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愛している…その気持ちを伝えるだけで十分なのかもしれない

今日は、始めに
文子さんの記事を
ご紹介します。

『たまにはしゃがんでみよう』

しゃがんだことで気付いた
子どもの目線。

そこから見える世界は
文子さんにとって
とても新鮮だったようです。

たまにはしゃがんでみる
視点を変えてみる

とても大切ことですね。

文子さんの記事を読んで
子どもの目線について
思いを巡らせました。

幼稚園では働いていた時、
息子が小さい頃、
いつも意識していたのが
子どもと目線を合わせることでした。

いつもいつも
そうできる訳では
ありませんでしたが
子どもと話をする時は
しゃがんだり、
体の位置を低くしたりして
子どもと目線を合わせるように
していました。

子どもの目線に立つと
子どもとの距離がぐっと縮まって、
子どもの気持ちが分かるような、
子どもの方も心を開きやすくなるような、
そんな気がしていました。

無意識に
子どもの背中に手が回されていたり、
時にはそのまま優しく抱きしめていたり。

しゃがむ
背中に優しく触れる
抱きしめる
そんな些細なことであっても
子どもはそこから
何かを感じ取っていたのではないかと
思います。

この人は
自分の気持ちを
分かろうとしてくれている
というように。

言葉にしなくても
しぐさや表情から
伝わるものはたくさんあって、
むしろそれは
言葉以上でもあるような
気がします。

だから
言っていることと気持ちが
一致していない時も
それは自ずと
伝わってしまうのなのではないかと。

本当の気持ちはごまかせない
そんな風に思います。

だから
子育てをする上で
こういうことに気を付けましょうとか
こういう育て方をしましょうとか
色んなことが言われていますが、
一番大切なのは
子どもに関心をもつ
ということではないかな
と思います。
それは言葉を換えれば
愛している
ということでもあって。

あなたのこと見ているよ
愛しているよ
という気持ちが
子どもに伝わってさえいれば
もうそれだけで十分なのではないかと。

子どもの顔も見ずに
あるいはうわの空で話を聞いたり
一方的に
大人の言い分を並べ立てたり…

そういう時は
お母さんの頭の中は
悩み事や不安、
やるべきことでいっぱいで。
お母さん自身に
愛が足りていないのですね。

ですから
子どもと関わる大人が
まずは自分を整える
自分を満たす
ということは
とても大切になってくるのだと思います。

子どもの頃
私の母はいつも満たされていなくて…。

お母さんは、私のこと愛しているのかな?

私はいつも
不安でいっぱいでした。

満たされない母の側にいて
同じように私も
満たされていませんでした。


今でこそ、
自分を最優先する
ということが
出来るようになりましたが
息子が小さい頃は
自分の幼い頃の寂しさもあって
我が子には同じような思いはさせたくないと
半ば自分を犠牲にしてまで
必死に子育てをしていました。

あの頃、
果たして息子に
愛は伝わっていたのかな…

もしかしたら
私の満たされない心を
息子は感じ取っていたのではないかな…

僕がいい子になろう…
お母さんのために頑張ろう…
そんな風に思って。

ふと
そんなことを思ったりもしました。


何だかんだ言って
やっぱり自分なのですね。

抱えきれないことは手放して
自分を大切にして
心地良く、軽やかに
生きていきたいなと改めて思いました。

文子さん
ステキな記事をありがとうございました。

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