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探し求めていた幻のスコーンとの出逢い

スコーンが大好き。
でも、私の好みにぴったりの
ほんとうに心からおいしいと思うスコーンに
東京でなかなか出会えなかった。

東京ならお店もいっぱいあるし、
つくる人もたくさんいるし、
私の好みのスコーンぐらい
あるに決まっていると思っていた。
でも、見つからない。

スコーンを見たら買って食べてみるけれど、
どこか私の大好きなスコーンとずれている。

私の大好きなものは、
そんな簡単に見つからない。

だからこそ、出逢えたら
どんなに幸せなことだろうかと思っていた。


それがようやく、今日出逢えた。
6年かかった。

噂からして、もしかしてこのお店なら……
と密かに期待していた。
でも、いつみても売っていない。
営業日も月に数回しかない予約販売のお店で、
その販売日に商品をチェックしていたけれど、待てども待てどもスコーンの販売がない。

しびれを切らして、リクエストしてみた。

そしたら、今度機会をみて
つくりますとのことだった。

それから3ヶ月たった先日、不意をついて当日に販売があったという。
うかつだった。
そういう想定をしていなかったので、
せっかくのチャンスを逃してしまった。

知らなくて買えなかったのがとっても残念だったので、またリクエストのメールをした。

そういう方がたくさんいらっしゃったようで、
次回は注文予約を受付ますとのことだったので、今回は逃すまいと、受付開始とともに予約した。

今日、その幻のスコーンを手に入れることができた。
もう、見た目からして、私の好みだった。
期待に胸がふくらむ。  

早く食べたい。
気がはやる。

急ぎ持ち帰って、早速食べたら、
案の定、私の好みにぴったりの
理想的なスコーンだった。

なんと表現したらよいのだろうか。
シンプルで余計なものは入っていなくて、
無理しておいしくしてやろうという邪念もないというか、しいていうならば、素材となる生クリームやバターや小麦粉のおいしさを信じているとでもいうべきか、引き出しているだけだから、というようなスタンスが感じられる。

作り手が、この子たちがおいしくないはずがないと、信じている。
ただ手伝うだけ。

いけばなも同じ。
その花が、そのまま野に咲いているよりも、人の手を入れてよりその花の個性を美しく魅せるように、かたちを整える。

スコーンもきっと、生クリームやバターや小麦粉が、よりおいしくなるように人の手をかけて、おいしく焼き上がる。

やっと、出逢えた私好みのスコーン。
嬉しすぎて、すぐその素敵な店主に再注文した。

ショコラパパノエルさん
私の理想のスコーンをつくってくださって、
本当にどうもありがとうございます。

ほんとうに、私の大好きなものが存在してくれるだけで幸せだし、
私の大好きなものを生み出してくれる人がいるということも有り難い。


そういう大好きなものの存在が
私を幸せな気持ちにさせてくれる。

誰かがおいしいと感じるものや
たくさんの人がおいしいと感じるものが
ほかにもいっぱいあるけれど、
私が心の底からおいしいと感じることを、
何よりも大切にしたい。

そこに私の生き方が見えるかもしれない。


#スコーン
#いけばな
#私の贅沢なひととき
#ショコラパパノエル

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