十七歳、そして日は沈む
ウォークマンから流れる音楽が全てだった、自転車で行ける半径が世界そのものだった、あの頃に戻りたいなんて思ったこと、今まで一度だってない。ずっと居場所はここじゃなかった。どこに行っても腑に落ちない。どうせ失くすなら、せめて納得できる失くし方を。そういう風に生きてきたはずなのに、今更失ったものの所在が気になる。退屈が理由で飛び出してから、もうそれが癖になってしまっている。幸せも、不幸せも、全部を並列に語ることはそんなに難しいのだろうか。大好きだから会いたくない。名残惜しいから旅立ち。涙にすらならなかった過去も、いつかはちゃんと海に還る。
中途半端に田舎のこの街は、星の光り方も中途半端で困る。
夜道を照らすにはあまりにも淡くて、一人きりになるにはどうにも明るすぎる。もう誰の追随も許さない速度で、圧倒的に一人になりたい。いくら願ってみても、今日も隣の部屋の排気口からシャンプーの匂いがする。生きていく限り、ちゃんと孤独にすらなれない。一人になった気でいたって、誰もそれを許してくれない。例えば音楽が、例えば文学が、いつだって誰かを連想させるし、忘れられないことは苦しいけど、それによって生かされている自分は、やっぱりちゃんと孤独にはなれない。
立ち眩み。血豆こさえた少年の延長線上。タイトル未設定のまま積み上がった生活にも、意味なんか別に無くたってよかった。いつかふとした時に、脈絡なく、際限なく、溢れてくるものであればそれでよかった。そのために今は、思い出しやすそうなところにしまっておくのだ。不可抗力的に頭をよぎったその時に、名付けてあげられるように。
いつだってそうだった。ただ走るより落ちる方がよほど速いのだし、伝えたかったことは周回遅れでやっと言語化されて、肝心の話したい時にはその相手がいない。月の写真は相変わらず全然綺麗に撮れなくて、ポストに入っていた投票案内のはがきを睨みつけていた。僕は国語教師にはならなかったし、オリンピック選手にもなれなかったけど、夢に破れた自分が今平然と生きていて、綴る言葉が誰かに受け取ってもらえたりするのは、とても不思議だ。マイヘアのwoman'sを流しながら、わざわざ遠回りした部活帰り。二十歳までに死のうと思っていた自分に、今なら、何が言えるのだろうか。
あの衝撃からもうすぐで十年経つ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?