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ツアーファイナル、ハイサイオキナワ。

沖縄とわたし ③

そうやって歌舞伎町で沖縄(料理)の洗礼を受けた僕だったが、その後スムーズに行く機会が訪れることもなく、気付けば数年が経ってしまっていた。
今でこそ沖縄はポピュラーな旅先だけれど(現在は現在でまた大変だが)同じ日本でも、当時はわりとハードルが高いイメージだった。

そんなある年の事、僕がやっていたバンドpopcatcherとレーベルメイトだった静岡・沼津を代表するGOOFY'S HOLIDAYという盟友バンドが、彼らのアルバムのリリースに合わせた全国ツアーのアクトに抜擢してくれたのだ。
蓋を開けてみると2ヶ月間で実に全国44カ所を巡るという、今思うとまったくよくやったなという強行ツアー。

そう、そのファイナル公演が沖縄だったのである。

2月に長崎からスタートし、桜前線と共に北上してゆき、4月には札幌に到着(雪が降った)、5月には沖縄に渡り(泳いだ)、という長きに渡る道のりであった。
想像通りそれなりの過酷な行程だったし、もちろん全然お金もなかったし、でもメチャクチャ楽しくて、ラストを沖縄で飾れるなんて初めて訪れるタイミングとしては最高のセッティングでしかなかった。

そしてツアー一行は、2000年5月に那覇空港に到着する。

飛行機からボーディング・ブリッジに降りた瞬間、一気に全身を包む湿度と鼻孔に飛び込む嗅いだことの無い粒子。
あ、まただ。
ぞわーーっと肌が粟立つ。
明らかに「異国へ来たぞ」と、脳よりも先に身体が反応している。

ゲートで機材を一式受け取り、待機してくれていたイベンターさんの手配してくれた車輌に一同で乗り込む。
会場に向かう道すがら、高速道路を走っている時に流れていく景色に違和感を覚えた。

「ん、なんだろ、あれ?」

山の斜面にずらっと立ち並ぶ、なんとも異形な様相の建造物。

遺跡…?

「あれはよ、亀甲墓っていってお墓さー。」

「え、お墓? 」「でかっ! 」

周知の通り、横幅が10m以上はある小さな家のような沖縄独特のお墓だ。
当然なんの知識もなかった僕は、根源的な文化の違いを早々に目の当たりにした。

沖縄は元来、風葬の習慣がありその遺体そのままを安置するためにこの大きさが必要とされていたという。
また、その白骨化した遺体を数年後に海で洗い清める「洗骨」という儀式が行われていて、今も粟国島の一部ではその風習が残っているらしい。

それを描いているのが、ガレッジセールのゴリこと照屋年之さんが監督したこの映画。洗骨にまつわる悲喜交々を絶妙なバランスで描いていて、笑ってしまいながらも涙してしまう、とても面白い作品だ。(飲んでいる泡盛が久米仙というのも最高)

また、僕の大好きな小説「豚の報い」にも、洗骨のくだりが出てくる。
主人公が父親の骨を洗いに向かう旅の途中、島で女達と豚料理のご馳走を泡盛片手に貪る様子が、まるで生と死を転写するかの如く、実にエロティックに描かれている。

そういった、沖縄の日常生活と異界との境目がシームレスなところが、たまらなく魅力的だ。


そして僕らは、今夜の宿に到着する。
今まで通りさんざんお世話になってきた街のビジネスホテルかと思っていたら、辿り着いた先は小さなビーチのすぐ側に建つ米軍ハウスだった。
ブロックを並べた様な広いアメリカンな平屋で、やはりこれも見るのも泊まるのも初めてだった。

みんな初の沖縄で興奮気味にコンビニへ繰り出し(またこれも品揃えにびっくりする)、さっそく泡盛や沖縄ならではのおつまみを買い込んで、明日からのツアーファイナルの前打ち上げが始まった。

一棟貸しで周りに気兼ねもなく賑やかに飲んでいる中、ふと、あの日からずっと憧れていた沖縄に今いて泡盛を飲んでいるんだよな、という事実に気持ちがすでに満ち足りていた。

宴も夜半になり、そろそろ明日に備えて寝ようかとなった時、そもそもベッドが足りないという事が判明した。ソファを入れても2バンド+スタッフには足りない。どうやら、ルームの上限人数と異なって予約がされていたらしい。
経費は多少浮くからありがたいと言えばありがたいんだけど、どこで寝るよ? となって、酔った悪ノリでジャンケン大会が始まった。
負けてあぶれたヤツは車で、というルールだ。

こういう時、だいたいイヤな予感がするんだよな…と思っていたら、案の定、僕と一瀬(ASPARAGUS)が負けを喫し、一夜の車上生活を余儀なくされた。
まぁそれもツアーバンドらしくっていいかなんて酔った頭で考えながら、助手席ですぐ眠りに落ちた。

しかし。
明け方、暑さで目が覚めた。
さすがにクーラーもかけていない狭い車内で男二人だ。
僕はたまらずドアを開け、すぐ裏のビーチまで歩いていった。
まだ薄暗い中、もちろん人の影もなく、聞こえてくるのは控えめな波の音だけだ。

もういっか、ここで寝よう。

僕は砂浜に腰を下ろし、そのまま倒れ込んで空を見上げた。
濃紺と紫色のグラデーションの中に、星が幾つも輝いている。
すごくなんだか懐かしい匂いと、波の音に誘われてまた眠りに落ちた。

気づくと、子供達の声が聞こえてきて、目を開けた。
いつのまにか太陽も顔をだしている。

軽い二日酔いの頭を起こして声の方を振り返ると、古い森のような中に、亀甲墓があった。
子供達はその前を楽しそうに走り回っている。

あ、お墓…。
不思議と怖いという感覚が湧かなかった。
こんな風に子供達が遊ぶ場所なんだな…。
(後に知ったのは、シーミーというお墓参りの際に墓前でご馳走を広げて親類一同でご先祖様と食事をする風習がある)

なぜだか圧倒的な安心感のある温度と空気の中、僕は微睡んでいた。

いまも時々、この時のことを夢で見る。
そこでは僕はその静かであたたかい海の中、たゆたい続けている。


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