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驚くほど権威主義な私

権威主義、Wikipediaによると”権威に服従するという個人や社会組織の姿勢、思想、体制 ”である。
サラリーマンだから権威すなわち上司には逆らうことはあまり良しとされないが、つくづく自分が権威主義に染まっているということを実感することがあった。


僕の勤めている会社はそこそこのグローバル企業のため、海外メンバーとチームを組むということがある。今回のケースでは攻めあぐねている欧州のお客さんに対して効果的なアプローチをするために、ドイツ在住の中国人がマネージャーを中心にチームが再編され、その一員として加わることになった。

チームが再編されてから数か月。物事は順調に回り始めていたが、意思決定をしない中国人マネージャーに対して僕はとてもイライラしていた。
僕の思うマネージャーとは、第一線で働くというよりかは意思決定こそ仕事だ。マネージャーの決定を現場が忠実にこなすことがチームとして機能することだと思っている。
それなのにこのマネージャーは意思決定をせず、すべて現場社員に決定をゆだねているのである。お客さんからシビアな価格交渉があった時も、新しい戦略を提案する承認会議の時も、「お前の意見でいいよ」しか言わないのである。
初めは全面的な信頼と受け取っていたその態度がだんだん苦痛になってきた。アドバイスを求めようにも回答はなく、意思を聞いても返答はなし。
溜まりに溜まって「マネージャーなんだから少しは意思決定しろよ!」とは直接言いそうになったところで、別の上司が間に入ってくれて事なきを得た。


このことから僕はマネージャーという存在に甘えていたのかもしれない、と思った。マネージャーはこうあるべきだ、という自分の理想を相手に押し付けていたのだけかもしれない。

そもそもの話、チームを組む前から彼のことは知っていたが、もともと寡黙で物静かな中国人だった。自発的に意見を言っている姿はほとんどなく、いつも声を発するのは飲み会の時くらいだった。
そんな彼が急にマネージャーに任命されたからといってもともとの性格が著しく変わるわけもないのは自明のことだろう。
”そんな彼が急にマネージャーに任命されたからといって急に意思決定できるわけではない。意思決定できる人がすればいい”、と頭では理解できているはずなのに、マネージャーという役職だけを見て意思決定しない彼を快く思わない自分はつくづく権威主義に染まっている、と思う。


この権威主義的な思想は僕だけではなく多くの日本人が持っているのではないか?という疑問が最近のYoutubeを見ていると湧いてくる。○○大学と自称するアカウント名がちらほら出てきていることだ。
僕個人の思う大学とは、学問を研究する場所であり、観測や検証によって導かれた結果を発信する場所だと思っている。情報を一方通行に与えるだけのスキームだと、Youtube大学と呼ぶよりむしろYoutube予備校という方が正しいような気がしている。
それでも”大学”と自称するのは、大学こそが日本の最高学習機関であり、有益な情報を得られる場所であるある種の刷り込みと権威性すり寄っているからでは?と思えてしまう。

別に権威主義の是非を問うつもりもないし、有益な情報を発信しているのであれば大学と自称することも問題ないと思う。
しかし、少なくとも自分は人や役職で情報の価値を判断するのではなく、情報そのもので価値を判断できるようにこれからは気を付けていきたい。

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