見出し画像

私の使う言葉が私を作る

「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

新約聖書 マルコによる福音書7章15節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

先週近所のスーパーへ買い物に出かけようとしたら、空に虹が! 「おー、虹! 久々に見た~」と、ちょっといい気分でした。

虹といえば「なないろ」。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色ですよね。でも辞書などでは、「時代や文化により認識される色数は異なる」なんて書いてあるようです。「虹は七色」という認識は、世界共通ではないのですね。ロシアでは虹は4色~6色で描かれることが多いそうですし、アメリカでは6色、ドイツでは5色だと考えている人が多いそうです。知らんけど。(出たよ大阪人)

同じような例は他にもありますね。英語では「オレンジ色の猫」というような表現を見かけますが、「派手な猫だな~」という話ではなくて、「赤茶色」のような明るいブラウンを指す表現のようです。私は「オレンジ」と「茶」という色を区別して呼び分けますが、その二つの色を「同じ名前で呼ぶべき同じ色」と判断する人が世界にはたくさんいる、ということですね。

ちょうちょが飛んでくるとちょっと嬉しいですが、蛾が飛んでくると「ギャー!」なんて叫び声が上がることも。つまりきれいな方が蝶、枯葉のような色をしたあまりきれいでないものを蛾、と私の周囲では呼び分けています。でもこれもフランスでは両方まとめてパピヨンと呼び、ドイツでもあまり区別することなく両方をシュメッタリンクと呼ぶそうです。

もちろん、私や私の周囲の人たちだけが言葉を細々と使い分けているというわけではなく、逆に私が使う日本語の方がざっくりまとめて呼んでいるものもあります。たとえば牛。日本語ではあの動物をただ「牛」と呼んで、修飾する言葉をくっつけることで区別します。乳牛とか、牡牛とか、牛乳とか。でも英語では牛の種類ごとに別々の呼び方があって、去勢したオスの牛はオックス、去勢していないオスの牛はブル、メスの牛はカウ、子牛はカーフ、そして食べるための肉になった時点でビーフ、と全て呼び分けられるようです。

国が違えば言葉の使い方が違う……というだけでなく、同じ国に住んでいても、世代や出身地方が違うと、言葉の使い分けも違う、ということがあります。ご高齢の方には私が「オレンジ」と呼ぶ色を「赤」と表現したり、私たちが「緑」と呼ぶ色を「青」という言葉でくくったりされることもよくあります。

別々のものを同じ言葉でまとめて呼ぶ場合。同じものに違う呼び名が当てられる場合。この背景には「その人が世界をどうとらえているか」ということが、少なからず関わってきますね。牛に対する関心が強ければ、たくさんの呼び分けが出来るでしょうし、逆に「蝶も蛾も同じでしょ」と関心が薄くなれば、わざわざ呼び分ける必要も無くなるわけです。

つまり私たちは、自分の使う言葉によって、自分自身の考え方、ものの見方、大袈裟に言うと「自分の生き方」まで作っているということなのですね。

冒頭に引用した聖書箇所は、イエスがちょっと面白いことを言う場面です。当時のイスラエルでは食べ物に対する細かい規則がありました。これは清い食べ物だから食べてもいい、これを食べたら穢れるから食べてはいけない……、などとたくさん決まりごとがあったのです。ところがイエスは、それらの規則を軽々飛び越えたようなことを言います。「口から入るものが人間を汚したりするのではない。口から入る食べ物は、お腹を通って外へ出るだけだ。むしろ、人から出るものが人を汚す」。

先ほどいろいろと挙げてみた「言葉」というもの、これも「人から出るもの」ですね。どんな言葉がその人の中から出てくるか。それによって、その人自身の生き方やスタンスが表れたり、作られたりするのだとしたら、ちょっと気を付けたくなりますね……。

たとえば、人を傷つけるような言葉遣いを避けるよう心がけることは、人に対する敬意や優しさを自然に備えた人間へと、自分を作り上げていくでしょう。逆に、何の注意も気遣いも無く乱暴な言葉遣いをすることは、人のことを顧みない自分勝手な人間へと、自分を作り上げていくでしょう。

 否定的な言葉ばかり使っていれば、人や物事に対して否定的な見方をしがちになったり、 良いものに対しても「やばい」「かわいい」で済ませてしまってばかりいれば、「良いものには鈍感なのに、不平不満は人一倍多い自分」というのがだんだん出来ていってしまうかもしれません。

言葉一つで世界も、人生も、人格も、変わり得る。どんな言葉を使うか、どんな言葉を持つかによって、蝶と蛾が同じに見えたり、逆にたくさんの牛たちのそれぞれの違いに気付いたり、ものの見え方が変わるのです。ものの見え方が変わるということは、「世界に対する感受性」が変わり、感受性が変わるということは、長い目で見れば自分自身の人生が変わる……、ということになると思うのです。

たくさんの、素敵な言葉を身に着けて、素敵な自分へと一歩ずつ近づいていけたらいいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?