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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと

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言葉にしなくても愛は伝わっている

言葉にしなくても愛は伝わっている

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親であれば皆が大なり小なり感じるものであると思います。
僕の人生の一時期は不登校で暗闇の中にありました。
が、再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、
家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、
「不登校なっても大丈夫!

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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(4)

もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(4)

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親であれば皆が大なり小なり感じるものであると思います。
僕の人生の一時期は不登校で暗闇の中にありました。
が、再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、
家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、
「不登校なっても大丈夫!

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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(3)

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親が皆大なり小なり感じるものであると思います。
僕は不登校でありましたが再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
苦しん

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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(2)まだまだ絶望の中

もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(2)まだまだ絶望の中

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親が皆大なり小なり感じるものであると思います。
僕は不登校でありましたが再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
それを

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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(1)

もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(1)

それは恥ずかしいことでした。もう二十数年も前、僕が中学生だった頃の話をしようと思います。
中学生の僕は当時としては珍しかった不登校というものに、なってしまったのです。
不登校への偏見も多かったあの時代ですから、それなりに苦しみましたし、色々なことを考えました。そこから何をどう乗り越えて、一端の社会人となり、結婚もして子どもたちにも恵まれた現在の状況になったのか?

いま不登校の真っ只中の君たちもい

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