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【ほぼネタバレなし】映画レビュー 「オッペンハイマー」

こんにちは!
株式会社LOCKER ROOMでWEBTOONのプロデューサーをしている久保田大地です。
もう遠い昔のようですが、今月はゴールデンウィークがありましたね。
僕はこのゴールデンウィークで、最近なかなか見に行けていなかった劇場公開映画を見てきました!
今回はオッペンハイマーを真剣レビューです。

遅れて公開されたオッペンハイマー

クリストファー・ノーラン脚本監督作、「オッペンハイマー」。
2024年度アカデミー賞にて作品賞を含む最多7冠に輝いた今作は、原爆の父と呼ばれるオッペンハイマー博士の人生を題材としているため、日本での公開は本国アメリカでの公開からかなりラグがありました。

世界で唯一原爆が投下された国に生きる日本人にとっては、かなりシビアな題材の今作。色々な理由で今作を見ないと公言している方も結構いた印象です。しかしノーラン監督を敬愛する僕は日本での公開を心待ちにしていました。
結果的に、今作は絶対に劇場で観るべき作品だったと断言できます。

原爆爆破シーンの衝撃

本作で必ず取り上げられるシーンといえばこれでしょう。
原子爆弾が初めて使用されたトリニティ実験。史実から結果を知っていても、このシーンがもたらす圧迫感と緊張感は映像体験のそれを遥に凌駕していました。

祖国のため、原爆の開発に命を燃やしていたオッペンハイマー。
アメリカ中の叡智を集め急ピッチに開発された原子爆弾は、実験が不発に終われば彼ら天才達の人生を一瞬で無価値なものにし、実験が成功すれば世界を破壊し得る未曾有の大量殺戮兵器の完成を意味します。
その葛藤の中で迎えた爆破実験の当日、そして10カウントシーンはまさに映画史に残るマスターピースと言えるのではないでしょうか。

まるで自分もその場にいるような、息もできないような圧迫感。巧みなカメラワークと名俳優たちの迫真の表情が、さらにその圧迫感を高めます。
そして自分が日本人であるという事実が、このシーンにおいてより重くのしかかってきます。オッペンハイマーたちと同じ目線でトリニティ実験の成功を祈っている鑑賞者としての自分と、その後日本にもたらされる悲劇を思うと失敗を願わずにはいられない自分。
引き裂かれそうな矛盾した気持ちを抱いたまま、我々は史実の通り死の閃光を目の当たりにすることになるのです。

爆発の瞬間、あたりは静寂に包まれます。
自分の動悸が聞こえそうなほどの静けさの直後、劇場は轟音に揺さぶられました。それは本当に、命の危機を感じるほどの衝撃です。
インセプションでは世界の創造、インターステラーでは5次元空間、テネットでは時間の逆行。ノーラン監督は新作を出す度に今まで見たことがない世界を僕らに啓示してくれましたが、今回のオッペンハイマーではこのシーンがそうでしょう。
まさしく、未だかつて見たことがない驚異的な映像体験でした。

時系列構成

クリストファー・ノーラン監督といえば、複雑な時系列の物語展開が代名詞です。誰かが「ノーランはシンプルな時系列の作品を作れない呪いにかかっている」と言っていましたが、それについては異論ありません(笑)
今作もそこまで複雑ではないものの、3つの時間軸が交錯する構成となっています。
本noteはあくまでもレビューであり考察記事ではないので時間軸の詳細は省きますが、観る前にざっくり史実の流れを把握しておけば大きな混乱はないような時系列でした。

ではなぜ今回のようなノンフィクション作品においても時系列を交錯させたのか。個人的には現在軸の原爆開発に情熱をかけるオッペンハイマーと、未来軸の原爆を生み「原爆の父」と呼ばれるようになったオッペンハイマーの心情を同時に視聴者に投げかけたかったからなのではないかと思っています。
ノーラン監督がオッペンハイマーの心情を通して世界に伝えたかったこと、それは原爆が大量に存在する今の世界で、これから我々がどういう選択をするかなのではないでしょうか。

本作のテーマ

ノーラン監督の映画はその複雑な構成から、テーマも一筋縄にはいかない難解なものだと思いがちですが、実はテーマ自体はシンプルなことも多いです。今作のテーマはなんだったのでしょうか。

それはトリニティ実験に成功して喜んでいたオッペンハイマーが次第に苦悩していく姿からありありと見て取れます。
自らの開発した兵器が遠い海の向こうで一瞬にして何万という人の命を奪い、そして今やその牙はいつ祖国アメリカ、そして自分の家族や大切な人にさえ向くかわからないという世界の状況を作り出してしまった。その苦悩は推して知るべきでしょう。
また、原爆開発にはオッペンハイマー個人の感情ではどうにもならないほど、国家という大きな力の渦が影響しているということが本作で示されています。
ノーラン監督がこの映画を作るきっかけの一つとなったのは、10代の息子が原爆のことに関心がない世代だったからだと語っています。原爆の脅威とこの地球に原爆は大量に存在するという事実を知る必要があると考えたのだと。

本作は単に反戦や平和を謳っているだけでなく、原爆という強力な存在とともに生きていかなければならない私たち一人一人が改めて核の恐怖に触れ、大きな渦の力に流されないように考えていく必要があるということを警告しているようにも思えます。
オッペンハイマーのことを悪魔だと思う人もいれば、戦争を終結させた英雄だと思う人もいます。彼のことをどう思うかという個人的な信条よりも、「核に関心がない」という状態にノーランは危機感を覚えたはず。
啓蒙や平和希求ではなく、あくまでも警鐘に徹するところがノーラン監督のクリエイターとしての矜持と言えるのではないでしょうか。

今回は映画「オッペンハイマー」の個人的レビューでした!
それではまた!

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