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Biotechイノベーションエコシステムのあるべき姿 前編ー分析

エコシステム形成は結果論

 大上段に立ったタイトルだが、基本的に筆者はイノベーションエコシステムは様々な努力や試みの結果出来上がった状態を指し示すものであり、文字通り「生態系」として流動的な状況だと理解している。当然多様性が必要となり、それぞれのプレイヤーは無くてはならないが、特定の箇所が強すぎるとバランスを崩すし、外来勢力による侵襲が致命的な欠陥をもたらすこともある。スタートアップのゼロイチを10年以上やってきているし、2002年からスタンフォードにいたという肩書からどういうわけか「エコシステムビルダーの小栁さん」という表現をされることが増えてきた。最初のうちは否定していたのだけれども、確かにSFベイエリア、ボストン、サンディエゴと、バイオ業界で代表的なエコシステムと日本を比較した講演をしたり文章を書いているし、実際に環境の整備への努力は長く力を入れてきたところではある。少し詳しく言うと、一昔前に使われていた「産業クラスター」の呼び名が変わっただけなので、インフラ整備と考えている。なので当然日本のエコシステムの競争力の強化には常日頃から考えている。そこで、敢えて今回はBiotech分野のイノベーションエコシステムの現状と未来について考えてみる。

そもそもエコシステムって何?

イノベーションエコシステムについて語るとき、ほぼすべての人たちが自分の立場で都合の良いようにこの「エコシステム」というキーワードを使う。ここでは概念的には下の図のように何らかの社会課題に対して行われる技術開発と、社会への普及のサイクルを指し、投資資金がポジティブに流動することを指しているとして話を進める。

6月の投稿で示したイノベーションエコシステムの概念図
https://note.com/ktomopkc/n/n157815b1bc04

この中で日本の問題点としてすでに顕在化しているのは、資金量の圧倒的な不足と、開発支援の仕組みの不足だ。ただ、それは他の国や地域でも同じだ。何なら「製品化と販売」を担う大手製薬企業があることを考慮すると、日本はアジアの他の地域に対しては圧倒的な強みを持っている、はずだ。現時点では「とにかく金だ!」という考え方で、投資に対する優遇措置はかなり進んできている。あとは何が足りないだろうか?

日本もかつては世界をリードしていた

 Nature Biotechnologyに2024年1月に掲載された記事によると、1978年から2015年までの間の主に特許情報を下にした分析結果からは、世界の3大バイオテクノロジークラスターは南関東(東京)、北カリフォルニア、マサチューセッツ、ということになっている。細かい地域別でも、90年代を除いて南関東地域は1位をキープしており、関西も7位あたりにあり、パフォーマンスとして十分競争力を持っていた。

 このレポートでは地域のライフサイエンス企業群は重要であることはもちろん、アカデミアの研究成果が質、量ともに重要であり、産学連携についても重要な因子としてその重要さが確認されている。一方で、圧倒的な巨大企業の存在はクラスターの強みとは相関せず、地域内での産学連携も傾向は見られるものの、統計的有意差を持って評価できるほどのインパクトは持っていなかった。筆者としてはこれらの分析から、
①アカデミアの研究成果の質だけでなく量も必要、
②スタートアップを含めた企業群の集積、
③国内外の地域の垣根を超えた産学連携、

の3つを注目したい。この論文の筆者らはこれらの前提として、Biotechのような新興の技術領域への地域での先行投資が、30年以上にわたってその効果を持続している、と述べている。この結論から考えるエコシステムのあるべき姿を考えると、
A)アカデミアの基礎研究への先行投資(①)、
B)スタートアップ、大企業、基盤技術などの集積(②)、
C)コラボレーションを促進する国際展示会や学会の開催、誘致(③)、
が考えられる。このレポートではVCなどのファイナンスの仕組みには触れていないので、これを含めて書き進める。

競争力のあるエコシステムとは?

 米国内のBiotech分野のエコシステムの紹介としては長くBioSpaceのHotbedが有名だったが、昨年からバイオ専門のニュースサイトGenetic Engineering Newsがより具体的な数値を元にTop10のクラスターの分析をしている。
 これらの情報と肌感覚を元にUSのエコシステムを筆者なりに俯瞰してみると、トップはGreater Bostonエリア。Harvard, MITのアカデミアの研究成果を元に、マサチューセッツ州の積極的な投資によって莫大なVC投資がスタートアップに対して行われており、それを目当てに大企業が研究開発拠点を次々と移してきた。アカデミア、スタートアップ、大企業の集積については、玉子が先か鶏が先かの議論になるが、これこそがエコシステムでありかつ、これの火付け役だったのは州政府による投資であることは間違いない。
 それに次ぐのがサンフランシスコ・ベイエリアだが、この10年ほどでボストンにそのトップの座を奪われている状況だ。ただ、そもそも「シリコンバレー」と言う二つ名が示すようにハイテク産業の聖地であり、その資金、人材そして、起業家精神は常に他の地域に替え難い価値をスタートアップとその育成に貢献しており、Stanford, UCSF, UC Berkeleyという医療、ライフサイエンスのアカデミアが創出する研究成果は、ゲノム編集で起こったように常にボストン地域とバチバチに競争している状況だ。

 スタートアップだけを見ていると、これに次ぐのはSan Diegoということになるのだが、GENのランキングでも3,4位にはワシントンDCを含むメリーランド、バージニアエリアと、NY/NJが入ってくる。これは伝統的にNIHを中心とした規制産業と政府機関からも排出される人材の集積あるいは、NJに集積している古くからの製薬産業の地力が見えてくる。これらの地域はより上位の地域に比べると極端にエッジの効いたスタートアップは出てこないが、製造技術や規制等言う産業構成として必ず必要となる部分をカバーしている。これらに次いでようやくSan Diegoということになる。海軍基地と、多くの富裕層のリタイア後の街として発展しており、比較的歴史の短いUC San Diegoを中心にScripps、Salkと言った独立系の研究所群が排出する研究成果の実用化に向けて、多くの製薬企業が研究所を構えている。Jonson & JohnsonがJLABSというスタートアップ向けのインキュベーションラボを初めて開設したのもSan Diegoだったし、Biocom、CONNECTといった民間の支援組織が有効に機能していることも特徴だ。パンデミック後はBIO (Bio Innovation Organization)の年会もBostonとSan Diegoで交互に開催されるようになっており、戦略的にBiotechnologyの集積としての発展を進めている。 
 これ以外のエコシステムについてはそれぞれ特徴が際立っており、日本が目指すエコシステムと言うよりは、日本の各地域が狙う戦略的ターゲットとして参考になると思われる。筆者も今後、それぞれの地域についても記事を投稿したい。

デザインされたエコシステム?ーボストンがとった戦略

筆者は2015年以来定期的にマサチューセッツ州ボストン市およびケンブリッジ市を訪問したり、同地で活躍するスタートアップ支援組織のメンバーを日本に招聘し、折に触れて同地域がとってきた戦略について議論を重ねてきた。その中で毎回聞かれたのは、「2000年代初頭、Harvard, MITはStanfordに優秀な学生を取られ続けていた。シリコンバレーでの成功を格好良いと思い、そのキャリアを望む学生たちをボストンにどうやってつなぎとめることができるか?それは起業家教育しかなかった。」という言葉だ。それと同時に「この地域は学術的には優れていたけれども、街の治安は悪くライフサイエンスやハイテク産業の大手企業は皆無だった。特にケンブリッジ市の再開発に合わせて、スタートアップと大企業を同時に呼び込む、と言う戦略が取られた。」というものだ。日本から見ているとアントレプレナーシップにばかり目が行きがちだが、特にヘルスケアについてはこの振り切った支援政策が結果的に大企業の誘致と、その後の繋ぎ止めにも極めて有効だったことがわかる。この動きについては2013年と古い資料になるが、上述の政策(10カ年計画)の中間レポートとして出された下記のBlueston氏らによる分析が参考になる。

このレポートによると、ヒトゲノム計画終了後に急速な産業の発展を望んだもののあまり具体的な動きがなかったために、2008年からマサチューセッツライフサイエンスセンター(MLSC)を設立して下記の政策を実施している。

  •  新しい発見を市場向けの製品やサービスに変換するトランスレーショナルリサーチへの資金提供

  •  有望な新技術への投資

  •  ライフサイエンス産業のニーズに合った労働者のスキル習得を確保

  •  ライフサイエンスのイノベーションを加速するための共有資源を持つ新しいインフラの構築

  •  地元および国際的なライフサイエンスコミュニティの各セグメント間のパートナーシップの構築

これらの政策を見てみると、日本も当然これを見ながら同様の支援は行っていると言える。しかし筆者としては反論したくなるいくつかの致命的な違いがある。ちなみにこのレポートではMLSCの成功の理由として5つの理由を述べている。

1. 資金の集中: 税優遇や融資は、特定産業内の企業や技術に集中させることで、産業エコシステムを形成し、新しい企業を誘致する。
2. 専門家パネルとクローバック条項: 専門家が融資を審査し、雇用目標未達成時には資金を返済させることで、資金の適切な利用と納税者の保護を図る。
3. 初期段階のイノベーション支援: 経済成長と繁栄を促進するために、企業の初期イノベーション活動を奨励することが重要。
4. 労働力開発支援: 重要産業のために熟練労働者を育成し、新しい企業を地域に引き寄せる。
5. ポートフォリオアプローチ: ライフサイエンス全般に対して広範囲に投資し、発見から雇用機会までの好循環を維持するエコシステムを支える。

 どうだろうか?公平性を重んじる日本の公的支援では1は実現せず、いつの間にか基礎研究に消えていくような補助金の出し方は2でブロックされているし、3によって支援機関にダイレクトに補助を出すことでインキュベーターや関連支援事業者も「エコシステムのプレーヤー」として成長の機会が与えられている。日本で大きな問題になっている製造人材についても4で教育が行われただろうし、エコシステム全般を俯瞰する5が存在している。
 筆者はそれぞれの項目の実施状況について精査した訳では無いが、日本の場合「やってます」といったあとのレビューや、ほんとうの意味での成功の定義に沿った厳しい審査がない(あるいはしたくない)ため、クローバック条項のような、ある意味お金を出す側としての品質管理の概念の導入はされていない。

過度な管理業務が、日本のスタートアップのスピードを鈍化させている

日本政府、自治体、大学はスタートアップの強みを理解しているか?

 そしてこれらのレポートには書いていない日本との一番大きな違いは、民間事業者によって構成された市場に合わせた資金提供だ。日本の場合、財源の縛りのために事細かなレポート作成や、適格事業者しか受託できないなど、ありとあらゆるところで既存事業者が有利に利ざやを稼ぐための仕組みが地雷原のように敷き詰められている。スピード優先でできるだけ身軽であることが売りの筈のスタートアップエコシステムが、適正使用という名の足かせに縛られている。

 大企業が成し遂げられないイノベーションをスタートアップが可能としていることについては様々な論説があるが、小さなチームによる身軽なオペレーションと、それに対する機動的な投資を行うVCファイナンスという構造は多くが理解しているところだと思う。しかし、日本の現状の公的資金の管理体制はこれに完全に逆行している。使えるものは何でも使え、がスタートアップで仕事をするうえで最も重要なモットーの1つだが、公的資金に手をつけるときには、事業の一部が人質に取られて、自分たちで意思決定ができずかつ、労力が相当取られる。それを覚悟のうえで、毒饅頭を味わって欲しい。

後編ではこれらの分析を元に、日本が目指すエコシステムの姿と、打ち手について考えてみる。


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