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母の日の苦い思ひ出。(それも実母と義母両方の)その1

 春の陽気が身体になじんできて、気づくと商戦がらみの次のイベントは「母の日」。花やギフトに関する広告が、街角やインターネットで目につくようになってきた。
 ここ数年私は世の中がそういうモードになっても、あまり気にしなくなった。
 実母には適当にネットで花かお菓子を贈り、義母にはお祝いのメールだけ送信する。
「稀沙さん、母の日が近づいてきても大丈夫ですか?」
 最近同じような境遇の人に、そう尋ねられ、その時は、
「自分の中で他人事と割り切ってるから」
 と答えた。
「偉い!」
 とまで言ってくださったけれど、帰宅してもう一度考え直してみたら、ああ、母の日にまつわる嫌な思い出は、まだ心の奥底に沈んでいたではないか。
 決して忘れたわけではなく、思い出すと胸糞悪くなるので、ただ封印していただけだったのだ。
 母は、何かをあげても、決してダイレクトにはお礼を言わない。誕生日プレゼントも含め、届いた旨の電話なり手紙なりをよこすと、
「そんなことしなくても良いのに」
「子どもが小さいんだから(息子たちが幼少の頃)、私にまで気を使わなくても・・・」
 とあらん限りの謙遜祭り。
 せっかく時間をかけて喜んでもらえるよう選んでも、必ずこう言われてしまうので、いつも嫌な気分になった。
 こんな気分を味わうのは辛いだろう、と私はよけいな気を回し、母からの贈物に対しては、文句も言わずに受け取ることにしているが、全部が全部もらって嬉しいものとは限らない。そして、大体が自分の趣味で選ぶ。手渡しされる時には、その商品を見つけた時の長い説明がおまけとしてついてくる。
「デパートを歩いていて何気なく横を見たら、このバッグが目に入って。これいくらですかって店員さんに聞いたら、本当はもっと高いけれど、今バーゲンで40%オフになってますよって勧めてきたのよ。それで、他の色はないのかって聞くと、もう売れちゃってこの色しかないって言われて・・・」
 私にどう反応しろと?
「こんなステキなバッグ、バーゲンしてて良かったわね」
「残り物には福があるって言うじゃない? この色でかえって良かったわよ」
 私も、心を閉じているので、このようなおべっかの類を口にすることはできない。
「ありがとう」
 と受け取るだけで、精一杯だ。
 贈物のやり取りは、人間の機微。相手を思いやってこそだろう。
 母は、そういう思いを簡単に飛び越えてくる。
 ある年に、インターネットでカーネーション数本と2粒くらいのプルーンがついたプチギフトを贈った。
 それは、あまり仰々しい品を贈るとまた、
「良いのに・・・」
 みたいなことを言われるのを避けるためでもあった。
 


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