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外国人がいなくても神戸通訳ツアーを行う理由

Facebook Liveで通訳配信

2023年3月25日。この日は二カ月ぶりに神戸通訳ツアーを開催しました。大学の通訳実習で一月に行って以来、早くも今年2回目の開催となりました。この記事では通訳ツアーをすることの意義について書いていきたいと思います。ちなみに過去の神戸通訳ツアーについては以下の記事にまとめていますので、ご参考ください。

神戸通訳ツアーでは基本的に、毎回同じようなことを話します。私はガイドとして、神戸市の概要、北野、南京町、そしてメリケンパークでしめます。毎回、メリケンパークで阪神淡路大震災について通訳するのをメインとしています。

今回は外大卒の先輩である岩田慶子先生と、安田太郎さんにFacebook Liveで配信という贅沢な環境で震災通訳教育を外部に配信することができました。その様子はこちらをご覧ください。ガイドと通訳は4:50から24:50あたりまで続きます。

冷や汗の数秒に教育が生まれる。

これをご覧いただくと分かる通り、学生の通訳は流暢にいっているところもあれば、特に最後のあたりはガイドの内容が分からず、訳の歯切れが悪くなったり、ガイドに聞き返しをしている場面もあります。伊勢湾台風、1.17と3.11を比較して、プライバシーの概念が今ほど発達していなかった1995年だからこそこれほどの震災アーカイブが残っている(木戸崇之著『スマホで見る阪神淡路大震災 災害映像がつむぐ未来への教訓』)という内容の発言が、学生には瞬時に理解するのが難しかったようで、苦しんでいる様子が伺えます。これはお金をもらってやる通訳の仕事であれば失敗かもしれません。

ガイドする私、通訳する学生、それを撮影する岩田先生。

しかし私はこの瞬間こそが大事だと思っています。いくら語学力が高かったとしても、実際に通訳するときは相手の話す内容を辞書を引かずに「その場で、瞬時に」理解しないといけない。それができない時、どれだけ語学力があっても通訳は困難になります。通訳の神様とされる小松達也氏も通訳は理解、理解、理解と力説していますが、神戸通訳ツアーもその精神を受け継いでいます。

学生が通訳が出来ず悩み、考え、冷や汗をかきながら言葉を絞り出すようにする瞬間。この瞬間こそが教育だと私は思っています。なので私は学生が何かを捻り出してくるまで、待ちます。ライブ配信的には非常に気まずい沈黙です。それは数秒かもしれませんが、学生には永遠に思えることでしょう。

その数秒の間に、学生は「あの勉強をしておけばよかった」「この表現を英語では何て言えばいいんだろう」「発話についていけない」「周りの雑音で集中できない」「話の筋を理解しないといけない」「ヤバい、どうしよう」「でもカメラが回っているし、俺しか訳す人はいない、やるしかない」など、おそらくあらゆる思考や感情が渦巻いているはずです。

しかも通訳はライブ配信されているので、「分かりません」なんて泣き言は言えたものではありません。聞き手に何らかの情報を届けなければいけないという通訳の使命があるのです。コミュニケーションの責任を取るのが、通訳の仕事です。

これは教師が学生に話すだけの一方的な授業では再現できません。語弊を恐れず言えば、学生は話を聞いていさえすればいいのですから。ですが通訳をするときは、そうは問屋はおろしません。話を聞くだけでなく、それを瞬時に理解し、別の言語で表現を考え、実際にそれを産出するというところまで行うのが、通訳だからです。厳しいことを言うと、そのどれかが欠けてしまっても、通訳は成功しないのです。

そのような一種のショック療法を経験することで、学生は自分に足りないものは何かを痛感します。それは語学力だけではなく、神戸市や震災に関する知識も含まれます。通訳業界では、本を読み、映像を見て理解しておくことで、背景知識が通訳を助けてくれることは往々にしてあります。その感覚を学生に植え付けることが、神戸通訳ツアーのほぼ唯一の目的と言っても良いかもしれません。

移動中のバスでも単語集をチェックする学生。

教育者の仕事は環境を作ること

もちろん神戸通訳ツアーは、無料開催です。儲けようとは思っていません。これまで約11年間、様々な学生に何度もガイドしてきました。しかし全ての学生が通訳に目覚めてくれるわけではありません。教育には時間がかかりますし、決して短期間で成果を求めてはいけないのだと思います。

このように教育の側面があることから、意外に思われるかもしれませんが、神戸通訳ツアーは今まで外国人が参加したことは一度もありません。つまり日本人による日本人のための通訳ツアーなのです。それに日本人の参加者は、私の英語はほぼ全ての方が通訳なしで理解できるので、物理的には通訳は不要なのです。それでも神戸「通訳」ツアーを開催していて、その理由は先述の通りです。

このような緊張する環境を作ってあげるのが、教育者の仕事であると私は常々考えています。通訳でも英語でもそうですが、外国人がいないと学習ができないと考えるのは違うと私は思っています。そういう意味で、私は留学反対派ですし、留学をしたことがありません(もっとも、経済的余裕がなかったというのが第一の理由ですが・・・)。私は国内でも英語や通訳は勉強できると思います。要はそのような環境を自分で作っていくことが大事だと思うのです。

本田圭佑は近畿大学の卒業式のスピーチで「環境にこだわれ」と言いました。私も同感です。英語を話さなければいけない環境は、何も海外に行かなければ作れないわけではないのです。「絶対に英語しか話さない!」環境を作るという、学習者の意志の硬さが問われているのです。


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