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生きることの、文化。

 「今日は伏日か」
 韓国文化に触れることが多くなってから、夏になると、出てくる話題。伏日とは、日本でいう「土用の丑の日」の、陰陽五行説に基づく中華系文化圏版で、韓国では夏に三度(初伏・中伏・末伏)あり、この日は様々なことを慎み、滋養を蓄える日とされており、日本の丑の日と同様に栄養の付くものを食べるそうです。韓国では昔からドジョウは滋養食として認知され鍋料理(チュオタン)として提供する店も多く、また日本統治時代の影響か、うなぎを食べることもあるそうです。網焼きの焼肉スタイルで焼きあげて食べるうなぎも、美味しそう。

(画像はソウルナビより)
https://www.seoulnavi.com/special/5061081

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 日本でも馴染みのある食材・料理のほか、韓国で伏日と言えば!定番の料理があります。陰陽五行説や中医学などでは体の中に溜める湿気を追い払う食物として挙げられているものを使う料理で、若鶏一羽を高麗人参やナツメ・糯米などと煮込んだ「参鶏湯(サムゲタン)」、そしてもうひとつが、「補身湯(ポシンタン)」。身体を補う湯(鍋料理)、いかにも精が付きそうです。

 この補身湯が、夏になると様々な「話題」を、生み出します。それは、材料が狗肉、要は犬肉鍋だからです。

 え?犬の肉?犬を、食べるの…?と、本気で引いた人もいるのではないでしょうか。ええ、犬を、食べるのです。

 アジアでは、犬を食用にすることは多々あることで、韓国だけでなく東・東南アジア諸国では、市場でそれなりに見かける肉だったりします。日本でも食用にしていた地域もあったり、どうしようもない時は各地で食べていたようで「犬なら赤犬が(比較的)旨い」という話を何度か年寄り勢から聞いたことがあります。

 もうこの時点で「ありえん!マジ許せん!」となっている人もいらっしゃるでしょう。しかし、現代の私たちは、動物を、犬と同じ動物を、ほぼ毎日のように食べ、おいしい~!と歓喜しているのです。いわゆる「肉」は、動物そのもの、です。

 いま、日本で暮らしていくうえで、肉(いや魚も含めて)を、「生き物」であり「命そのもの」であることを感じる場面は、そうそう無いでしょう。市場やスーパーには色鮮やかな「切り身」が、さも最初から食材として誕生しました!的な表情で並び、POPの売り文句や値札でその価値を判断し、購入し調理して食べているんですよね。

 しかし、他国では、もっと生々しく「生き物」を「食べるため」に販売していたりするんですよね。あぁ、日本でもそうでした。魚はビッチビチ跳ねまわる、まさに「命躍らせる『生き物』」を「活きが良くて『おいしそう』」と評し、その命が鮮やかなものを狙い打ちで購入し、その命が鮮やかなうちに「調理」し、美味として珍重するんですよね。

 命を、いただく。
 これは、生き物として生まれた以上、ほぼ全ての個体が「何かしらの生き物」を捕食し、それを以て自らの命としていっている。植物系も含め、生き物を喰らい、喰らわれ、生態系が成り立つ。そういう生活を、しているのですよね私たちは。

 アジアを旅すると、改めて思います。あぁ、ヒトは、生態系の頂点部にいて、食味で「捕食物を選り好みする」生き物なのだなぁ、と。

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(2005年9月、中国・広州市の市場にて)
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(2016年1月、韓国・城南市の市場にて) 

その中で、狗肉、ええ「犬肉」も、市場に、並ぶのです。

【この先は犬肉食についての、かなり具体的な記述および犬肉販売状況の写真になりますので、嫌悪感を抱く人はこの先へは進まないで下さい。】






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 犬は、売られています。切り身ではなく、生身で。
(2019年で原則的に犬肉販売は市場で大々的には行えなくなり2023年で全面禁止となりました)

 鮮度を追求すれば、「屠殺後の切り身」より「生きている個体」の方が有利な訳で、そういう状態で、売られているのです。

 私は、これらの市場を見たうえで、食べました。犬肉を。
 ソウル郊外の牡丹市場では檻の中から賢明そうな表情で私の目を見つめる「個体」と目を合わせ、釜山・亀浦市場はじめ各地の市場で、そういった「個体」が「生きたまま」食堂用食肉として売られる状況を知ったうえで、食べました。

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 狗肉。犬肉。補身湯。
 2017年の夏、釜山・亀浦市場。私はそれを、体験してみました。

(ここからは具体的な内容・写真になりますのでご留意のうえ読み進めていただきたく思います)


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 メニューは左から「ヨンヤンタン(栄養湯・補身湯の別名)」「スベッ(スユッペッパン・茹で肉定食の略称)」「スユッ(茹で肉盛り合わせ)」「ジョンゴル(大鍋での提供)」と続き、そして仕方なく同行させられた犬肉忌避の人のための「サムゲタン」が並びます。

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まずは半島南部の地焼酎「C1」で、ひとり乾杯。

 それにしても、付け合わせが独特。ここまで「匂い消し」だというのが明らさまなモノは、初めてかも。生ニラの和え物はともかく、生ショウガや青ジソが韓国の食堂で出てくるとは…。これだけのモノを付けないと「美味しくは食べられない」代物なのか。

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細切り生姜に青じそとか韓国で初めて見たかも

 程なく、メイン料理が現れます。

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 独り鍋(トゥッペギ)に入って煮たぎっている犬煮込み「栄養湯」と、添えられた皿には骨ばった僅かな肉と肝の切り身そして皮の、茹で肉プチ盛合せ。

 犬の肉、食べます。

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 補身湯は正直なところ「旨いという程のものでもない…」かな、というのが本音。明らかな獣臭さと妙な脂っこさがあり、添え物の細切り生姜が「このうえなく有難い」存在でした。しかし、その脂っこさが「滋養」につながっていたのかなぁ……と。食感としてはゼラチン質の部分が若干独特だけど、他はいたって普通の肉。ちょっとだけ繊維質かな、という感じでした。肉の味としては煮てあるものより茹で肉の方が良く、どうやら獣臭さは脂かゼラチン質の部分にあるのかな、と。レバーは、正直、とても美味しかった…。

 韓国の昔からの食は「アクも脂もしっかり取り除いた」、意外なほどスッキリ味という印象なのですが、補身湯については「色々とワイルドさが残る」感じで、それが他の肉料理にない「補身」成分なのかなぁ…と思いながら、店員さんの家族が店の座敷席でくつろいでいるのを見ていました。

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この商いで、生きていく。

 ひととおり食べ終わり、市場の通りへ出て、改めて彼等と、目を合わせました。

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 この檻にいる彼等は「人との穏やかなコミュニケーション」は、経験していないはずです。彼らは、恐らく生まれた時から「食肉」として育てられ、それに基づいて、いまここで売られている訳です。このことに、牛も鶏も犬も、違いはありません。彼等は「(ヒトに消費されるべき)家畜」ということなのです。

 でも、檻の中の彼等は、動揺せず、私をじっと見ながら、目線で何かしらのコミュニケーションを図ろうとしてくるのです。いや、これは私の勝手な思い込みかもしれない。犬はただ見慣れない物体の「分析」を試みていただけかも知れない。

 でも、目が、合うのです。彼等と。そして彼等は、まっすぐ、見つめてくるのです。

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 私は、目をそらしてしまいました。文化に触れ、それを身体に取り込んだ感覚と、その文化への「そこはかとない『馴染まない』感覚」に、全身を包まれながら。

 生き物の根源、そして文化の根源につながる、食の形態。

 いろいろと考えに耽りながらバス停の前に出ていたスイカ売りトラックを見て、なんだかほっとした気分でした。

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 しかし、スイカも、植物とはいえ、生き物。牛や犬と、何が違うと言うのだろう。
 ひとり、重い、夏の夜でした。生きることを、文化に昇華していくのが人間、そして社会であれば、そのうえで構築された文化は、余程のことがない限り否定されるものではないはず。

 でも、重いのです。目が合い、意思を疎通できると思われる相手を「捕食対象」とするのは。これも、また、文化の一面、なのでしょう…


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