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データで予測できない世界に立ち向かう

メールチェックしているときに、以下の記事に目に留まりました。NIKKEI FT the Worldからの「投資業界、分析を金融工学から地政学にシフト」という記事です。

投資業界では過去20年間にわたり数学的なアプローチを主軸に投資戦略を練ってきましたが、今は政治学者の助言を求めているのだそうです。記事になる前から動きがあったはずですので、「すでに起こった未来」のようにも感じます。

金融工学の軸は数理モデル。つまり、データサイエンスをベースに組み立てられています。

しかし、データと正規分布、あるいは機械学習で予測できるのは多く見積もっても連続的な変化までであり、非連続な変化に対応するには別のアプローチが必要になります。今日の投資分野ではそれが地政学ということなのでしょう。

このnoteでは、データで予測が難しい、ビジネスの非連続的な変化を捉えて対応するための工夫を考えます。


専門家に頼れない時はチャンスかもしれない

投資分野に限らず、こうした非連続的な変化に対応していくには、数理的なモデルで表現できない情報を読み解くことが大切です。一般的には定性的な情報ということになりますが、情報を無条件に集めるだけでは心もとないですね。

有力な対処法は、冒頭の記事にあったように、関心のある分野に影響を与えている「何か」を専門に研究している人の力を借りることでしょう。もし、その「何か」に対してアカデミックな研究分野があるのであればベストです。その分野の研究者の力を借りることができるからです。

一方、関心のある分野に影響を与える「何か」について、アカデミックな取り組みがない場合はどうしたらよいでしょうか。

一見すると非常に難しい局面だといえますが、実はチャンスかもしれません。もしその分野の変化に気づいているのがあなただけだったとしたら。

偉大な起業は、目の前にあるのに誰も気づかない世の中の真実を土台に築かれる。いつも僕たちの周りにありがちな見過ごしにしていた余剰スペースを利用した、シリコンバレーのスタートアップを思い出してほしい。

引用元: Zero to One,ピーター・ティール

秘密を探すべき最良の場所は、ほかに誰も見ていない場所だ。ほとんどの人は教えられた範囲でものごとを考える。学校教育の目的は社会全般に受け入れられた知識を教えることだ。であれば、こう考えるといい――学校では教わらない重要な領域が存在するだろうか?

引用元: Zero to One,ピーター・ティール

たった20年で大きく変わる

とはいえ、ピーター・ティールのいう秘密になり得る「変化」をいち早く捉えるのは簡単ではありません。多くの場合、すっかり世の中が変わってからようやくその変化の大きさに気づくものです。

過去20年程度を振り返っただけでも、多くの変化が起きたことに驚きます。

例えば、いつの間にか職場のデスクで喫煙をする人はいなくなりました。私が新卒で入社したときには分煙化が始まっていましたが、まだまだ喫煙文化がありました。私は喫煙者でないのでこの変化には大いに助かっています。

また、アラン・ケイが1972年に提唱したダイナブック構想は、スマートフォンと常時接続ネットワークによって自然に実現されつつありますが、20年前には無骨なノートPCがあるだけでした。

さらに、ワークスタイルの変化には目を見張るものがあります。私が就職後にSEとして働いていたときには、常にスーツ姿でオフィスに通い、上着の肘をテカらせながらタイピングしていたものです。しかし、私が勤めていた会社ではコロナが始まる1-2年前にカジュアルスタイルが導入され、コロナ後にテレワークが当たり前になりました。

20年前にこれらの変化を予測できた人はどれくらいいるでしょうか?

自分の半径5メートルに注目する

このように、いたるところで変化が起きています。そして、インパクトのある変化ほど「非連続的に」感じられるものであり、定量的なデータ分析ではとらえようがありません。

しかし、その変化を捉えて楽しむことは、複雑な世界で生きる上で面白いことだと私は考えています。そして、その変化は学校で習わない、つまりアカデミックの外側にあるものの方がよりエキサイティングなわけです。

では、どうやって変化を捉えればよいでしょうか。

私が変化を観察するために採用している戦術は「自分の半径5メートルに注目する」というシンプルなものです。

自分の目と手足が届く範囲の情報に注目して定点観測し、変化を定性的に捉えるようなアプローチです。また、内向的で交友範囲も狭いので、家族や友人、仕事で深くお付き合いした方との控えめなコミュニケーションから変化を感じ取るようにもしています。

具体的には以下のようなことをやっています。

  • 自分の関心にそって、思いつくままに本やニュース記事を読む。コスパは考えない。

    • 専門分野については、網羅的に情報を集める。

    • 専門分野外については、関心がある事項を2-3個絞って定点観察する。

  • 仕事でつながりのある人と時々話す。

  • 家族とたくさん話をする。

私は自分が関心を持っていることにはどこまでも掘り下げてしまいます。たとえばデータサイエンスやピープルアナリティクス、IT、実践的なマネジメントなどです。

逆に、興味はあるが専門外で理解が難しいという分野も何とかしようと張り切ります。例えば地政学には全く疎いのですが、とても気になるので時折「フォーリン・アフェアーズ・リポート」を読んでいます。

定期的にコミュニケーションをとる友人の存在も大きいです。前職の同期に始まり、他分野で活躍している友人と会話すると気づくことが多いです。といっても毎月会いましょう、みたいな儀式をしているわけではありません。お互いにふと「最近話してないから話そうか」という感じで話してみるわけですね。1年、あるいは数年ぶりにお互いの仕事の話をすると、やはり変化を感じることができます。

また、家族との会話で気づくこともたくさんあります。特に子供たちの学校環境や教育、ポップカルチャーの変化を見聞きすると、自分が想像しているよりも遥かに大きな変化が起きていることに気づきます。また妻は自分と異なる感性を持っているので、いつも感心しています。

このように、狭いながらも自分の関心を軸に情報集め、信頼を寄せている人との会話を重ねることで、変化の「小さな種」を集めることができています。

その多くは世界を変えるような洞察ではないかもしれません。しかし、ニュース記事になるよりか少し前に変化に気づくことができることもあります。
それは私にとってとても楽しい瞬間です。趣味といってもよいですね。

関心にリソースを割くために

自分の関心事を調べようとすると、関心がないこと使う時間がなくなってきます。必然的にやることを取捨選択しなくてはなりません。

私の場合、今も昔も以下のような感じです。

  • テレビ番組やニュースを網羅的にみることはしない。
    (学生時代からほとんどテレビを見ない生活を送っています)

  • 世の中の流行りを追いかけない。

  • スモールトーク用の話題集めをしない。

つまり、自分の関心の範囲を大きく超えることはできないことを意味していて、社会生活ではたびたび問題を抱えることになりました。

例えば、スポーツやニュースのトレンドについていくことも叶いませんので、社会人になったころは大変でした。

今でこそテレビ番組を見る人は減っていますが、2000年代前半はまだそうではありませんでした。特に若手の頃は、職場の飲み会で話題についていけず困ったものです。プロ野球選手のことや好きなアイドルについて尋ねられてもよくわからなかったからです。そんなとき、適当に相槌を打ってやり過ごしていました。

しかし、ある大きな飲み会でワールドカップの話題になったとき、別の部署の管理職の方から「お前、実はサッカーのことわかってないだろう。わかったふりして話を合わせているな。どうせそんな感じで適当に仕事をしているのだろう」とズバッといわれてしまいました。適当に相槌していたのを見抜かれていたのです。

確かにその人が言っていることは半分正しい。しかし、サッカーの話についていけなかったことで、初対面の管理職に仕事まで否定されたのはショックでした。

当時、仕事に対しては寝る時間も惜しいと思うほど全力で取り組んでいましたし、休みの日も専門書を探して読みながらあれこれ悩むほど入れ込んでいました。ある意味、いつも製品とそのビジネスのことを考えて生活していたのです。

他部署の人にそれを分かってほしいとは思いませんでしたが、自分のコミュ力がないことで自分のビジネスをコケにされたように感じ、悔しくてその日はなかなか寝付けませんでした。

そんなことがあってもなお、自分のリソースを関心のないことに割くのはどうしてもできませんでした。プロ野球やワールドカップ、アイドル、テレビドラマに関心がないのはどうしようもなかったのです。

こうした特性は社会生活の中で間違いなく不利に働きます。それでも自分が快く生活する上でその「不利」を飲み込むことを選択してきました。

少なくとも自分にとってはそれは必要なことだったと今は思います。

エフェクチュエーションという方法

ここまでは非連続的な変化を捉えるための私なりのアプローチを書いてみました。では、そうした変化に個人としてどうやって対応していけばいいのでしょうか。

ひとつヒントになりそうなのが「エフェクチュエーション」という考え方です。

エフェクチュエーションは起業家の行動特性を調査した研究から生まれた概念で、不確実な状況下での効果的な戦術を教えてくれます。その具体的な定義を参考文献から引用してみます。

「エフェクチュエーション」とは何かを一言でいうならば、それは「熟達した起業家に対する意思決定実験から発見された、高い不確実性に対して予測でなくコントロールによって対処する思考様式」です。

引用元:エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」,吉田満梨・中村龍太著

平たくいうと、起業をするときに市場の想定や規模、競合、ビジネス課題を予測して手を打つのではなく、起きたことに上手く対処することで事業を成功させるような方法です。

数年前から流行っているリーンスタートアップの考え方に通じる部分もありますが、アンチウォーターフォールという図式だけでは捉えられない話に感じました。

一般的に事業を起こすことを考えるとき、何らかの事業計画をもって行動するというのが王道です。具体的には、ターゲット市場や課題を絞り込み、マーケットの規模と勝ち筋を考えてビッグピクチャーを描き、必要な人材と資金を調達して走り続ける、みたいなイメージでしょうか。

はじめの事業計画一本で勝負し、最後まで手戻りや軌道修正で乗り切るのがウォーターフォールのイメージです。一方、アジャイル的なリーン顧客開発では、顧客のペルソナを描きつつ、課題の確からしさや課題と開発手段のフィッティングに心血を注ぐアプローチです。

これらの方法論はそのプロセスと課題解決手段が大きく異なりますが、目的や課題を軸にする点は一致しています。目的に対する手段が違うだけともいえます。

どちらともプロジェクトや事業が開始した段階では、少なくともターゲットとする市場機会は想定されています。もし、何の市場機会もイメージできなかったとしたら、その事業は始まることはないでしょう。これは市場の機会を予測して行動しているといえます。このアプローチをコーゼーション(因果論)といいます。

一方、エフェクチュエーションは市場機会の予測に重きを置きません。なぜなら、不確実性の高い状況ではいくら精度の高い予測をしようとしても上手くいかないからです。

それではエフェクチュエーションの使い手はどのようにビジネスを起こすのでしょうか?

その考え方を簡素にまとめると、

  1. 手中の鳥の原則:起業家が持っているリソースから何ができるか考える。

  2. 許容可能な損失の原則:行動は利益の最大化でなく損失にコミットする。

  3. レモネードの原則:予期せぬ失敗を受け入れて活かす。

  4. クレイジーキルトの原則:自発的な参加者と共創する。

  5. 飛行機のパイロットの原則:コントロール可能な活動に集中する。

という5点になります。

ひとつひとつを見ていくと従来のビジネスアプローチと似ている部分があることに気づきます。たとえば、「許容可能な損失の原則」はリーン顧客開発でも重要とされている点で、長大な計画一発でコストを使い切るのでなく、何度も勝負できるように必要最小限の製品(MVP)で試すという方法と似ています。

また、「レモネードの原則」は発明や技術開発でよく出てくる話ですし、「クレイジーキルトの原則」はオープンイノベーションの文脈に近そうです。

エフェクチュエーションの特徴は、「手中の鳥の原則」と「飛行機のパイロットの原則」にあるように感じます。これら2つは、市場機会があまり見えていなくても始めるための原動力になるものです。

想定でも仮説でもいいのですが、ゴールがイメージできていない中で動くというのは大変勇気が必要ですし、一般的な会社組織ではまず受け入れられません。あるべき姿(To Be)と現状(As Is)のギャップ分析から始まる現代的なコンサルティング手法と真逆でもあります。

エフェクチュエーションの発想は、「そもそも市場の非連続な変化や機会は見えていないのだから、自分の着想をもとに動いてみないと始まらない」という考え方が根底にあります。そして、自分自身の行動を通してしか学べないといっているようにも思えます。

つまり、エフェクチュエーションは先に述べた「自分の半径5メートルに注目する」というアプローチと相性が良いのです。事業に限らず、データで予測できない世界に立ち向かうためにも有効なアプローチではないかと考えています。

手中の鳥を増やす

ここで自分自身の「人生」を考えてみてください。
その不確実性は予測可能なものでしょうか?
それとも予測不可能なものでしょうか?

私自身のことを考えてみると、今の生活や仕事について予想できたことはあまりないように思います。

中学生や高校生のころは、生まれ育った愛媛で一生過ごすのだろうなと思っていましたが、就職を機に関東に出てきていて、気が付くと関東での生活の方が長くなっています。

また、新卒で配属される前はフィールドSEになるのだろうと思っていましたが、業務アプリケーションの開発部隊に配属され、プロダクトマネジャーを経験できました。

そのままSE/PdMとして仕事を続けていくのかと思いきや、ふとしたアイデアでデータサイエンティストになり、七転八倒している内に技術チームの部長になっていました。

そして、これでサラリーマン生活も安泰でしょうと周りから思われたところで独立しているわけです。

本当に人生何が起こるかわかりません。しかし、本音を言うと、何かが起きただけではなく、自分で起こしている部分もあるのです。それはエフェクチュエーションのなせる業のように思います。

なぜなら、新しいキャリアの一歩目はいつもWillとCanの交差点にあったからです。また、踏み出した先にはきまって想定外なことが潜んでいました。そして、常に前向きであったとは言えませんが、わちゃわちゃやっている内に新しい視点や武器が増え、それが次のキャリアにつながっていきました。つまり、走りながら手中の鳥を増やしていったわけです。

振り返ってみると、関東に出てきたこと、SEからデータサイエンティストへ転身したこと、社内のピープルアナリティクス支援を始めたこと、そして独立したことはどれも非連続的な変化でした。

この顛末がどうなるか自分にはわかりませんが、自分の関心に沿って手中の鳥を増やしていくことは続けたいと思っています。



この記事のテーマは「データで予測できない時どうするか」という話でしたが、それは事業だけでなく人生も同じではないかと考えています。

これはあくまで個人的な感覚にすぎません。

もし同じように感じた方がいらっしゃいましたら、ぜひエフェクチュエーションについて調べてみてください。もしかすると武器が手に入るかもしれませんよ。


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