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ヒロインと、生きていく

やっと感想を書くことができました…!
もうずっと、発売が決まってから楽しみにしていた本でした。

『小説や漫画、ドラマ、映画、アイドルに描かれる「ヒロイン」を読み解き、今の世の中を考察!!』なんて絶対におもしろいに決まってる……!
私は三宅さんの著作のファンなので、何度か感想書いたりしているのだけど今回も書きました。仕事納めして、時間があってよかった。好きなことを書ける時間は最高だ~。
本当に素敵な本で、とてもおもしろいので、一人でも多くの人に読んでほしい。

本の紹介

まずはまえがき。

ヒロインの活躍する物語が好きだった。
主人公じゃなくても、登場する女性たちがいきいきしていると、嬉しくなった。フィクションのみならず、現実を生きる女の子たちの物語に元気をもらうこともあった。

女の子の謎を解くp2、笠間書院、三宅香帆著

まだ2ページめ、なんなら表紙めくってすぐのところ。
わかる…!と思わず握り拳を作った。私も昔から女の子の活躍する姿が大好きなのだ。少年漫画でも奮闘する男の子たちより、その横にいる女の子キャラのほうが好きだった。
NARUTOも主人公であるナルトくんやサスケくんじゃなくて、春野サクラちゃんのことを追いかけていたし、名探偵コナンも工藤新一くんや服部平次くんより、毛利蘭ちゃんや遠山和葉ちゃんが好きなのだ。

そしてヒロイン大好き三宅さんが『ヒロインについての批評がなんでこんなに少ないんだ!じゃあ自分が!』と書いたのがこちらの本だ。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784305709509

もう目次を読んでみてほしい。ひとつぐらいは読んだり見たりした作品があるのではなかろうか。

女の子の謎を解く
女の子の謎を解く
女の子の謎を解く

アラサー女オタク、刺さりまくりである。
ラインナップに覚えがありすぎる。
言及したいところはたくさん、たくさんあるのだけど長くなるので一番好きなところを取り上げたいと思う。

女性の持つミソジニーを紐解いた鮮烈さ

第二部 少女漫画の謎を解く――作品論
○なぜ少女漫画ではしばしば男女逆転の物語が登場するの?―大奥論
ジェンダーSF漫画史の文脈『ポーの一族』『日出処の天子』

女の子の謎を解くp130、笠間書院、三宅香帆著

私もよしながふみの『大奥』をずっと追いかけて、最後まで読んでいた。この章のもとになったであろう三宅さんの『大奥』完結後のnote記事も大好きで、何度も読み返している。

『第二部 少女漫画の謎を解く――作品論』では『大奥』について語るまえに、ジェンダーSFというジャンルを女性作家たちがどのように扱ってきたのかの解説がある。山岸凉子の『日出処の天子』を用いて女性自身も女性性への嫌悪を持つことが書かれている。
私はBL作品も好んで読む人間だ。本書でも書かれているように作中に出てくる女性キャラがひどい扱いを受ける場面に幾度も出くわし、複雑な気持ちを抱いたこともある。それらが示すのは女性自身の持つ女性性への嫌悪、ミソジニーなのだということは頭のどこかで薄っすらと感じていた。でもそれらを語る言葉を見つけられないままでいたところ、三宅さんが見事に言語化してくれたのがこの言葉たちだ。

たとえば日本の女性アイドルをしばしば未熟だ、あまり歓迎すべきではない文化だ、と嫌悪するとき。あるいは母親がはじめて、娘の異性に媚びる姿を見たとき、なんともいえない嫌悪感を覚えるとき。あるいはBLで男性に媚びる女性キャラクターをあえて登場させるとき。――どれも女性自身の「媚びることしかできない」女性性への嫌悪だ。ここでいう媚びることとは、すなわち「最終的に子を産む性として扱われることを受け入れ、望んだ振る舞いをすること」である。
「媚びる」女性は、自分たちの性が弱いことを受け入れてしまっている。わざわざ弱さを見せつけに行く、その姿勢に嫌悪を覚えてしまう。弱いから、低く見積もっていいのだと自ら下に潜り込むようなその姿勢に。なぜ自分から下に出るのだと嫌悪する。それは自分が忘れてきたはずの、必死になくしてきたはずの、男性に媚びて産むことしかできない性であるという現実を受け入れることが許せないからだ。

女の子の謎を解くp139、笠間書院、三宅香帆著

この一連の流れが好きすぎてp139をほぼ引用するという事態……。
BL作品は女性の読者が多いと思う。もちろん男性でも楽しむ人はいると思うけれども、手に取るところを見るのは圧倒的に女性が多い。そんな場でもミソジニーが描かれるのはそれに需要があるということだ。じゃあ、その需要とはなんぞやと考えてみた。
これは私のBL作品を読んできての経験則なのだけど、ミソジニーを込められた女性キャラはだいたい男性キャラに蔑まれたり、ひどいフラれ方をする。恥をかかされたりして、ネットスラングでいうところの『ざまぁ』な展開となって物語のなかに塵となって消えていく。ともすれば懲罰的とすら思える仕打ちを受けることもあるのだ。
三宅さんのいうところの『「媚びることしかできない」女性性』を男性キャラが激しくはねつける。これにより自分たちの持つ女性性による男性への媚びは価値がないことが立証されるのではなかろうか。そして男性に媚びる必要はないとカタルシスを得られる。はねつけ方が苛烈であればあるほど大きいカタルシスが発生する。
そのカタルシスを求める需要が存在するのではないかと私は思う。

勉強不足なだけといわれればそうなのだけど、少なくとも女性自身が抱えるミソジニーが作品に落とし込まれているという指摘を見たのは三宅さんが初めてだった。
女性自身のミソジニーが存在することの理由、それが物語に組み込まれてきた流れまでを細かく述べてくれる言葉に出会えて私は嬉しかったし、もっと様々な場所で語られてほしいトピックスだ。
そして願わくば女性が自分の女性性を嫌悪し、そのカタルシスを作品に求めなくてもよくなるような、女性性を忘れようとか、なくそうとかしなくてもいいような世の中になればいいなと思う。

『凪のお暇』と『マイ・インターン』

このほかにも三宅さんは多くの作品に登場するヒロインを通して、世の中の動きや変化を考察する。その変化にあわせて女性が、少女が何を求められ、不要とされてきたのは何なのかをあぶりだしてくれる。ここでまえがきに戻る。三宅さんはまえがきにてこんなことを書いている。

『簡単に言ってしまえば本書の狙いはただひとつ。「この本を読み終わった後に、あなたが自分にとってのヒロインについて語りたくなること」だ。』

女の子の謎を解くp6-7、笠間書院、三宅香帆著

頭の中でもや になっていた考えを鋭く言葉にしてくれる三宅さんの手腕のおかげで、私もまんまとヒロインについて語りたくなってしまった。
先述した通り、私はヒロインの活躍が好きだ。大好きなヒロインがたくさんいる。誰を書こうか悩んだけれど、このnoteでも他のSNSでもあまり映画の話をしていないことに気づいたので、好きな映画からヒロインを語ろうと思う。
私が大好きで繰り返し見ている映画『マイ・インターン』よりアン・ハサウェイ演じるジュールズ・オースティンだ。Netflixで見られるので加入している方はぜひ!

ジュールズは、仕事でも家庭でも成功した現代女性の理想の人生を送っている。ファッションの通販会社を立ち上げた女社長で家庭でも優しく温かい母親だが会社の急成長に仕事量が急増し、なかなか夫とも時間が取れない。会社のほうでもこのままではキャパオーバーになるため、CEOとして外部の人間を迎えたほうがいいのではと打診されて悩んでいる。
そこにやってきたのがロバート・デ・ニーロ演じる70歳のベン・ウィテカー。彼はジュールズの会社のシニアインターンとして採用され、ジュールズのもとへとやってくる。本作はジュールズとベンが様々なアクシデントをともに乗り越え、交流を深めながら一人の人間同士として尊重しあう物語だ。ジュールズが実母との折り合いが悪かったり、夫のマックが専業主夫だったりするところも今っぽい設定だ。
それにしても本当にアン・ハサウェイはいつ見てかわいくてきれいだよなあ……。オーシャンズ8のダフネ・クルーガーも大好きです。
全編通して人と人との交流が繊細に描かれた素晴らしい映画なのだけど、私が一番好きなシーンは遅くまで仕事で残っていたジュールズとベンが社内でピザを食べるシーンだ。ピザを食べながら、ベンにとっての初めてのFacebookをジュールズが教えるシーン。プロフィール欄に好きな音楽や作家を入力することになるのだが、偶然にも好きなアーティストが同じだったり、ベンが大好きなハリー・ポッターシリーズを実はジュールズの夫も愛読していたことがわかる。ここだけを見ればただ単に共通点が見つかって距離が縮まっただけのように見えるけど、ジュールズの一言が私を刺した。

「大人の男性と大人の会話は久しぶり。仕事の話でもなく……」

マイ・インターン日本語字幕より

この言葉に私はぐっさりと刺されてしまった。
社会人として働きだしてそこそこの年数になるが、どうしてこうも男性とのちゃんとした会話は難しいのだろうと常々思う。仕事の会話はできるが、本当に人間同士のフラットな会話ってありえるのかな。
いや、私が知らないだけでごく普通にありえるのかもしれないのだけど。
このジュールズの言葉から、きっと彼女は大人の男性との大人の会話をできずにいたことを察することができる。現実でもあることだ。時にはセクハラめいたことを言われて、こちらの言葉は流される。互いのことを知り合うような丁寧な会話は望めないこともたくさんある。
恋愛リアリティーショーで歩み寄ろうとする女性からの質問にまともに答えない、SNSで女性と見るや無闇矢鱈に攻撃的な言葉を投げる。そんな場面からも大人の男女って、ちゃんと意識を共有するための会話を行うのは無理なんじゃない?と思えてくる。
ベンは70歳。おじいちゃんと言えるような年齢だ。正直、私はこの世代に対してあまり信用がない。テレビでトンチンカンなことを言うおじいちゃん政治家がどうしたって頭を過るからだ。彼らが失言をするたびに、女性で生まれた自分は彼らに人として尊重して扱ってもらえる日など来ないのだと感じて、打ちひしがれる。
ジュールズとベンはそれぞれ仕事と家庭で頑張る女性と仕事をやりきった70歳の男性。いかにも分断されがちな組み合わせだ。それでもベンは柔軟でフレッシュな感覚でもってジュールズと接する。ジュールズ以外にも、ベンは本作の随所でいろんな人間と属性や立場は関係なく、一対一となって相手を思いやった振る舞いを見せる。CEO候補の一人と面談し、女性差別的な発言をされたジュールズにもやわらかく寄り添う。そのうちジュールズは彼を信頼していくようになり、家庭のことや会社のことを相談する。
これは本書でいうところの『性別の関係ない連帯の物語』だ。
つまり『凪のお暇』と『マイ・インターン』は同じカテゴリに入るのではなかろうか。働く女性と老年の男性は互いに尊重しあい、仕事仲間として友人として関係を築くことができる。連帯することができると希望を持たせてくれる。ジュールズ・オースティンは『男女の連帯を可能にしたヒロイン』という姿が私には見えた。
きっと私のなかに、それでも大人の男性と女性が対等に会話をして、この社会に蔓延する歪さやつらさを共有しあえるのではないか、連帯できるのではないかという望みが捨てきれないからだと思う。
もちろんベンのような男性はなかなかいないけれども。それを含めて連帯の祈りがこめられたヒロインだ。

ヒロインを語ることでわかる現在地

ヒロインとは三宅さんが紐解いたように、その次代ごとの世相を反映させた存在でもある。
そして私はヒロインを語ることは自分を語ることだと考えた。
女性、少女にこうあってほしいという要請をしてくる社会に対して、ヒロインは世の女性たちと一緒に抗い、時には励ましてくれた存在だ。
どんなヒロインに勇気をもらったかで、自分が社会から押される女性像の何に抵抗したいのかに結びつく。
この世界にはたくさんの作品があり、ヒロインがいる。それぞれのヒロインが社会から押し付けられる女性像に悩み、物語のなかで懸命に生きてきた。ただこれも三宅さんが書いているように、まだ全然足りないと思う。

いやしかし、追いついていない。全然追いついていないのである。家茂の提案は、天璋院が呟いた言葉は、いまだに日本で実現することが難しいのだ。

女の子の謎を解くp160、笠間書院、三宅香帆著

この前後は上記に貼った三宅さんのnoteの記事でも読めるのでぜひ、ぜひとも読んでほしい。よしながふみが2004年から仕掛けた壮大な物語が2021年に美しく幕を下ろした。17年かけて浮き彫りさせられた長い女性へ対しての抑圧はまだひとつとして女性を解放していない。
今までたくさんのヒロインが戦ってきたのに!
だから子ども庁は子ども家庭庁に名称が変わる、やっと日本でも布教のほうへ向かってきた経口中絶薬が10万円になるだなんて話が出てくる。
これだけ数多のヒロインが戦ってきたのに、この状況。やるせなくて、途方に暮れてしまう。
それでもひとまずは生きるしかないんだよね。そんなときのためにこそヒロインは存在してくれるんじゃないのかな。ともに戦ってくれるヒロインを見つけて、どうにかこうにか抗いつつ生きていくしかないのだと思う。
なにも見えなくなりそうでも、一緒に生きていくヒロインを見つけるしかない。ヒロインともに泣き、怒り、笑いながら。砂利だらけのこの道を踏みしめていかなければならない。

きっとこれからも時代に合わせてたくさんのヒロインが誕生すると思う。
三宅さんは「全日本ヒロイン批評本を増やそう連盟会長」らしい。
私もぜひその連盟に名を連ねたいところだ。そしてこれから5年後、10年後とまた新たに生まれたヒロインたちを語った会報誌として、本書の第2弾、第3弾を待ち望んでいます。


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