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倫理の教科書

高校一年の時「倫理」の授業があった。
日本史や世界史、政治経済なんかは選択授業なのに、なぜか倫理だけは必修だった。
だからといって特に力を入れているわけでもなく、担当は定年を過ぎたおじいちゃん先生で、私は倫理の授業以外この人を校内で見かけたことは無かった。

入学初日に貰った倫理の教科書は、なんか小さいし、他の教科と比べて薄いし、見覚えのない出版社。
一応授業にそれを持っていくのだが、おじいちゃん先生は全然教科書を使わない。
古いブラウン管テレビを教室に持ち込み、VHSを挿し込んだと思うと「となりの山田くん」を見せられた。
テーマソングの「ケ・セラ・セラ」の部分で一時停止すると、「人生って、そんなもんだよ」と言って終わった。
うちは進学校だったから、ほとんどの生徒が寝ていた。倫理が受験科目として使えないとみんな知っていた。

私は一番前の席で(うちの高校は多遅刻者の座席を前にするルールがあった)、一応教科書の1ページ目だけを開いて、いつもうつらうつらしていた。
勉強も、部活も、頑張ってなかった。頑張ってなかったけど、頑張ってる人と同じだけの居眠りの権利を行使していた。
「人間とは何か。」
視界の隅にはそう書いてあった。茶色い文字。普段1ページ目しか開かないから、それだけ知っていた。
次のページを捲ってみたのは、夏休みを過ぎてからだった。
「人間とは何か。」
そう居丈高に口火を切った割に、教科書は冒頭で「思春期」とか「第二次性徴」とか「モラトリアム」とか、保健体育みたいな話を始める。
え、人間とは何かって、そういう、生物的なこと?笑
半ばバカにした気持ちで読み進めると、友情だの恋愛だのアイデンティティだのという話は4ページ足らずで呆気なく終わる。
「あなたらしい生き方を探しましょうね」みたいな、薄っぺらい言葉で締め括られる。

で、突然、古代ギリシアの哲学の話になる。
今まで眠たいことばかり言っていたくせに、「ロゴス」「イデア」「ミュトス」みたいな知らん言葉がいっぱい出てくる。
キリスト教、仏教、中国思想。
何千年も掛けて人類が考えてきた「人間とは何か」「生きる意味」「死ぬ理由」そういうものが、ごく淡白に、どんどん紹介される。
そして教科書の後半は、民主主義の矛盾、戦争と虐殺、植物状態の人から呼吸器を取り外す行為は殺人か?、うつ病やストレスなど、
現代社会の中で「人間とは何か」という問いがいかに咀嚼されているかという問題に言及される。

たった200ページ。
「人間とは何か」という問題に対する先人たちの取り組み、それをどう私たちが活用すべきかということを教科書は見事にこの薄っすい本に収めている。
いや、200ページも、なのかもしれない。
結局この教科書はたった一つの問いに対してしか扱っていない。
しかも、最終的に「人間」が「何」なのかは結論が出ない。
神はいるのかいないのか、人は死ぬとどうなるのか、何もわからないままだ。
数学の証明問題で、長々と過程を書いたは良いものの、全然Q.E.D.に辿り着かない感じ。

私は衝撃を受けた。
正直言って、教科書の中に現れるソクラテスやら孔子やら道元やらの考えを理解できたわけではなかった。
なんなら、全然理解できなかった。
ただ「人間とは何か」という問いに対して、これほど多くの人々が、長い長い時間をかけて、耳馴染みのないキーワードをふんだんに使って、悩みまくっているというのが衝撃だった。
神話も、宗教も、政治も、その他すべての学問も、その一つの問いから立脚しているというのが衝撃だった。
先生がなぜ生徒に「ケ・セラ・セラ」を聞かせたかったのか、私は唐突に理解した。
あの人もまた、その問いに対して取り組んできた生徒だった。

「先生、私こういうの、興味あるかもしんないです」
社会科準備室の奥まった席に、おじいちゃんは居た。こんなところにいたのか。
先生は、デカルトの『方法序説』を貸してくれた。
「まずは、考え方です。何かを考えようと思ったら、考える方法を学ぶといいよ」
デカルトは難しかった。
難しかったけど、面白かった。
難しいのが面白いのは、初めてだった。

大学は、哲学科を選んだ。
入試に倫理はやっぱ使えなかったけど。
小論文の試験では、たった一行「"無知の知"について論じなさい」とあった。
これはマジで倫理のおかげ!余裕だった。
合格報告をしに行ったら、おじいちゃん先生は居なかった。
しばらく学校に行っていない間に辞めてしまったらしい。
元気だといいけど。


あれから八年。
たまに倫理の教科書を捲る。
教科書の中で気になった思想家がいると、岩波書店のやつを買って読む。
今まで読んだ哲学書や解説書の時代観や思想がゴッチャになると、教科書に立ち返る。
詳しくなりすぎると、教科書の文言に対して、いやいやホントか?と突っ込めるようにもなってくる。
教科書の終わりは、学びの終わりではない。むしろ始まりなんだと思う。

まあ、教科書捨てないほうが良いよって、そういう話です。

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