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「コロナ禍は戦争」という言葉に感じる人間のエゴイズム

コロナウイルス感染拡大が続いている。

世界中の人たちがこれを「戦争だ」と言っている。私もつい最近までそうだと思っていた。私たちの「平和」がウイルスによって奪われている。

ところが、スーパーで魚の缶詰めを手に取った瞬間、ハッと気が付いたことがある。

「あ、これ、魚の死体なんだよな…」

周りを見渡すと、そこには様々な生き物の死体が並んでいる。色とりどりにデコレーションされて。

そこでふと考える。もし人間を捕食する動物がいて、彼らがこのようにスーパーで人間の缶詰を売っていたら…恐ろしく感じる人もいるだろうけれど、そういうことを私たちもしているのだなと思った。

私たちのしていることはウイルスのそれと何が違うの?

人間の平和というのは、人間以外の生き物にとっては戦争だ。私たちの平和は別の生き物の犠牲の上に成り立っている。ヴィーガンを選択する人はこのような感覚なのだろうか。

この地球上を支配する人類にとって、平和を乱す者は、自然災害を除くと、同じ人間しかいない。人間同士の争いが無くなれば、平和になれると思っている。

そんな時に突如「sars-cov-2」という、ある意味人間の地位を脅かす力を持った存在が現れた。平和を乱された人間たちは「これは戦争だ!」と声を荒げる。

自分たちが他者の命を奪うのは「平和」で、奪われる時は「戦争」というダブルスタンダード。人間のエゴイズムを感じざるを得ない。

人間にとってのプラスは、誰かにとってのマイナスを意味する。つまり、地球は常に「ゼロサムゲーム」だ。

実際に人間が閉じこもったせいで、平和の訪れを感じている生き物たちは少なくないだろう。

「コロナ禍は、身勝手な人間に対して神様が与えた罰だ!」のような宗教的見解には同意しかねるし、私たちは他の生物の命を奪わないと生きることはできない。食物連鎖という仕組みの中に生きている。だから、命を奪うのをやめるなんてことはできない。

ただし、生殺与奪をしておきながら「平和」だと捉える身勝手さや都合の良いバイアスは捨て去るべきだろうと思う。

そして、これまで以上に環境保護活動に邁進するべきだと改めて思う。それが、食物連鎖の上位に君臨する者が最低限全うするべき「ノブレス・オブリージュ」だ。

現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱っています。社会がちょっとでも良くなることを願って、今後も発信に力を注いで行こうと思うので、是非サポート頂けると嬉しいです。