百合と罪について。〈上〉(自己紹介のようなもの、その終)

百合が好きだ。
植物の百合ではなく、いわゆるガールズラブ。厳密にはラブに限らず、“女”と“女”の関係性が描かれた作品群のこと。そんな“女×女”の繊細で濃密な物語たちに、私は魅了されてやまない。
そのうえで、私がかつて犯した罪を告白しようと思う。

この罪が、軽率に語るべき類のものでないことは解っている。
決して自慢になりはしないし、若気の至りで片付けられるほど軽くもない。本来ならば、心の中に留めたまま墓の下まで持って行くべき記憶。どれだけ悔やんでも消えることのない、忌まわしき十字架。

それでも告白しようと思うのは、これが私の構成要素を語るうえで避けては通れない事柄だから。そしてそれ以上に、罪を秘め続けることが苦しくなったから。良心の呵責に耐えかねて自首をする犯罪者の心理だ。
こうしてこの文章を読んでくれているあなた。どうか私を軽蔑してほしい。

私……いや、俺は、『少女セクト』で抜いたことがある。

石を投げて構わない。罵声を浴びせて構わない。むしろ浴びせてくれ。減刑は望まない。
言い訳も申し開きもするつもりはない。ただ、私がこの大罪を犯すに至った経緯を語らせてほしい。

私が百合を好きになったのは、大学三年生の頃。それ以前は、百合というジャンルの存在は認識していたものの、好んで手に取ろうと思ったことはなかった。
というか、百合の何が良いのか分からなかった。同じ恋愛ものならば、男がいた方が感情移入できるし共感できる。同性同士という葛藤が良いのかと想像することはできたが、そんなものなくても上質な作品はいくらでもあるし、ヘテロでも別にいいところを特別感を出すために百合にしているだけなんじゃないかと思っていた。

まったく……愚かの一言に尽きる。感受性が死んでいたとしか思えない。百合に対して「これ女同士じゃなくていいじゃん」とほざく輩など、今の私からすれば明確な敵だ。殲滅すべきエネミーだ。

そんな馬糞にも劣る当時の私の興味は、アフタヌーンやスピリッツなど、青年誌系の恋愛漫画に向いていた。
中高で読んでいたジャンプやマガジンのラブコメでは心理描写が物足りなくなり、より繊細な男女の機微の描かれた作品を求めた。
その頃に出逢った作品たちは、百合に傾倒した今でも深く心に残っている。『夏の前日』などは何回読み返したかわからない。

そのうち私は、“その先”を求めるようになった。
男女が紆余曲折あって結ばれ、その後にすること。すなわちセックス。青年漫画には性描写のある作品も少なくないが、それはあくまで物語上必要なシーンというだけで、セックスに重きを置いているとは言い難いものが多かった。
読みごたえがあってかつしっかりセックスする作品ということで、私はストーリー性のあるエロ漫画を買い漁った。主にブックオフの18禁コーナーで。
エロ漫画は新品でも中古でも大抵ビニールで閉じられていて、購入前に味見ができない。必然的にハズレを引く確率も高くなる。作家買いやレーベル買いならともかく、そんなギャンブルに定価を払う気にはならなかった。というか一冊1000円もするエロ漫画を新刊で買う奴は馬鹿だと思っていた。

あー……さっきとは別の意味でくびり殺したくなる。どんな作品でも読むなら作者に金を落とせ。経済を回せ。ブックオフが悪とは言わないが(今でも新品が見つからないときは利用するし)、盲信するな。一抹の罪悪感と共にあれ。

そんな吐瀉物にも劣る当時の私は、欠落した良識とリテラシーの代わりに妙な思い込みを抱いていた。
それは、「エロ漫画を読むからには抜かないと駄目だ」という、いま考えると本当に意味不明な強迫観念だ。
説明するのも嫌になるが要するに、エロ漫画はマスターベーションのためにある→抜かないのは作品に失礼→抜かないと読む意味がない、という最低な三段論法。
そういう訳で、私は購入したすべてのエロ漫画をオカズにしていた。どんなに好みじゃない作品でも一回は使っていた。マジでバカか。
そりゃエロ漫画なんだから使えるに越したことはないが、そうでなくても意味がないなんてことはない。読み物として味わうのも楽しみ方のひとつだ。あと何が「抜かないのは作品に失礼」だ。礼を語るならまず定価を払え。
この頃の私の思考は、海賊サイトで読んだ同人誌の感想とシコ報告を作者のツイッターにリプする狂人と同レベルだ。頼むから一切の痕跡を残さず消滅してくれ。

……さて、ここまで読めばお分かりだろう。私がかの凶行に至った理由が。
この時期に買い漁った中古エロ漫画群の中に、『少女セクト』が含まれていたのだ。
有名な作品ということは認識していた。アダルト百合の金字塔ということで、百合に興味はなくともさぞや使えるのだろうと思い(この認識が既に狂っている)、2巻まとめて購入した。
そして私は許されざる罪を犯した。それが罪という自覚もないままに。

正直、『少女セクト』は使えるとは言い難かった。
画が綺麗なのは間違いないが、掴みどころがなくて抜きモノとしては微妙という感想だった。ただ、性的興奮とは別に不思議な胸のざわめきを覚え、妙に印象に残った。
しかしそのざわめきの正体に気づくことはなく、ただ自らのポリシーに従い、『少女セクト2』の麒麟が思信を指でイかせるシーンで抜いた。抜いてしまった。早くこの馬鹿を殺せ。
そして『少女セクト』はしばらくの間、本棚の片隅で埃を被ることとなった。

……そんな肥溜めにも劣る当時の私に、やがて転機が訪れる。
それは、とある作品との出逢いというかたちでやってきた。
無知蒙昧で視野狭窄な私の価値観を根底から覆した……いや、自分でも気づかなかった本当の私を暴き出した、その作品。百合を嗜む全男子のバイブル。
そう……『百合男子』だ。

(続く)

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