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窮鼠はチーズの夢を見た

初めて惚れた男は、世界を丸ごと愛してしまうような、弱い男だった。

誰といても楽しそうで、端っこが好きと言いながら、いつもみんなの輪の中にいる人だった。体に悪いし、迷惑がる人もいるから、と言いながら、タバコを吸う人だった。もう少しそばにいたいなんて言ってたくせに、さよならも言えないまま、改札の向こうへ歩いていった。


電車の窓に映るのは、見たこともない紛争地。逃げ惑う少年と、決して美味しそうではない汁をすすった親子の笑顔。隣の窓には、スーパーの裏で殺されている動物。わたしは、想像でしかそれらを知らないでいる。

覚えていないはずなのに、生まれたばかりの私を抱く母の姿が、反対の窓に写された。さっき飲んだ水と、いつか奢ってもらったフライドポテトも写っていた。忘れていく記憶が、忘れたかった想いが、ここには溢れている。


映画を見る前の彼女は、可愛かった。ソワソワしていて、怯えているようにも見えた。初めて一緒に映画館へ行った時、「なんでかいつも、緊張するの」と呟いていたことを思い出して、感傷に浸りかけたところで、映画が始まった。彼女の横顔は、あの頃よりも痩せた気がする。


いつもこうだった。どう終わらそうか、いつ手を離そうか、そう考えている間に改札の前に着く。愛している人のことですら、手放せて、簡単に傷つけられる、そんな自分を知った。

一人で立ててしまうと知った時、もう誰も要らないと思った。誰かのそばに居たい時、一人で立てないようになるしか方法はないのだと思った。


別れ際のキスもハグも、私には何の意味もなさなくて、ただ同じことで笑い合っていたいだけなのに、どうしてこう上手くいかないのかと寂しく思う。

この悲しみを笑い飛ばすこともできるし、受け入れることも、拒絶することも、別の人といることも、私にはなんだって出来て、でもそれはあなたも同じで、愛しているとかそばに居たいとか、そんな言葉や感情には、美しさ以外乗っていないように思える。



会いたいと言われても、寂しいと言われても、彼女の本当に求めているものを正しく渡せるか不安で、何も出来なくなっていた。「一緒に居たい」という癖に、ちっとも楽しそうじゃない姿に戸惑って、そんな不安げな僕を見て、彼女は静かに笑っていた。どうしても理解はできないけれど、僕は、楽しそうな彼女が好きだった。


そのままでいて良いなんて、口だけの言葉を渡した。

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