。洋介は思った、金が手にはいれば全てが手に入ると。

 彼はそこから、死に物狂いで努力した。競争という競争には勝ち、公立高校のトップから有名大学に入学した。そこから就活を勝ち抜いて一握りしか入ることのできない有名企業に就職した。世間一般で言うところのエリートになった。

 しかし彼にはどことない悲しさがあった。その原因は彼にもわからなかった。夜になるとその感情は昂りを見せ、一人で家にいることができなくなった。言葉では形容しがたい寂しさと悲しみが襲ってくるのだ。今まで打ち負かしてきた、歯牙にもかけなかった人々が彼を笑っているような気がするのだ。その内なる嘲笑の前に彼はじっとすることができなった。その度に洋介は適当な女を抱くか、ドライブをしてそれを紛らわせた。

 何のために生きているのか、洋介はよく自分を見失った。金は手に入った。自宅は都内の高級マンションで夜景は綺麗だし、コンシェルジュもついている。何が不自由なんだ。

 「ねえ、よーくん元気ないね?」咲がアイスを頬張りながら俺に声をかける。この女はいつもこんな調子だ。気だるい声を出して、まるで猫のように何かが欲しい時だけ俺に近寄ってくる。俺はその度に惜しまず全てをやる。すると猫はいなくなる。何もないよりはましだった。

 咲とは二年ほど前に出会った。東京という街は出会いが多いが、別れも同じように多い。散々飲んだ朝、起きると隣にこの女がいた。そこから時たま会うようになった。彼女は東京に数多くいる女のうちの一人だった。多分俺も同様に東京に数多くいる男のうちの一人だったのだろう。数ある出会いのうちの一つで、別れもいつかくるような気がしていた。

 「いつも通り。ちょっと疲れてるんだよ。ありがとう。」俺はそう言った。何となく一人になりたい気分だった。少しドライブをしてくるといい、マンションの地下の駐車場に駐めた自分の車に乗り込んだ。

 この空間は俺の好きな空間だ。自分の弱さや情けなさをすべて受け入れてくれる。車内ではBill EvansのPortrait in Jazzが流れていた。街の明かりが次々と通り過ぎていく。どこまで行こうが明かりは途切れず、同じような煌々としたきらめきが永遠に続くように思われた。ただただ流れていく景色は綺麗だったが、綺麗なだけだった。

 どこまで行っただろうか。あんなに燦々としていた明かりはまばらになり、気づくと橋に通りかかった。ちょうど流していたアルバムも止まった。タバコが吸いたくなったので、とりあえず車を駐め、一服することにした。持っていたライターでタバコに火をつける。ラッキーストライク、天国に一番近いタバコ。何となく自分に相応しいような気がした。俺ももっと早く死んでおけば、カートコバーンやジミ・ヘンドリックスみたいになれたろうか。奇しくも俺も27歳だった。

 そんな気分になって、ちょっと手すりの方まで身を乗り出してみた。何気なく周りを見回すと遠くで女が飛び降りようとしているではないか。死にたいなら死ねばいい。関わり合いにあるのは嫌だった。ただ一瞬、彼女の顔が見えた。

 死ぬほど可愛かった。俺は賢いが単純である。俺は駆け出した。それが結子との出会いだった

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