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花様年華は何度でも

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
新約聖書 マルコによる福音書2章13-14節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

BTSが好きです。(いや、もうええって)(でも知らない人も読んでくださってるかもしれないから)

先日、我が「最愛(←いわゆる「推し」のことです。韓国語的表現)」SUGA氏が、リーダーのRM氏とお酒を飲みながら語らうという動画が公開されました。

ひー! かっこいい! ってだけなるのかと思いきや、話の内容が面白過ぎて。二人ともラッパーとして詞を書き、また曲作りやプロデュースも担ってきた人ならではの、経験に裏打ちされたアーティストとしての思いやビジョンについての話が「仕事人」として滅法面白かったのです。いやー、「プロフェッショナル」やね。

BTSは今、ついに兵役に入るということでも注目されています。

「2025年には全員が除隊して揃っての活動に戻れたら」という希望が、事務所やメンバーの展望として語られています。

先の動画の後半でRM氏が、この2025年について触れました。
「2025年は僕が除隊した直後、髪が伸び始めた頃だと思います。未来がどうなるかは分からないけど、望んだ通りみんなが集まって、僕らにとっての記念碑的な『花様年華』の物語が10周年になる年なので、その時は何かをできるんじゃないかな」

「花様年華」というのは、2015年に展開されたBTSの作品コンセプトで、「人生の最も美しい瞬間、青春」を意味する言葉です。

詳しいことはさておき、「花様年華=最も良い時=青春」なわけです。
青春の痛みやきらめきが何物にも代え難いものとして価値を持つことには、私も賛同するところです。
ですが先の動画の中で、そこから10年経ってまた別の形で「花様年華」が訪れる……という見通しが語られたことに、胸が熱くなりました。

「花様年華」はまたやって来る。過ぎ去った青春を惜しむだけではなく、私たちの「これから向かう先」にも「人生の最も良い瞬間」は何度でも訪れる。だって「最も良い瞬間はまだこれから来る(”Yet To Come”=実はこれこそBTSの最新曲のタイトル)」のだから。

ギネスだの、ビルボードだの、グラミーだの、様々な功績を築き上げてきた彼らが語る「Yet To Come」は本当に、「ああ、物語はまだ続くんだ」と思わせてくれるし、未来への期待や可能性を感じさせてくれます。
それは、たとえ規模は違っても、こんなアジアの片隅に暮らす私においても同じではないかと思わせてくれるものです。

通勤途中、紅葉のきれいな欅の木がありました。色づき始めた時、それを見上げながら私は「ああ、すごくきれいな時期を迎えたな」と思いました。
しばらく経って紅葉が進んだ時、「今のこのグラデーションが一番きれいだな」と思いました。
さらにしばらく経って全体が色付ききった頃、「きっと今が最高潮だな」と思いました。
でもその後散り始めた時になって、「もしかしたら散り始めたこの姿こそがピークかもしれない」と思いました。
そして散り切った今日この頃、「冬空に突き刺さるような枝の姿の美しさよ」と感じ入っています。

そこで気付いたのはこういうことです。「ああ、その時々の美しさがあって、そのどれもがきっと『その時のベスト』なんだな。だとすれば、人の生きる営みにも何度も何度も『今こそ最も美しい』と思える瞬間が、その都度形を変えながら訪れるのだろうな」。

冒頭に引用した聖書箇所は、イエスがレビという人物を弟子として招き入れた場面です。レビは「徴税人」、当時のユダヤでは人々から疎まれていた立場の人間でした。そのレビが「わたしに従いなさい」とイエスに声を掛けられ、「立ち上がってイエスに従った」のです。

ここにレビの心情は一切記されていませんが、「立ち上がる」という動詞は実は「復活する」という言葉とも通じるものです。
死んだような人生を送っていたレビが、力に満ちて再び立ち上がる。
そんな大きな転換が、この場面には描かれているのです。

でもレビの人生はここで終わったわけではありません。伝道の旅路をイエスと共にし、最後にはその師を喪うという衝撃的な出来事を経て、「イエスの復活」というドラマチックなクライマックスが続くのです。

その時その時、神さまが私たちの人生と共にいて、それぞれの「最高潮」に立ち会ってくださっている。そんな気がします。

「もうおしまいだ」と思えることがあっても、それは短期的な視点でしかないのです。
「立ち上がった」その先に続く物語を、5年後10年後に再び訪れる「花様年華」を、私たちは信じて良いのだと思います。

若い人も、年を重ねた人も、それぞれに「絶対もうだめだ」「この先に希望は無い」「いつまでこんな状態が続くのか」と嘆きたくなる時というのがあると思います。「今はいいけど、先に希望は無い」「あとは悪くなるだけだ」と思える時もあるかもしれません。
でも、先の動画で我が「最愛」たちも語るように、「絶対」はありません。
「絶対」があるとすれば、「絶対なんて、『絶対』無いよ」ということだけです。

この先まだ何度も訪れるはずのそれぞれの「花様年華」を信じて、真っ暗な道もいつか光溢れる場所へ続くと信じて、希望を持って歩み続けたいと願います。


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