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「ビジョン」の創り方

ほとんどのビジョンは
ぼんやりとしたただの「夢」

昨今では
「先行きの見えない時代に必要なのはビジョンだ!」
と声高々に言われることが増えてきた。

しかし、
ビジョンを設定している人の多くは、
ただぼんやりとした夢を
作っているだけになっている。

「私たちは〜をします。」
「私たちは〜になります。」
「私たちは〜を実現させます。」

確かに、夢を語ることも大事。

でも、多くのビジョンは
「あ、そう。」で終わってしまう。

ビジョンを作る目的は主に2つある。

一つ目は、内部へのメッセージ。

簡単に言うと、
自分たちの組織が一体となって
目的を達成するためである。

「私たちは〜に向かっているよ。だから
今やっている仕事は〜に繋がっているんだよ。」

というメッセージ。

二つ目は、外部へのメッセージ。

こちらは「お客様」や
「取引先」などに対して
自分たちの役割を発信し、
信頼関係を構築したり、
イメージアップに繋げるためにある。

ただ、既にお伝えした通り、
多くのビジョンは、内部からも外部からも
「あ、そう。」で終わってしまうものがほとんど。

なぜか?

それは、内部の人も外部の人も
「自分ごと」になっていないから。

では、多くの人にとって
「自分ごと」にできるビジョンを
作るためにはどうしたらいいのか?

コントロールできる未来像と
コントロールできない未来像をはっきりさせる

そもそも、ビジョンとは何か?

僕が考えるビジョンは

「”社会の未来像”における
”自分たちの未来像”をはっきりさせること」

と定義している。

”社会の未来像×自分たちの未来像=ビジョン”

ここで大切なのは
「社会の未来像」「自分の未来像」
二つの未来像が登場しているということ。

多くの人は「自分の未来像」だけしか作らない。

「自分たちは〜なります」とか
「自分たちは〜を実現させます」という
未来像では共感を得ることはできない。

社会の未来像というのは、
お客様も組織のメンバーも取引先も、
すべてを含んだ全体の未来の姿。

私はこうなります!

よりも先に、

私たちの未来は〜に向かっています。

という
「僕たち私たちの未来像」
が土台になければならない。

そして、そんな社会で
自分たちはどんな役割を全うするのか?

これを伝えて初めて
多くの人にとって「自分ごと」になる。

また、「自分の未来像」を
単体で作るのは実は非常に難しい。

なぜなら、
「自分たちのやりたいこと」という
自由すぎるテーマで考え始めると、
物凄く抽象的で曖昧なものにしかならないから。

これを設定しようと考えると、
自分探しの旅を始めようとする人も現れる。

言うまでもなくそんなことをしても
ビジョンが定まるわけではない。

まず最初に「社会の未来像」を定めると、
ビジョンの土台ができる。

何回も言うが、最初に定めるべきは、
「自分の未来」ではなく「私たちの未来」である。

「自分の未来像」は
”コントロールできる”領域であるのに対し
「社会の未来像」は
”コントロールすることができない”領域。

自分たちが頑張ろうが怠けようが、
社会は勝手に未来に向けて進んでいく。

社会の未来は
完全にコントロールすることはできない。

まずはこれを受け入れること。

これを受け入れて初めて
ビジョンの土台ができる。

「自分たちのやりたいこと」という
残酷なまでに自由なテーマで考える必要はなくなる。

コントロールできない
社会の未来を受け入れると
「来たるべき社会での自分たちの立ち回り方」
を考えることができるようになる。

これから先、
社会はどんなふうに変化して、
それによってどんなことが起こるのか?

そして、そんな社会では
「自分たちはどんな役割を全うするべきか?」

これがビジョン。

あるあるなのは
「社会の未来像」までコントロールしようとして
「実現不可能な壮大な未来像」を掲げること。

「〜をすることで世界を変えます」とか。
「〜になって社会構造を変えます」とか。

壮大なビジョンを掲げるのはカッコいいが、
言われる側の立場に立ってみると、
臨場感は全く湧かず「へえ〜。」にしかならない。

これは「社会の未来像」を
コントロールしようとしてしまったパターン。

社会をコントロールして
より良い世界を作ろうとする
意気込みは素晴らしいが、
そもそもそんなことは不可能。

なぜなら、
「社会」とは人々の集まりであり、
人々が共に作り上げていくものだから。

大切なのは「役割分担」にある。

「コントロールできない領域」
を受け入れて
「自分たちがコントロールできること」
に焦点を当てて考えることが重要になる。

社会は今後どう変化していき、
そんな社会では自分はどんな役割を全うするのか?

これこそがビジョンだ。

となると、まずは
「社会の未来像」を知らなければならない。

未来を知る方法

簡単におおよその未来を知る方法を教えよう。

それは「未来予想系の本を読む」ということ。

まあ言葉を選ばずに言えば、
「頭が良い人が予想する未来像をパクれ」ってこと。

はあ?と思った方。

気持ちはわかるが
もう少し読んでみてほしい。

まず既にお伝えした通り
「社会の未来像」は
コントロールすることができない。

今日あなたが大きな目標を達成しても、
あなたが家でスマブラをやっていても、
社会は無慈悲なまでに勝手に進んでいく。

あなたが一生懸命未来を予想しようが、
あらゆる事象を計算し正確な未来を割り出そうが、
どちらにしても社会というものは変化していく。

だったら、もう既に
「これからの未来は〜になりますよ。」と
頭の良い人が予想してくれている未来の説を
活用してしまった方が手っ取り早い。

頭の良い人たちが未来の予想をしてくれている。

AIが人間の仕事を奪うとか。
どっかの国が戦争を仕掛けるとか。
円の価値がどうなるとか。

こういった未来予想を活用してしまう。

もちろん、彼らがしているのは
あくまで予想であり、予言ではない。

だから、
100%の未来ではもちろんないが、
たくさんの未来予想を見てみると、
おおよその未来はなんとなくわかってくる。

ポイントは、

「政治(Politics)」
「経済(Economy)」
「社会(Society)」
「技術(Technology)」

この4つの視点から未来を予想すること。

一応これはPEST分析と言うらしいが、
そんな難しい言葉は覚えなくて構わない。

全てを考えると大変そうに感じる人は、
とりあえず自分の業界と関係ありそうな
2〜3個だけでも調べてみよう。

すると
「これからの未来は大体こうなる」
というのがわかるので、
「じゃあそんな社会では自分たちはどうしていくか?」
を考えることができるようになる。

「自分たちはこうなる!」

だけ言われると
「へえ。そうなんだ。」
で終わってしまうが

「これからの社会は〜になって〜が起こる。
だから〜を実現させることが私たちの役割だ。」

というビジョンだと
多くの人が共感してくれるようになる。

ポイントは
「社会の未来像をいかに根拠と
臨場感を持って伝えられるか?」
である。

未来予想系の本を見るときには、
どんな社会に変化するのか?
そして、それはなぜなのか?
をセットで吸収しよう。

私たちがするのは、
エンタメとしての未来予想でも、
教養としての未来予想でもない。

あくまでも多くの人にとって
「自分ごと」になる未来予想。

一応言っておくと、
未来予想が外れても全く問題ない。

既にお伝えした通り、未来予想は
あくまで予想であって、予言ではない。

だから、
どんなに頭が良い人が未来を予想しても、
それらが当たるかどうかはわからない。

でも、ビジョンっていうのは
「当たるかどうか」が大切なのではなく
「未来像」を掲げることで「今この瞬間」に
エネルギーが湧き上がってくるかどうかが肝心。

だから、
ビジョンは常に
アップデートしていく必要がある。

常に未来を見て、今の行動を最適化する。

未来を起点とするが、大切なのは今。

こんな感じで、
頭の良い人たちの未来予想をお借りして、
社会の未来像が大体わかったら、
次は自分たちの未来像を定める。

自分たちの未来像とは、
言い換えれば、
自分たちの未来における役割であり、
未来における自分たちの存在意義でもある。

そこで大切になるのは、
自分たちの”尖り”を発見すること。

自分の”尖り”を発見する

社会の未来像が大体わかったら、
次はその社会での自分たちの役割と
存在意義を見つける必要がある。

未来の社会は〜になる。

そして自分たちの尖りは〜である。

だから未来における自分たちの役割は〜である。

これがビジョンである。

社会は様々な人間の
役割分担によって発展してきた。

適材適所。餅は餅屋。

こんな言葉があるように、
強みを生かす方があなたにとっても
社会にとっても有意義だ。

じゃあ自分たちの強みであり個性である
”尖り”はどうやって見つければ良いのか?

それは

「余計なものを徹底的に削ること」

である。

ここで言う”余計なもの”とは、
自分たちの”機能的な価値”である。

機能的価値っていうのは、
スキルとかノウハウといった、
後から足したもの。

機能的価値を削っていくと、
価値観や感性だけが残る。

これがあなただけの”尖り”。

これは目には見えないし、
すべてを言語化することはできない。

なぜ多くの人は
個性を見つけることができないかというと、
言語化された機能的な価値を
尖りとして後から足そうとするから。

後から足したものなど、誰にでも足せる。

機能的な価値を足せば足すほど、
あなたはどんどん”丸い存在”になる。

そして、
”言語化できるもの”というのは、
”個性を殺したもの”でもある。

例えば、りんごの絵を見たときに
「これを言語で表してください。」
と言われたら全員が「りんご」と答える。

つまり、答えに個性がないということ。

でも、その絵を見たときに
「これを見て感じたことはなんですか?」
と言われたら、全員が完璧に一致することなどありえない。

人によっては
「日本の国旗が連想されました」
と答えるかもしれないし、
また別の人なら
「美味しそうだなと思いました」
と答えるかもしれない。

言語化できない”尖り”というものは
これくらい抽象的で、感覚的なものになる。

尖りは”感じるもの”だ。

これは足すものではなく
削ることでわかるもの。

もっと現実的に考えてみよう。

WEBマーケティング会社
AとBがあったとする。

どちらも、機能的な業務内容としては、
市場のリサーチをして、広告の数値を取り、
分析をし、改善する、といった
ごく一般のマーケティング会社である。

ここで、「削る」。

業務内容を削ってみる。
ノウハウを削ってみる。
ツールを削ってみる。
スキルを削ってみる。
社名を削ってみる。
ホームページのデザインを削ってみる。
会社のロゴを削ってみる。

すると、

両社の感覚や哲学などの
目には見えないものだけが残る。

A社は、冷たい感じで
論理的かつ合理的。

頑張って言語で表すとしたら

「数字は裏切らない。
数字が上がることこそが
マーケティングの楽しさだ」

みたいな感じ。

B社は、暖かい感じで
感覚的かつ直感的。

こちらももし言語で表すとしたら

「クライアントさんの表現したいことを
汲み取ってそれを反映させることが
マーケティングの楽しさだ。」

みたいな感じ。

機能的な価値をとことん削すると
こんな感じで感情的な価値だけが残る。

あなたが定めるビジョンでも
核となるのは言語ではなく、
決して言語化することはできない
あなた自身の感覚や価値観になる。

あなたが仕事で大切にしていることや、
あなたがどうしても譲れない哲学など。

これらが尖りになる。

そして、
あなたがこれからの未来でやるべきことは、
あなたの”尖り”をより鋭く、
より鮮明にしていくことである。

つまり、

”自分の尖りをさらに鋭く鮮明にした姿”

こそが自分の未来像である。

社会の未来像×自分の未来像

ここまでで、
社会の未来像と自分の未来像が
ある程度明確になったと思うので、
この二つを組み合わせて
未来の社会における自分たちの姿を考えてみよう。

未来の社会は〜になる。

そして自分たちの尖りは〜である。

だから未来における自分たちの役割は〜である。

ここまでくれば、かなり現実味のある多くの人が
「自分ごと」にできるビジョンが出来上がっているはず。

こうやって、それぞれの人間が、
それぞれの役割と全うすることで、
私たちの社会は発展していく。

以上。

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Q雀( kujaku)です。

1.自分自身の「表現欲求」と
 「美的感性」を軸にして考える
  ”アート思考”を言語化。

2.現代人のための
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