無題

難解な言葉の解像度をあげてエッセンスをつかむ。西田哲学の「主客未分」とは?

皆さん、こんにちは。久保家です。

久保家のリビングにはホワイトボードがありまして、毎朝、そこに夫が考えたことを描いて、朝ごはんを食べながら夫婦でディスカッションをしているのですが、その内容をコンテンツとしてまとめてみようというのが今回の試みです。

本日のテーマは「主客未分」です。今週末は京都に行くので、京都に関することをテーマにしました。「哲学の道」で有名な西田幾多郎の言葉です。

西田幾多郎は難解な言葉を使う哲学者として有名ですが、その難解な言葉の解像度をあげて、エッセンスをつかむということに挑戦したいわけです。夫は哲学は万民のためにあると思っておりまして、多少正確さには欠けても、自分の言葉に変換して、それを伝えていくことには大いに価値があると思うのです。

最近は、そのような意図を感じる本が増えてまして、こちらの「続・哲学用語図鑑 ―中国・日本・英米(分析哲学)編」ですけど、これが実にわかりやすい本なのです。難しい哲学用語を図解でわかりやすく説明してくれるのですけど、こちらに刺激を受けまして、気に入った言葉を説明してみたくなったというわけです。

「続・哲学用語図鑑 ―中国・日本・英米(分析哲学)編」
https://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A%E3%83%BB%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%94%A8%E8%AA%9E%E5%9B%B3%E9%91%91-%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E8%8B%B1%E7%B1%B3-%E5%88%86%E6%9E%90%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E6%AD%A3%E4%BA%BA/dp/4833422344

「主客未分」とは、主体と客体が別れていない状態、融合している状態ということです。西田さんは「善の研究」で、そのことを「純粋経験」と表現していまして、主・客に別れる前に、未分化の「純粋経験」があるのだと言ったわけですね。

ホワイトボードの左の図を見てください。下の図は、太陽を見ている人がいますね。実はこれ、西洋的な視点なんですね。西欧のデカルトさんは、心身二元論を唱えて、「精神」と「物質」を分離して明確に区別しました。

西洋では、自然と人間を明確に分けて、それは対立するものと考えるのですね。人間はちょっと特別な存在と考えるわけです。自然ではないのですね。自然が好きな日本人の感覚からすると、違和感がありますね。

この考え方は、古代ギリシャのプラトンやアリストテレスが自然を人間に対立するもの、人間が「制作する」ものと考えたことから始まっているようです。西洋の哲学の根源をたどると半分くらいはギリシャになりますね。もう半分はキリスト教です。

西田さんの「純粋経験」は、そのデカルトの考えに対する批判で、西欧の考えに対する日本の考え方を哲学にしたわけです。つまり、自然は人間に対立するものではなく、人間は自然の中に存在し、むしろ自然と一体なものであると考えます。

「アニミズム」の考え方ですね。日本では原始的な考え方が現在にも残っているのですね。これは世界的にみても貴重なことだと思います。外国から見ると、ジブリの世界のように見えているかもしれません。

夫はこの主客未分の考え方をグローバル・スタンダードの時代に対応するために・・・、そういや、最近、グローバル・スタンダードとか、あまり言わなくなりましたね(笑) はい、主客未分という言葉を、英語に変換してみました。

精神、つまり主体は「Subject」。そして、物質、つまり客体は「Object」。
この2つが融合している状態なので、「Subject」+「Object」=「Sobject」
つまり、「主客未分」とは「Sobject」なのです!!(パチパチパチ)

けっこう、イケてると思ったのですけどね・・・。じゃあ、本日の対話に移ります。

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