『願い事①』について。(自己紹介のようなもの)

先日帰省したとき、中学時代のノートを見つけた。
当時の私は一日の終わりに、ノートを1ページ埋めることを日課にしていた。大抵は詩のような散文のようなよく分からない文章で、たまに、ショートショートもどきや嘘日記を書いたりもした。
その中に、こんな短い詩があった。

『願い事①』

ひとりで花火を見上げていたら

舞い落ちる無数の花びらのなかに

流れ星が混ざっているような気がした

僕は叫んだ

「かのじょができますようにかのじょができますようにかのじょができますように」

「わ、どうしたの、急に叫んで」

隣で彼女の驚いた声がした

─終わり─

思春期のよくある妄想、と思われるだろうか。だとしたらそれは違う。実際はもっと根が深い。

私は別に、そんなに愛に飢えていた訳ではない。恋愛に対して、憧れは人一倍持ち合わせていた自覚はあるが、その割に興味は薄かった。だって、現実の恋愛なんて、どう足掻いたって物語の中のそれの劣化版でしかないから。
漫画や小説や詩歌の世界は、完璧な恋で溢れていた。“君”と出逢うためだけに生まれてきた“ぼく”と、“あなた”に出逢うためだけに生まれてきた“わたし”。不純物の削ぎ落とされた、限りなく美しい、完全な関係性。それらに比べると、現実のそれは余分な要素が多すぎて、少しも魅力的に思えなかった。
だから恋に浮かれる周囲のクラスメイトを見ても、(実害がない限りは)嫉妬や不快感が湧くことはなかった。「どうしてみんな、あんな不完全なもので満足できるんだろう」と、ただただ不思議だった。

時たま気まぐれに片思いをしてみることもあったが、それも今考えれば、現実の相手のことは一切見ていなかったように思う。
適性のある少女を依り代に作り上げた架空の女神を崇拝し、それでも自分ごときの想像力で作った女神にはやがて飽きが来て、勝手に幻滅して興味を失う。そんなことを繰り返した。

この『願い事①』には、そんな私の願望と憧れが端的に表れている。
「本当に流れたかも分からない流れ星に願ったら現れた彼女」なんて、そんな意味不明でだけどなんだか素敵っぽい存在は紛れもなく「ぼくに出逢うためだけに生まれてきた君」で、そんな女の子が女神じゃなくて何なんだ。
私が欲しかったのは、クラスのちょっと可愛い女の子から告白されて、戸惑いながらもオーケーして、デートしたり一緒にお弁当を食べたり自転車で2人乗りしたりして、そんな日々を送るうち自分も彼女のことがどんどん好きになっていって、「こんな毎日がずっと続けばいいのにな」とかぼんやり思うような、平凡で幸せな日常なんかじゃない。現実に存在する筈のない、想像力の向こう側にいる女神だけだ。

そんな不毛な渇望に満ちた自分の精神状態を、私は高校生の頃、「オールオアナッシングシンドローム」と名づけた。手に入らないと分かっているものをそれでも求め、それ以外のものは何もいらないなんて、そんなのもはや病気だ。
この病気の症状は恋愛以外のことにも及び、勉強も部活も友人関係も、完璧なものしか受け入れる気になれず、だけど完璧なんてないと諦めているから何もしない、怠惰で無気力な自称完璧主義者が出来上がった。
自分がおかしいことはなんとなく理解していたものの、しかし私は自らの持病に、さほど危機感を抱いてはいなかった。きっとこれは思春期の少年少女だけが罹患するハシカのようなもので、俺もいつか、他の連中のように気軽に恋や友情を育めるようになる。だったら今はどうせなら、この虚しさや飢餓感を受け入れて、思い切り味わっておこう。
そんな風に、自分を俯瞰している気になっていた。

あれからそれなりの年月が流れたが、私は未だにオールオアナッシングシンドローム患者だ。どういうことだ。
病状は着実に悪化している。ここ数年は、女神への渇望はそのままに、しかしそれを手に入れたいとは少しも思えなくなった。だって俺はこんなに無様で惨めで不完全なんだから、こんな俺なんかを女神が好きになる訳がない。もしそんな女神がいたとすれば、そんな奴はもう女神じゃない。
女神崇拝に愚にもつかない自己否定が絡みつき、もはや私には、自分が何を求めているのかすら分からない。強いて言うなら神になりたい。

これほど自分にも現実にもうんざりしている私が出家なり隠居なり自殺なりせず、辛うじて社会生活を送れているのは、たぶん、女神への期待を捨てきれていないからだと思う(あと単にめんどい)。
現実に女神がいないというのは私の実感で、経験則で、世界の常識で、しかし誰かが証明した訳ではない。誰も女神の不在を証明できない。使い方が合っているか自信ないが、ヘンペルのカラス的なあれである。
間違いだらけの人生を過ごしてきた私なのだ。私の実感が間違っていることも、まあ、なくはないだろう。可能性が少しでも残っている限り、私はだらだらと現実にしがみつき続けるつもりだ。往生際悪く俗物じゃないふりをして、世界と自分を隔てて考えることに飽きるまでは。

……そういう訳で、はじめまして、ならさきです。
付き合いの長い親戚兼悪友兼妖怪が最近創作に目覚めたらしく、「note始めるからお前も何か書け」と始めさせられました。“なぐるま”という名前で投稿しているようなので、よほどお暇なら読んでやってください。僕はたぶん読みませんが。
タイトルにも書きましたが、上の文章は僕の自己紹介のようなものです。これが僕という人間のすべてではありませんが、結構大きな構成要素です。読んで楽しんだり不快になったり、ほんの少しでもあなたの心を動かせたのなら幸いです。

これから何を投稿しようかは特に決めていませんし、投稿しないかもしれませんが、とりあえずこれは投稿するつもりです。そしてその投稿を、こうして縁あって、あなたは読んでくれています。
なので、改めて。
はじめまして、ならさきです。どうぞよろしくお願いします。

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