結局は、言語力が全てだ。

極端なタイトルです。ですが最近、この気持ちを強くしています。今日は神戸で会議通訳のお仕事がありました。帰りの電車で本を読んでいると、ふと頭に思い浮かびました。「暴力以外に、人や世界を変えるのは言語しかないのではないか」と。

実際、他にも芸術という表現手段もあるので、私の話は少し極論ですね。ですが書き続けたいと思います。

小学一年生の壁

娘が小学生に上がり、勉強の面倒を見ることが増えました。すると一学期はひらがなやカナカナをなぞったり、書けるようになったりという内容です。これは幼稚園で書き始める子どももいることを考えると、家庭によってはかなり余裕を持って学習できます。

しかし問題は二学期以降です。つい最近ひらがなを書き始めた頃なのに、いきなり読解問題が入ってくるのです。「つぎのぶんしょうをよんで、あとのといにこたえましょう」という感じです。全てひらがなですが、やっていることは大学入試の現代文と何ら変わりません。

算数はほぼ国語です。今手元には『算数検定11級要点整理』(日本数学検定協会, 2019年)があります。今週末、娘がこの検定を受けるからです。最初は足し算をしましょうという簡単な問題ばかりですが、途中からどんどん難しくなり、文章題はほぼ読解問題です。例を挙げてみましょう。

かずやさん、みかさん、あかりさんはくじびきをしました。くじには、1とう、2とう、3とうの3つがあります。
1とうがあたったらあめを5こ、
2とうがあたったらあめを3こ、
3とうがあたったらあめを1こもらえます。
つぎのもんだいにこたえましょう。
(1) かずやくんはくじびきを2かいして あめをぜんぶで4こもらいました。なんとうとなんとうがあたりましたか。(以下略)

前掲書p. 127

もうここまで読むのが精一杯です。算数の前に国語、国語の前に言語力なんですね。なので小学一年生の壁というのは、僕の娘を見ている限りは、文字を覚える勉強と同時に、文章を読んで問題に答えさせるという勉強も進んでいるということです。ここが勉強ができなくなる一因ではないかと、個人的には思っています。

共通テストも言語力

大学入学共通テストも言語力がより大事になってきました。私は今でも英語、現代文、世界史A、政治経済の共通テストを解いています。昔は政治経済というとひと段落の文章に複数の下線部があって、「下線部1について、最も適当なものを選べ」という設問が大半でした。しかし今はとにかく読む文章が多い!「下線部1について、次の文章は法律からの抜粋である。この文章の趣旨に合致するものを次の選択肢から選べ」という入り組んだ問い方をしています。一問に見開き2ページ使います。

問題の多くが言語力、読解力がないと太刀打ちできないようなものになりました。逆に言うと細かい知識はそこまで問われなくなっています。それは朗報かもしれません。しかし社会人の私が問いても制限時間ギリギリ(最後の問題に解答したのは終了4秒前!)でした。これはどんなレベルの言語力を受験生に求めているのでしょうか。

大学の授業や通訳レッスンでも「本は読みません」

大学の授業や通訳レッスンをする中で一つ驚いたのは、言葉に触れる機会が驚くほど少ない受講生が稀にいることです。通訳のレッスンでは一度、現役の通訳職の方へのレッスンで今読んでいる本を聞いてみると「ありません」「では最近読んだ本はありますか?」「本は読んでいません」という回答でした。

通訳職というのは、言葉を訳すわけですから、極論すれば24時間言葉に触れているくらいの言語力(言語欲?)が欲しいところです。ですが仮にも同業者の方で全く本を読まないという回答があったことに、非常にショックを受けました。次回の宿題に読書をお願いしたのは言うまでもありません。

大学の授業でも、ある学生が困り果てていたことがありました。私の通訳の授業では読書を宿題にしています。その学生は授業には真面目に出席しているけれど、当てても中々言葉が出てこないという場面もありました。

ある日、一対一で話をする機会があり、色々と聞いていくと本を読む習慣がなかったことがわかりました。学生は泣きながらもう履修中止しようかと思ったと言ってくれました。僕はホッとしました。まだこの学生を救うことができるかもしれないと思ったからです。

それからというもの、読みやすい新書を一冊、読んで見るように勧めてみました。すると翌週から一章ごとに読んでくるようになりました。今でもこの学生は私の授業に出席しています。

読書は人間に言葉を授ける

通訳レッスンでも大学の授業でも共通して言えるのは、読書をすることで授業での発言が増えたことです。それまでは「わかりません」「特に質問はありません」ということが多かったのですが、本を読んで活字に触れていくことで、自分の中に言葉がストックされていきます。ストックされた言葉は外に飛び出す場所を求めます。それらの言葉は授業で放出されたのでした。

このように書いてみて改めて分かったこと。それは人間は言葉を使って生活しているという至極当然の事実です。人は言葉を使って会話し、学び、通訳し、人に影響を与え、教えます。そして言葉の使い方次第で戦争が起きたりします。暴力やいじめも起きたりします。そのように考えると、言葉に触れることの重要性はもっと強調されて然るべきではないでしょうか。

言葉に触れる機会が増えるほど、自分の生活が豊かになる。私は細々とですが、大学の授業と通訳・英語レッスンを通じてその大切さを伝えていきたいと思います。


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