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管理職の役割は統治ではなく責任

本記事は、あくまで私が運営する施設の話であって、他法人・他施設は運営方針によって異なることをご了承ください。
また、私の過去記事を読まれた方の中には「前にも同じようなこと書いたじゃないか」と思われる方もいるでしょうが、ちょっと論点が異なるテーマでとなります。その点もご了承ください。

――― 以下本文です。


■ 深夜に利用者が亡くなったときの役職者の役割


「人間はいつ死ぬか分からない」と言うが、高齢者ともなるとこの言葉に現実味を帯びる。

例えば、介護施設では夜間に利用者が亡くなることは珍しくない。

看取りとして医師から「そろそろ近いでしょう」と言われると、ご家族とともに ”その時” を覚悟し、日中帯に亡くなれば当日勤務ではない施設職員も駆け付けて、息を引き取った利用者のお顔をみることもできるが、夜間帯は難しい。
特に深夜ともなると、その日の夜勤者を除いて駆け付けることは困難である。そもそも深夜に連絡すること自体が阻まれる。

もちろん、管理者や施設長といった役職者は駆け付ける。

割と勘違いされるが、ここで役職者が駆け付けるのは利用者の最期を見届けるというよりは、役職者としての立場を果たす意味合いが強い。

契約している訪問看護や訪問診療の医師とやり取りしたり、駆け付けたご家族の対応をしたり、葬儀屋さんがご遺体を運ぶのを援助したりする。

主役はご家族なわけだから、施設側としては最期の時間を見守ることはあっても、その場にずっといることはしない。メンタルフォローとして、ご家族の話を黙って聞くこともある。
また、施設退所となるので、ご家族から利用料の支払いについて確認されたり、行政手続きについて相談を受けることもあるため、必要書類の確認など割とバタバタすることになる。

それまで支援してきた利用者が亡くなった後とは言え、感傷に浸ってている余裕なんてないのが現実だ。しかも、夜間帯に急に対応する状況のため、コンディションもままならない状態で対応することになる。

こんな深夜であっても対応するのは、それは介護施設及び介護サービス事業の役職者という立場の責任であるからだ。


■ 深夜対応でヘトヘトなのに、職員からの罵詈雑言


しかし、この責任は一般職員には理解されにくい。と言うか、立場による責任というものは理解してもらえるものではない。

と言うのも、一晩明けて出勤してきた施設職員が、利用者が亡くなって、ご遺体もすでに葬儀屋さんが搬送したと知ると、「何で教えてくれなかったんですか!」と憤慨されることがある。
それどころか、「これまで私たちが一生懸命介助してきたのに、おいしいところは上の人が持っていくんですね!!」とまで言われたことがある。

ここでの「おいしいところ」というのは、おそらく利用者が亡くなった最期のお顔を見ることや、ご家族とともに最期の場に立ち会うことなどを指していると思われる。

このような不満を言いたくなる気持ちは分かる。どんなに役職者も介助に入っていても、施設職員のほうが割合は大きい。そこで出勤してはじめて利用者が亡くなったと分かって、そしてショックを受けるのは普通だろう。

しかし、上記でもお伝えしたように、最期の場に立ち会っているとはいえ、役職者が実際にやっていることは、言ってしまえば事務手続きや雑務だ。
また、施設に空き部屋が出ることになるため、すでに申し込みした待機者への連絡先を確認したり、訪問介護サービスのヘルパーを手配している場合はシフト調整なども各対応の合間に行っている。

各対応をしている間にも他の利用者の対応をすることもあり、亡くなったことを職員に通知することが疎かになることもある。すると、対応が落ち着いたころにはもう夜が明けつつあるため、そのまま職員が出勤してくるのを待ったほうが早いとなってしまう。

そのような事情も言いたくなるが、ひとまずは頑張ってきた職員の気持ちを受け止めることを優先することにしている。しかし、深夜に急に対応することになって、明け方になってようやく落ち着いたところで、出勤してきた職員に罵詈雑言を浴びせられるのもキツイと思うのが本音だ。


■ 管理職の役割は「責任」


何だか言い訳がましい内容が続いたが、管理者の立場というのはそういうものだとお考えいただければ幸いである。

管理職というと、日本では職場やスタッフを「統治」する立場という認識が強いように思われる。極端な言い方をすれば、自分の立場をもって指示や判断だけしているイメージがある。

しかし、海外で管理職というと「責任」を意味する。管轄する職場やスタッフの動きや考え方、そして自身の決断や指示の一切について責任を負う立場である。そこには、好き勝手やるどころか、むしろ色々なしがらみに配慮する必要があるのだ。

最近では、管理職として後者の「責任」の意味合いが日本でも浸透しつつあるが、それでも上記のような「上の人はおいしいところを持っていく」という発言が出るのは、まだ管理職として古臭いイメージが払拭されていないのだと思われる。

ちなみに、「上の人はおいしいところを持っていく」と思う方がいらっしゃるならば、24時間、休みでも睡眠中でも、娯楽に興じているときでも関係なく、連絡を受け付けて、現場に駆け付ける覚悟があるのか?・・・と自身に問いかけてみてほしい。

その問いに対してイエスと回答することができるならば、不満を思いきり口にしても良いだろう。しかし、それはもはや管理職の意識レベルである。

しかし、多くの人はそこまでの話をすると「いえ、そこまでは・・・」となるだろう。それは役職者としての責任を負うことに、怯んでしまうからに他ならない。

管理職は何も、おいしいところを持っていこうとしているわけではなく、単純に役職者としての責任を全うしているだけだ。もしかしたら、部下の成果をかっさらうような上司もいるかもしれないが、インターネットやらSNSやらというインフラやツールのおかげで、下手にそのような真似はできない時代である。

むしろ、管理職ないし経営者などは、少しでも突っ込まれないように自分たちの襟を正し、適切に職員を評価したいと考えている人たちのほうが多いように伺える。(私自身がそうできているかは分からないが・・・)


――― 別に管理職の責任の重さを分かって欲しいというわけではない。誰もが個々の立場で仕事をし、役割を全うしている。そこで不満や軋轢が出てしまうのは仕方がない。

しかし、不満や感情をぶつける前に、その相手の立場として、何かしらの責任のもとに行動した結果として現状があるという事実も勘案していただければと思う。

そうすれば、管理職でなくてもその役割の責任に気づき、より良い仕事ができるようになれるのではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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