九葉谷 稀沙 Kubatani Maresa

毒親育ち、アダルトチルドレン、パニック障害(70%治癒)、きょうだい児、ベビーシッター…

九葉谷 稀沙 Kubatani Maresa

毒親育ち、アダルトチルドレン、パニック障害(70%治癒)、きょうだい児、ベビーシッターによる虐待など、壮絶な私の人生。なんとか生き延びてアラ還に。同じ思いをしてる人に少しでも元気になってほしくて、書くよ。心をこめて。だけど、時々強烈なできごとも書いちゃうかも。その時は、ごめんね。

最近の記事

満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その7

 さらに。 「和洋からいじめられていること、ママには絶対に言うなよ」  と晴信に口止めされていた。  その理由は、今となってはわからない。  私のように、 「預かってもらえなくなったら、母が困るだろう」  という理由だったかもしれないし、 「いじめられていることを母に知られたくない」  という男子としてのプライドだったのかもしれない。  まあ。  どちらにしても幼い2人の子どもは、母のことを思いやって行動していたことは、たしか。  毎日針のむしろのような日々だった。  そこで

    • 満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その6

       のろのろと歩いて、島谷さんの家に一人戻った。  まだ泣くのを懸命に堪えていた。  そこへ晴信が一人だけ戻ってきた。 「お姉ちゃん、ごめんね。僕はこんなことやりたくなかったんだよ」  とか何とか。  言い訳なのか謝罪なのかわからない言葉が、続いていた。  私は、晴信に対しては何とも思ってはいなかったけれど、こんなことを弟に言わせてしまう和洋たち、そして自分を憎んだ。  そうなのだ。  幼い時、私は晴信のことを運命共同体と思っていたのだと思う。和洋のひどさを知っていて、島谷家の

      • 満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その5

         和洋のことも怖かったけれど、進一までいたのなら逆らうことなどできない。彼は私より一つ年上で、中学に入った途端本当に不良になってしまったほどの悪ガキなのだ。  私は合図に合わせて飛んだ。下は芝生に生えていた雑草を取り除いて集め、小山になっていた。けっこう高い所から飛び降りるわけだけれど、ケガをする心配はない、と幼心に判断した。  だから難なく着地できると思った。  それなのに。  私の身体は、ズボッと胸のあたりまで埋まってしまったのだ。最初、何が起こったのかわからなかった。そ

        • 満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その4

           だいたい。  お手伝いが辞める原因は、母の意地悪だ。私も何度も目撃したし、嫌味を言われて悲しんでいる若いお手伝いを何度も慰めたことがある。  今考えると、そうとうにおかしい。5,6歳の私がそのような仲裁役に入るなんて、もうアダルトチルドレンそのものではないか。そんな役目を負わされた、少女の頃の私を本当に気の毒に思う。  島谷家には、私と同じ年の長男和洋と2つ下の次男誠二がいて、一緒に遊ぶような年頃の女子はいなかった。  ある時、男子たちは外で遊んでいた。私が小学3,4年の頃

        満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その7

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その3

           私もそれは理解できたので、 「晴信だけ○○○を買ってもらってずるい!」  というような比較による妬みは言わないようにしていた。  私が欲しい物は、何であろうと必ず反対され、何度もねだってようやく渋々買ってもらえる。 「まったく、こんな物欲しがっちゃって」  というような嫌味が必ず「おまけ」としてついてきた。  一方晴信は、それほど頼みこまなくても欲しい物は、すぐに買ってもらえていた。 「あれ? もう買ってもらったの?」  そう思ったのは、一度や二度ではない。  ある時期は、

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その3

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その2

           晴信は、そういうところもとても下手だ。まだ晴信が結婚する前に、私たち夫婦が実家を訪ねた際、彼が帰宅したので、ひとしきり世間話をしていた。 「じゃ俺また出かけるから、ちょっと物を取りに来ただけ」  と言うので、玄関まで送ったら。  なんと車の助手席に直美さんが乗っていたことがあり、本当に驚いた。  その時間、5分や10分ではなかった。ゆうに30分を越えていたはず。暗い中一人で待たせるよりも、一緒に家に入って顔を合わせ、両親となじませる機会を作れば良いのに、そういうことはどうも

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その2

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その1

           私のエッセイには、幾度となく登場する3つ年下の弟、晴信。今回は、彼のことを中心に書いてみようと思う。晴信について書くことで、やはり歪んだ私の家庭を理解してもらえるのでは、と思うからだ。  私と晴信は、長きに渡る音信不通だ。  かれこれ7、8年は経つのではないだろうか。それまでも、会うのは年始や夏休みに私が実家に行った時くらいで、頻繁に行き来していたわけではない。  私の推測だけれど、母を通して語られる私の話が気に入らなくて、それが真実かどうかも確かめないまま、無視をしている

          満を持して書く弟のこと。(ある意味私より被害者)その1

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その18

           まず泣く前に必死に涙を堪えていると、なぜか喉にものすごく負担がかかるようで、奥の方が痛くなってしまう。そのまま我慢していても、食べ物が飲みこめないほど痛みが増してくるので、中座するしかないのだ。  涙があふれてきてしまい、席に着いたままでいると、 「そんなことで泣くなんて、バッカじゃないの!?」  とまたまたけなされるから、立ち上がり他の部屋にこもってさめざめと泣くのだ。  背後では、思った通りの母の罵りが聞こえ、本当に絶望的な気分になったものだ。それが一度や二度ではない。

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その18

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その17

           その類のことを言ったことはあるけれど、まったく自覚がないので、暖簾に腕押しの状況になるか、思い切って言った分、その傷口にさらに深く塩を塗りこまれてしまうので、痛い。  いわゆるセカンド・ハラスメントを受けてしまう。まだ本題に入っていないのに。  あまりにひどい対応に涙をこらえるのが精一杯だ。ここで落涙してしまったら、 「こんなことで泣くなんて。バッカじゃないの?」  とまたまた笑われるかけなされてしまうので、とにかく我慢するしかない。  義母でさえ、私の思いの丈をぶちまけ

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その17

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その16

          だから、島谷さんの怒りの源は、義母への嫌悪感ではないかと思っていたわけだ。そう言えば、2人が仲良く話している姿は一度も見たことがなかった。 「皆仲良くすれば良いのに・・・」  幼い私は、そんなふうに思っていたけれど、長い歴史の中で姑は嫁をいじめるもの、という共通認識は、21世紀になっても一向に消えていかない。  私は、まだ姑の立場にはなっていないけれど、とりあえず今は姑の暴言に耐える嫁という役割は、放棄できた。  これは。  実母と縁を切るよりは、かなり簡単だったと思う。

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その16

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その15

           また、逆の例も目撃したことがある。何度も書いている保育ママの島谷家でのこと。  私が小学2年になった頃、突然祖父母が同居することになった。事情は、知らない。保育ママの島谷さんにとっては義理、つまりご主人の両親だった。  島谷家の息子2人は、珍しさも手伝って、 「おばあちゃん、おばあちゃん」  と何かにつけて話しかけ、なついていた。  祖母というものは、年を重ね会話も動きもゆっくりになり、そのペースが子どもたちにとってちょうど良かったりするものだ。ましてや後からやってきたその

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その15

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その14

           自分が孫たちにやさしく接すれば、私より好かれるかもと思ったのだろうか。それは、あまりにも、淡い期待ではないか。  まだ2人が小学生の頃、私が何かに対して注意をした時、2人を自分の側に呼び寄せて、 「嫌なお母さんね~ぇ」  と言った時には、心底頭にきて、蹴り倒してやろうかと思ったほど。  いったい何の目的でそんなことを口にするのか。私を悪者にして何が楽しいのか、まったくわからない。  いつもそういう扱いをし続けた結果、私がどう思うかということに思いを馳せるという感覚がないのだ

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その14

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その13

           その意図は・・・。  要するにあの時私想定外の行動をしたために、自分がよけいな心配をしなければならなくなり、せっかくの楽しい旅行に墨を塗ってきた、という恨みを何度も何度も晴らしにかかっているのだ。  私は、そんなにひどいことをしたのだろうか。  解せない。  たとえ私が旅行に汚点をつけたとしても、母は私の人生にとんでもない染みをスプレーで何百回も吹きつけているではないか。  そのくせ、一番楽しかった海外旅行はドイツだ、といつも言う。楽しかったのなら、そちらだけ記憶にとどめて

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その13

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その12

           湊は、私の言葉を受けて、 「あの時は笑っちゃったな。ホテルで寝てたら電話かかってきて、今どこ?! って大騒ぎしてさ」  私のことだ。  フライトスケジュールをプリントアウトして置いて行ってくれたのだけれど、日にちを間違え、しかも到着時刻まで勘違いして、ネットで離発着の情報を見ても載っていないので(勘違いしているのだから、なくて当然)、完全にパニックになり、墜落してしまったのかと思ってしまったのだ。  さんざん母にやられて嫌だったので、旅行中はこちらから一切連絡をしていなかっ

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その12

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その11

           この計画が決まってから不機嫌になってしまった母を置いて、パリに行った。楽しく過ごしたのだけれど、帰りの電車がアクシデントにより、途中のルクセンブルグで止まってしまった。  まだユーロになる前だったので、ドイツの従妹に事情を説明したり、迎えに来てもらう場所を変更したりする必要が出てきてしまったけれど、なんとか無事に戻ることができた。  予定外のことが起こっても、自分なりに考え行動して、解決できた。私にとっては、とても大きな武勇伝。  ユーロ前のため、通貨も違う。色々トライして

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その11

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その10

           夫の広大とは、今でも手を繋いで歩くのが好きだし、一つのベッドで眠っているのでそれほどまでに人肌が恋しいわけではないだろう。なぜ見も知らぬ人の手で、こんなにもやすらぎを覚えるのかが、わからなくて色々と考えているうちに、はっとした。 「それだ!」  それに違いない、と思ったのは。手が女性のそれだったからだ。  つまり。  母にもらえなかったぬくもりが、思わぬところで手に入ったからだ。広大の男の手ではなく、丸味を帯びた女性らしい感触が、私の欠けた部分に作用してきたのだろう。  そ

          「この人ったらね」で始まる毒矢。私の悪口を言い続ける母親の闇。その10