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日本全国駅アルバムVol.1@早月加積

0.はじめに

こんにちは。ちょっとした思い付きでnoteを始めた者です。この「日本全国駅アルバム」では、これまでに行った日本全国の鉄道駅をただただ紹介していこうと思います。鉄道にそこまで興味のない人でも行ってみたくなるような駅かもしれませんし、鉄道ファンでも興味を示さないような駅かもしれません。オタクゆえに世間一般の感覚が分からないのは許してください。

※注意事項
・書いてあることは9割5分筆者の妄想と願望と虚言です
・行ってから時間が経っていて執筆時の状況と違う場合があります

1.基本情報

駅名:早月加積
読み:はやつきかづみ
所在:富山県滑川市追分1243-1
開業:1950年3月23日
所属路線:富山地方鉄道本線(以下地鉄本線と省略)
停車種別:普通
隣駅:浜加積(電鉄富山方面)、越中中村(宇奈月温泉方面)

2.なぜこの駅?


記念すべき第一回は富山県滑川(なめりかわ)市の早月加積駅をピックアップしました。鉄道ファンの間ですら無名な駅なので聞いたことはないと思います。もう少し有名な駅にした方が良いことは分かっているのですが、自分の一番好きな駅なのでトップバッターに選ばせていただきました。好きな理由は色々ありますが一番は「なんか字面がかっこいいから」です。

理由をもう一つ挙げるとしたら、あまりにも注目を浴びてなさすぎるからです。google検索をかけても運行情報か不動産情報ぐらいしか出てきません。だったら自分で注目するしかないでしょう。

3.駅名の由来

この駅に限らず駅名そのものが好きなので由来についても紹介させてください。早月加積という名前は「早月」と「加積」で分かれています。「早月」は付近を流れる二級河川の早月川から、「加積」は滑川平野の旧称である加積郷から来ていると思われます。由来ググっても一切ヒットしないので全部推測です。二つの地域名を組み合わせた駅名は東京なら白金高輪駅(南北線・三田線)、大阪なら西中島南方駅(御堂筋線)などが有名でしょうか。高速道路のIC名などにもよく見られる命名法です。

加積の方は現在も地区名や駅名に残っていますが、指し示す範囲が広すぎるせいか、地鉄本線に乗っていると中加積→西加積→西滑川→中滑川→滑川→浜加積→早月加積という駅名の並びが見られます。鉄道駅で一つの地名を一つの地名が挟むのはおそらくここだけです。理解できないと思いますが、この駅の並びが好きなんですよ。

4.路線について

これは本来なら1億字くらい語れますが本題と逸れすぎるのも良くないので抑えつつ書きます。富山市の中心・電鉄富山駅から富山の一大観光地・宇奈月温泉を結ぶ路線です。観光需要が高く、特急列車も数多く走っていましたが、コロナの影響でほとんどが運行を中止してしまいました。観光客が戻れば復活してくれると信じましょう。地方私鉄ではかなり珍しい快速急行と急行も運行されています。急行は平日朝一本のみ早月加積にも停まっていましたが、いつからか停まらなくなりました。なぜ停まっていたのかもなぜ停まらなくなったのかもさっぱりわかりません。

5.駅の様子

上が1番線、下が2番線から撮った駅の全景です。駅ナカスイーツ巡りや駅ビルでのショッピング、ステーションホテルでの宿泊などを楽しむのは少し難しそうですね。自販機どころかトイレすら無かったと思います。
乗降客数は一日平均100~120人ぐらいを毎年推移しています。早月加積に停車する列車が1日52本なので、平均すると1列車あたり1人乗って1人降りるだけの計算になります。実際は通勤通学時間帯に集中するはずなので、他の時間帯にどうなるかは分かりますね?日本にはこんな駅いくらでもあるので驚かないように。

隣には「あいの風とやま鉄道」の線路が通っています。これはかつてのJR北陸本線が北陸新幹線金沢開業によって第三セクター転換された路線です。あい鉄の方に乗ると地鉄の小さな駅が次々と横に現れるのでエモい!となります。この感覚がもうおかしいのでしょうか。

かなり年季の入ったホーロー板の駅名標です。フォントも味がありますね。

70年以上前からある駅だけあって、小さいながらも立派な木造駅舎です。駅名表記は比較的新しめですが、「駅」の字が旧字体(驛)で書かれているところにこだわりを感じます。

扉には求人が。北陸の駅の除雪というハードな仕事にしてはかなり高い年齢まで募集を掛けていますがそれでも来なかったのか、「1名でもいいから」という苦悩が見えます。ちなみに「富山交通産業」で検索しても公式HPはおろかWikipediaすら出てきません。

駅舎の中は「昭和レトロ」を体現したような雰囲気です。昔の画像を見てもほとんど変わっていないようです。のりば案内の機械はかなり古そうですね。

右のサンプラザ魚津ショッピングスクエアの看板は「国鉄魚津駅」の文字から少なくとも30年以上前のものですが、現在も同じ場所に健在です。左の長崎耳鼻咽喉医院も滑川市唯一の耳鼻咽喉医院として健在ですが、少なくとも6年以上前に滑川市上小泉に移転しているため、この看板を信じて電車に乗ると中滑川駅から17分歩くことになります

無人駅によくある「駅ノート」を見てみたら難易度の高い書き込みがありました。中央にはあんぱんまん(18)、左にはソビエト連邦の国旗、右には穏やかなスタートから「5.15事件」で突如終止符を打たれたしりとりが。このような常軌を逸した思考の持ち主がこれから世の中を変えていくのだろう、と考えて僕は理解することを諦めました。みなさんは分かりましたか?

6.おわりに

僕の知る限りこの駅は文化財に登録されているわけでもSNSで有名なわけでもない「ただのレトロな駅」です。つまり、30年以上前の看板が何の予告もなく撤去されていたり、建て替えで駅舎ごと呆気なく取り壊されたりしてもおかしくないのです。看板に関しては既に無くなっていても全く不思議ではありません。建て替えにしても、綿密に情報収集をしていない限り我々が知るのは早くて建て替えの直前、遅ければ実際見るまで知ることはないでしょう。原宿駅のように建て替えが決まってから大々的に報道され、多くの人がお別れを言えるような駅はほんの一握りです。

だからこそ、みなさんにもこの「ただのレトロな駅」を知ってほしいと思うのです。早月加積に限らず、建て替えや廃止になってしまえばその自然に残った無名なレトロを知る機会は未来永劫奪われてしまいます。それってすごく寂しいことだと思いませんか。

幸い「まだ無名でいられる」ぐらい、自然なレトロは探せばたくさん残っています。せっかくこの時代に生きているのですから、後世の人たちに羨ましいと思わせるような体験をしてみませんか。


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