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言葉の内に命があった ~映画「マルモイ」を観て

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
新約聖書 ヨハネによる福音書1章1-4節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

BTSにハマって、半年余りが経ちました。

この記事でも書きましたが、おかげさまで新しくお友達が増えたり、生徒さんともおしゃべりの種が増えたり、なんやかんやありがたいきっかけをいただいております。推しは世界を救う。(これ、何度でも言う)

韓国語の勉強も始めました。そのこともこちらの記事で書いてましたね。

こちらも半年ほどになるでしょうか。韓国語の勉強を始めたことでさらにいろいろアンテナが広がって、韓国文学にも関心を寄せ、この夏休みにぽちぽち読んでいます。また、日頃はなかなか腰を据えて向き合えない映画なんかも観ています。

そんな中で、先日観た映画がこちら。

1940年代、日本統治下の京城(現在のソウル)での物語です。スリなどで生計をたてていたパンスは、ある日ジョンファンのバッグを盗みます。ジョンファンは、失われていく母国語を守るため朝鮮語の辞書を作るべく、仲間たちと共に各地の方言などを収集していました。盗みがきっかけ、という不思議な縁で、パンスはこのジョンファンのもとで働き始め、辞書作りに関わるようになります。字の読めない「非識字者」であったパンスですが、辞書作りを通して言葉の大切さを知り、辞書作りに対する協力にも一層の熱がこもっていくのです。ですが、彼らを取り巻く状況は悪化していき、辞書作りに携わる者たちの立場はどんどん窮地へと追いやられていきます……。

言葉にこだわって、言葉を守ろうと、文字通り命を懸ける人たちの姿が鮮やかに描かれていて、胸に迫る映画でした。

今、韓国語を勉強している、日本の私。この国がかつて奪おうとした、消し去ろうとした言葉を、今、日本の私が学んでいる。学び始めたのは「推しが話す言葉を、歌う歌詞を、もっと直接理解したい!」というとても身近で単純なきっかけでしたが(それも悪いことだとは思っていませんけどね!)、映画を通して改めてより深い気持ちで、誠実に真摯にこの言語と向き合いたいという思いが生まれました。

8月の半ばという、戦争を思う時期に観られたのも良かったのかもしれません。8月15日がかの地において、日本の統治から回復されたという意味で「光復節」と呼ばれるということは知っていました。けれども映画の登場人物たちに心を寄せた後では、それはまさしく彼らにとって「光を取り戻した」出来事だったのだなと、手応えをもって理解できる気がしました。

辞書作りに関わる中で必要に駆られて、パンスは字を学び始めます。日本語でいうところの「あかさたな」から始めていくのですが、読めるようになりだしたパンスが、街で目に入る看板などの文字を片っ端から嬉しそうに読み上げていくシーンがとてもいきいきしていました。韓国語を学び始めた時の私も同じでした。まさに「読める、読めるぞ…!」(byムスカ@天空の城ラピュタ)という気持ちなんです(笑) 私は最近も街に出るとずっとハングルを目で拾い続けてしまっています。リアルパンス。

読める、ということは、誰かが伝えたかった思いを受け取れる、ということです。たとえそのメッセージが「こちら側のドアが開きます」というものであったとしても(笑)

また、書ける、ということは、誰かに伝えたい思いを時空を超えて届けられる、ということです。文字として書かれた言葉は、今この場で直接対面できない相手にも残せるからです。

映画の中で「手紙」が効果的に使われる場面もありました。時を超え、場所を違えても、言葉が私たちを繋いでくれる。思いを縒り合わせてくれる。たとえ直接会えなくても、言葉によって私たちの繋がりは「終わらないもの」になる。

「言葉は精神、文字は命」ということを、ジョンファンが演説の中で語っていました。その言語の持つ特徴、性格、癖のようなものが、その言葉を話す人たちの世界の捉え方をも作っていくんですよね。そしてそれらは考え方や行動にも影響するものになるでしょうから、まさに言葉は私たちの思考、精神、行動、生き方そのものを左右するということになるのでしょう。まさに「言葉は命」なのです。

どんな言葉を語るか、どんな言葉で世界を切り取るか。

SNSなどを通じて、傷付け合う言葉がたくさん飛び交う世の中になってしまっている部分もあります。ですがそんな時代だからこそ、できるだけ温かく、人を活かす、人を繋ぐ言葉を大切に選び取り、大事に守り抜いていきたい。また、隣人が語る言葉をていねいに受け取っていきたい。そして、誰かの命である言葉を、奪い取ったり封じ込めたりすることの無い世の中にしていきたい。そう強く願います。

聖書の言葉もまた、多くの人にとって命となる、神さまからの「手紙」です。そこに込められた時空を超えたメッセージを伝える者として、来たる2学期に備えていきたいです。

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