最低の男 1
第一章 結子
立て続けに嫌なことが続いた私はその橋から下を覗き込んでいた。世界は黒くそして透明で無臭だった。ここは、山あいの高速近くの橋。時刻は深夜1:00を少し過ぎたところ。人気などもちろんなく、あかりもまばらだ。吐く息は白く、これからの冬の訪れを感じさせる。
免許を取ってからと言うもの、私は気持ちを切り替えたい時にはよくレンタカーを借りて、少し遠出することが多かった。一人で夜に車に乗って、ジャズをかけながら、ゆったりとした速度でドライブすると気持ちが落ち着いた。この橋に通りかかったのは初めてだ。降りる気などなかったが、景色が綺麗だったので、つい止まってしまった。
ここから落ちれば、楽になれるだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎった。そうだ、私は死にたかったのだ。理由はといえば、特にそれと言うものはない。強いて言うならば、漠然とした孤独感と目的の喪失だろうか。幼い頃に父と母が離婚した私は、母に引き取られ、母子家庭で育てられた。兄弟はおらず、一人っ子。母は私の全てであった。そんな母は一年前にガンで息を引き取った。すでに祖父祖母は亡くなっており、天涯孤独になった私は祖父祖母が残した大きな家に一人取り残された。誰のために、何のために、働いているのか、よくわからなくなった。ただ、日々を積み重ねている、そんな印象だった。回り続けるメリーゴーランドのようで止めたいのに止めることができなくなっていたのかもしれない。
空気は澄んでいた。綺麗な日だな。結子はそんなことを思った。こんなことなら、お昼のパンケーキは迷わず一番高いものを食べればよかったな。そんなことを思いながら、靴を脱いだ。本当に飛び降りる気はなかったが、そうすることで悲劇のヒロインになれるような気がした。靴はちゃんと揃えてみた。さて、ここからが演技のしどころだな。昔から気持ちを入れるのは得意だった。欄干に手をかけ、足を一歩踏み出す。足を陸から投げ出してぶらぶらさせてみる。その上の段差に乗ってみる。あと少しだ。この手を離せば、バランスを崩すかもしれない。不思議と恐怖感はなかった。あまり死の感覚を身近に感じられなかった。手を離してみた。突然強風が後ろから吹き付け、結子はバランスを崩した。「あっ」と思った。
その時、後ろから大きな腕が現れ、怒声とともに、私は陸に戻された。「何をしているんだ!!」それが私と洋介の出会いだった。